コーヒー屋



「だから、生命体が何であるかを論議すんのは面倒くせえから、とにかく一般的なその範囲で、いいんだよ。
で、見たか見てないか」


(コーヒー屋の店員が、今日も、話をしている。
薬屋と本屋にはさまれたコーヒー屋の店員は、白いシャツを着込み黒い腰下エプロンをつけクリーム色のカウンターに寄りかかって、 どこまでを生命体とするのか、という定義の線引きを今終える。 そうして、二人は、いつものように暇そうに話をしている。
宇宙人の話である。
見たことないだろ、高杉が聞いている。
ない、土方が答えている。答えて、灰を落とす。
いつもの客たちはいつもの席でコーヒーを飲みながら、ああまた脱線したな、と、いつものように、思っている。)

「お前あんのか」
「ねェ。そもそも、そんな質問意味すらねェ」
「なら聞くなよ」
「何故って聞け」
「何故」
「見えない場合」
「どういう場合」
「いても気づかねえ場合」
「具体的にどんな場合」
「見える見えねェでくくることができない存在がいる場合」
「それ、生命体か」
「それすら関係がない」
「どういう理由で」
「俺らと同じ五感を持っていると限らねえから」
「説明しろ」

(高杉が説明するところによると、人間の持つそれらとはまったく違う何かで相手を認識しあい、 その何かに依らねば互いの存在を感じることができない宇宙人なら、 たとえ出会っていたとしたって人間である自分たちには結局わかりはしないということである。
仮定すぎる、と土方が言っている。
いつもの客たちはいつものように、あいまいに頷きながら、スプーンをかきまわしている。)

「そんな仮定で話をしてたら、すべてが物語でしかなくなる」
「宇宙人の存在有無がまず仮定だろうが」
「まあな」
「仮定を前提にした話が仮定であるのは当たり前のことだろ」
「有無で考えるのか」
「何だ」
「だったら、俺がもっと単純な話をしてやる」
「ほォ」
「人間が調べられないほど宇宙空間が広いのは仮定じゃなく事実だろ」
「だから」
「把握してねんだから、いるといっても間違いじゃねえだろ」
「それで」
「そんなややこしい仮定たてなくても、こっちの仮定のが簡単って話」
「つまり」

(つまり、と土方がいうのは、高杉が馬鹿である、ということである。
客たちは、どっちもどっちだよ、と、思っている。)

「俺が馬鹿、それが結論か」
「つうか、何の話だっけ」
「宇宙人だろ」
「待てお前、いちばん初めの質問は」
「何だ」
「・・・ああ、見たことあるかないかって話だった」
「何を」
「『インディペンデンス・デイ』」
「ああ映画の」
「なんだよ宇宙人って」
「一応つながってんじゃねえか」
「間にウイルスの話はさんだろ。みろよ、ぜんッぜん違う話になってんぞこれ」
「話は展開してこそ話だろ」
「・・・・・・・」

(土方は考えるように口を閉じてから、吸っていたそれを灰皿におしつぶしている。
高杉はピッチャーから自分のコップに水をいれている。
ちょうど時計が午後の3時半を指し、立ち上がった土方は、一理ある、とぼそりいった。
客たちは、やっとやれやれと息をつき、席に沈む。
脱線は展開か、と、疑いながらも、誰も何もいわずに、黙る。
映画から始まって最後の宇宙人のうちぜんぜん関係のないところで納得を妥協された長い話はそこで切れる。
めったに仕事をしないコーヒー屋の店員の意味のない話は、そうして今日も、意味のないまま、終わるのである。)