坂田の周りが騒がしい。
教室の窓際の、肌に気持ちいい秋風でふくらむカーテンが彼の体にかかっている。逆光に片目を細めながら笑っている。 誕生日だそうだ。 男子にも女子にも囲まれて、その話で、みんなの真ん中になって盛り上がっている。
いつだって、そうだと思う。
坂田の周辺にはいつでも何となく人を取り込んでしまうゆるい渦みたいなものがまいていて、 ろう下でも食堂でも帰りの玄関でも、彼の近くには自然と人が漂ってくる。彼の銀髪は、いつも流れるようにその間をゆらゆらと、している。
横目で見て、机の手元に戻した。前髪が、坂田たちの方から吹いてくる風で右に揺れた。近づいてくる放課後の匂いがした。
「何か、いいもんもらった?」
「や、それが、ケーキ、ホールでもらった。朝。一年から」
「うそっ!」
大きな声に、ちらり、もう一度目だけあげる。隣の男子にからかわれている坂田は、 まんざらでもなさそうな顔で机についている上履きの裏を曲げたり戻したりしていた。そこから周りの生徒たちが各々勝手に盛り上がりだすと、 ぽかんと空間のあいたような坂田は一人耳下あたりをかいていた。 手前で笑い声をあげた女子の、大きなピアスが跳ねるように揺れた。その向こうで輪郭の滲んでいた坂田と、ピントが合うみたいにふっと目線が出合った。
(・・・・。)
坂田は、一度だけ短くまばたきをして、愛想らしく笑んだ。それから、机に置いていた足を床について体半分輪から抜けてくる。
「さっきから、何してんの?」
こちらまで歩いてきた坂田の目線が、自分の手元のものに落ちる。生徒会として撮った文化祭の写真が入った袋である。 坂田は、隣の机に腰をついてそれを見るでもなく見た。向こうの輪で、わっと笑い声があがる。 すこし振り返った坂田が、
「俺、今日誕生日でさ」
笑んだまま肘をかく。それに、んー、とも、ふん、ともつかない返事をした。
「何かちょうだいよ」
適当な調子で言う。黙って、写真の袋のフタをめくるとネガの香りが鼻をついた。一枚目を引き出して、指でつまむ。 床らしき肌色だけが、いくつかの光の線と一緒にぶれて映っている。その具合に眉をすこしだけしかめて、右腕越しに差し出した。 坂田が伸ばした手でそれを受け取り、写真ごと頭を傾ける。
「何これ」
「失敗した写真」
「くれんの?」
その言葉に眉のしわを濃くして坂田を見ると、彼はふうんとか何とかいいながら、写真をまだ傾いたまま見ていた。そのまま、ちょうどチャイムがなって、 ポケットに入れながら自分の席へと戻っていく。6時間目の授業は数学で、毎時間寝ている坂田は同じようにして机に40分間ずっと突っ伏していた。 たまに、前からシャーペンでつつかれ、生徒の会話に眠気でまどろんだ笑みを返したり、していた。
HRが終わって、教室に会話のざらざらした放課後がやってくる。 教科書とノートをまとめてろう下に出ると、すでにみんな部活の準備や帰り支度をしていた。 ロッカーを開けて持っていたものをしまい、鞄を出す。きちっと閉めてから、下に置いていた鞄を拾って半身振り向くと、坂田の後姿がすぐななめ前にあった。 すこしだけ見えるロッカーの中が汚い。奥に入った何かを取り出そうとしているのか、銀色の頭と腕をつっこんでいる。 その開いているロッカーの内側に、さっき自分がよこした写真が貼ってあった。角だけすこし黒ずんでいるクリーム色の中で、 ぽつんと存在を主張していた。何が何だかわからないくらいブレた失敗写真のくせに、そのでんとした構えはなんだろう。
「・・・・」
鞄を片手に持ったままそれを見ていると、はっとしたように坂田がロッカーの中にある顔で振り向きかけ、ガンと音をたてた。
「いってえ・・・!」
うめいて、頭の横をおさえながらこちらを見る。目が合うと、坂田は、今ここに自分がいることにひどく驚いた顔をした。 急にばっとロッカーの写真へ目線を戻し、開いた目のまま、またこちらを見る。それから、くちびるをきつく閉じて、いきなりかあっと赤くなった。 その様子にびっくりして、思わず話しかけていた口を閉じる。いったい何事だ。
「・・・・いや、・・・いや、ほら・・・」
悪いことが見つかりでもしたかのように、頬を染めたまま眼球をななめ下や左に動かししばらくもごもご言っていた坂田の声は、沈黙になり、最終的に片手で顔を覆った。 うなだれてしまったような、何かを諦めたような格好だった。 どんな会話にもかけられた声にもへらり返しているいつもの坂田らしくない。隠れていないほうの片目でちろ、とだけこちらを伺い、床にそらす。
「嬉しかったんだもん、だって」
子供みたいに言う。思いながら、考えるように首に手をあててロッカーにあるそれに目をやった。
「失敗した写真が」
「や、おま、お前から、もの、もらったのが!」
誕生日に、と小声で続けた坂田は両目を閉じてロッカーにもたれかかり、あーうっわ、と小さく言った。
「だって、もらえるなんて思いもしてねえもん。お前から、こう、何か。だって、喋んねえし普段、ぜんぜん」
まあそうだな、と心の中で同意しながら返事を返さないこちらに坂田がくっと目をあげる。
「喋りたいんだけど」
「話す奴いっぱいいるじゃねえか」
「お前と! 喋りてえ、の」
こんな風に。毎日。
「周りの奴らと違って、お前には、うまく、話しかけらんねえから」
言ってから、坂田はふてくされたみたいなくちびるをして上目遣いをした。ろう下の窓から、放課後の黄色い光が射し込んでいた。 何やってんだよ、通りすがりに声をかけてくる友達に、うるせえの、 と返して片足のつま先で床に短い線をかきながら変にうれしそうな照れ笑いをしている坂田とその後ろのすこし傾いた写真を見ていると、 ふいに土方は窓からふきこんでくる秋風に肌周りがちりちりする感覚を覚えた。