コーヒー屋:番外
やけに無愛想なカフェの店員がいるのだ。 それがとても腹の立つ、と思いながら意地のようにして通い続けている内にすっかり慣れてしまった。 小ぢんまりとしたコーヒー屋で、彼(土方というらしい)はカウンターに寄りかかったまま入り口のドアが開くと、遅れてちょっと振り返るのである。 いらっしゃいませを期待してはいけない。彼は基本的に無言である。 水の入ったグラスを持ってきて、ドンとテーブルに置いた後は、ただ首を傾け注文を待つだけだ。 それが不思議とだらしなくみえないのは、全身のバランスがよいだけだ。顔に笑顔はない。彼には接客のせの字もない。 けれど、黒い腰下エプロンの紐だけはいつだって几帳面にきちんと結ばれているものだから、 そんなところが態度に比べて、最近、妙にいじらしく思えてきてしまうのが悔しい。 (・・・だからどうというわけでもないが、)店内のピアノ音楽を聞きながら、背広を脱ぐ。 地元によく愛された店には常連客が多いもので、やっぱりそんな人たちは慣れたように 「いつもの」という。聞き返さない様子をみれば、店員は無関心なだけで記憶力はいいのかもしれない。 メニューをじっくり見る暇もなく、「ああ、コーヒーだけでいい」、と見上げた。 何も答えず彼が伝票にペンをあてると、前髪が額からパラリと落ちた。 きれいなまぶたの下に、瞳孔がくっきりみえる瞳は独特である。淡々とした空気のせいで倍端整にみえる顔立ちはさぞお得だろう、と 眼鏡を拭きながら、どうでもいい嫌味を考える。注文をとり終えてしまった彼は、そうしてヒマになるとカウンターのはしでたまにタバコを吸っている。 学生らしき客が水をくれと呼んでみると、ったく・・・といった態度で片手にピッチャーを持ってやってくる。注ぎ方は、腰に手を当てたじつにエラそうなスタイルである。 何様だ君は。 そんな風に横目で眺めている内にコーヒーは運ばれてきた。(この暑い日に勝手にホットにされた。) 一口飲んで、ふう、と息をつく。ガラス窓から陽の線が差し込んでいる。 店員がどんな人物であろうが、仕事休憩のいつもの空間だ。すこし疲れた体を休める場所である。 半分減った カップを置くと、ふと横の席で丸めた伝票を差している店員の人差し指のかさぶたが目に入る。 (フン、何の怪我だろうがどんくさいものだな)、と心の中でつっかかっていたら、紙に目をやっていた彼が、 「・・・蛸って、何で魚偏じゃねえんだ」 と、とつぜん、こちらを見た。 コーヒーをふきそうになった。まったくの不意打ちである。 口を押さえながら眼鏡のフレーム上に彼を凝視して見上げる。 突拍子もない内容はともかく、じんとくる低い声が憎い。きっとコーヒーの匂いに変な眩暈がしかけて、 普段客に向かって喋らないのは出し惜しみしているせいなんじゃないのか、と、何とか眉の皺を保つ。 「それは・・・・魚ではないからでは」 言うと、ケンカを売ったわけでもないのに、彼はまばたきをしてから何故か好戦的に笑んだ。 なるほど、彼があまり笑わないのは笑顔のレパートリーにこれしかないからなのかもしれないと納得する。 カウンターのはしに突っ伏していたもう一人の店員が、「ワニって魚偏だぜ」、と眠そうに口をはさむ。 「チ、お前に言ってねえよ」、そちらを振り返った彼の舌打ちが上から聞こえてきた。 その声を受ける首あたりが、やけにくすぐったい。(・・・くそ、何なんだ)、ざわざわするうなじが落ち着かなくて虫を追い払うみたいに何度かさっさっとやってしまう。 「ワニ以外にあんのかよ」 「一つの例外があったらもうそれは法則と認めねえ」 「いいから他の例外を言ってみろ」 「フグ」 「それはお前・・・・・それは、お前・・・・・・・・・・・・・・・・・書けんのかお前」 「負け惜しみで論点変えんじゃねえ」 彼と初めて交わした会話は、どうやら二人のお馴染みの議論に発展したらしい。 彼らのそれは常連客たちもいつだって遠巻きに聞いているだけで、誰も邪魔できない。 それでもまだ隣に立っている彼のせいで、空気が静電気のようにざわついて背広を撫でる。 彼に話しかけられたこと、今やりとりを共有したことを思うと、その白いシャツに包まれた肩の線が一瞬だけ急に綺麗にみえて、コーヒーの香りが色濃くなる。 「向いてないんじゃないのか、君」 前から言ってやりたかったことである。 客たちのハラハラしているような空気が伝わってくるが、いつもだんまりを決め込んでいる彼らのルールなど知ったことではない。 「先生こそサラリーマンって顔じゃねえと思うがね」 さらりと返された。(先生って何だ。) けれど自分も今年新調した営業用のスーツが全く気に入ってはいなかったのでそう口にすれば、 確かにアンタは黒が一番似合ってたよ、となんでもないみたいに耳の裏をかくのである。 ゲッホゲホ、と思わず咳き込むと、相変わらずの彼が怪訝そうにこちらを見下ろす気配がした。 うなじが熱い、と思う。 ← |