※注:主人公は土方の若ママ。微妙に親子ドリーム。血は繋がってません。銀土




さあ、革張りのソファーの上には何があるでしょう。うん、あんたへの誕生日プレゼント。 あたしとあんたの好みは体に流れる血のレベルのように同じなんだから、気に入らないなんて17年間の自信をくじくようなことしないでよ。
「いつ帰ってきたんだよ」
「さっき。ねえ、外の初代パンダ見てくれた?」
「イタリア車はこりごりとか言ってたくせに・・・」
「へっぽこ感がそそるんだよ。それが愛らしいの何のって、余計な道走ってきちゃったよ」
潔いくらい真っ赤なスーツケースを、はだしのつま先で端に寄せた。
力が抜けて、伸ばした足をなぞる。 久々の我が家、久々の十四郎、どこで仕事してても誰と出会っても、あたしの源は一生これだ。
あの駄目な車体を思い出しているみたいにゆっくり制服のネクタイをゆるめた十四郎は、高校生らしい鞄を台に置いた。同時に、 こちらの缶ビールに半目をよこす。それから、ふーと呆れた長い鼻息をぜんぶ吐き出したあと、口元のはしをすこしあげて、「おかえり」、と言った。
前よりも低く鼓膜をまわる声に、笑ってビールの中身を丸く揺らす。
「成長くらい、いつでも喜べるんだよ。日にちじゃないよそういうのって。でも、17ってあたしの中では大事な区切りだからさ」
「余計なことだけは、してくれんなよ」
失礼に疑いつつも、荷物を運んでくれる男の手。
あたしは、誰とも知らない彼の父親を考える時こんな彼の魅力をかさねてみる。 いい男であったことだけは間違いない。 母親のことをあんまり想像できないのは、単にあたしがそれだからだ。 十四郎は知らないけれど、血縁のない彼を引き取ることへの迷いは不思議なくらい一切なかった。 昔からあたしは、ただただ勘で生きてきた。この子はあたしが自分の人生で持ち得る全ての中で、 最もすてきで最もかわいいものになるだろうことをその時のあたしは予言みたいに知っていた。まるで、宝物にしているシャガールの描いた誕生日画みたいに。
そういう敬意を含んだ深い愛情でこれまでやってきたのだ。
「けど、事前に連絡くらいしろよ」
「そういうのって、時間の空気でわかるもんなんだよ」
久々の彼に片手を伸ばす。灰色の瞳が自分を見る。
台所に頬杖をついたまま、爪の先で彼の襟をなおして、あたしも「ただいま」と濃いブラウンのくちびるで笑んだ。
「てんめェ、何でいるんだよ! 何だこいつは!」
ソファーのある居間に足を踏み入れた十四郎の声が、早速聞こえる。予想通りのどなり声に低くのどを鳴らしながら丸椅子の足をひきずって、居間をのぞく。 派手な銀髪の制服着た高校生が、堂々と麦茶を飲んでいる。缶を持った人差し指だけをピ、と立てて、そんな彼を指した。
「坂田くん」
「見りゃわかる」
「あんた、冷たいらしいじゃない」
「だって、頭悪そうだろ・・・」
「あたしだってパッと見ただの女に見えるかもしれないけど、実はばりばりのワーカホリックだし、馬で10万勝てるんだよ」
「いや、そのまんまだよ」
腰に手をあてた十四郎はこちらを見て、ちらり銀髪を見て、最悪そうに片目を覆った。 坂田くんはそんな彼の仕草に、「傷つくなァ」とだらしなく開いた足を組んだ。そうそう、十四郎の馬鹿みたいに頑固な調子を崩せるのは、例えばそういうものだ。
「お前、いつもいつもそうやって、俺に何してるかわかってんの。見ろよこれ」
坂田くんが、袖をまくって男らしい骨つきをした肘を見せる。
「・・・何だよ」
「窓のお前によそ見して体育で転んだ傷だよ」
「知らねえよ!」
「あはは! 罪だねえ、十四郎!」
「お前は、何こんなの勝手にうち入れてんだ!」
いいと思うけどな。だいたい、あたしは気だるげな男が昔から、好きだ。
クラスは違う。友人でもない。理屈もなく惚れてしまってからしつこくアプローチしているのに十四郎は全く相手にしてくれない。
そう言う彼とは、家の前で会った。
わがままなパンダのドアを乱暴に蹴り閉めてみて、「うそうそ本当は愛してんだよ」、と独り言を言ってる時に深い銀色が目に入った。
唖然とした。
人間と人間には、時に互いの空気で全身を縛られるような出会いがある。 それは夏の波のようにきらめき、冬の朝霜のように静かで、宇宙の真実を遠い肌で感じるような精神の世界だ。
一目でわかった。この子は十四郎を奪ってくれる。 そういう力を男は嫌がるかもしれない。或いは、女の感性かもしれなかった。 だけど、彼が十四郎に何らかの形で多大な影響を与えるのは確かだった。
宙に浮いている確かで小さなタイミングの気配は、あたしの目利きを逃れない。
「ねえ十四郎、この子は人生のチャンスだよ。あたし、勘がいいんだってば」
「知ってるがよ」
「あたしが好きだと思うんだから、あんただって同じはずだよ」
十四郎はソファーの後ろに立ったまま、今の言葉に咳き込んでいる坂田くんの髪に、疑い深い横目をやった。 十四郎だって、絶対、何かを感じてるはずだ。得体が知れなくて、測りきれないだけだ。ちょっと頑固なイメージをゆるめてみれば、一気に惹かれるに決まってる。 本当言うと、あたしの足元は恐ろしい。大事な物がすっぽり抜け落ちてしまいそうだった。この子の全てを任すなんて言わない。
だけど、遠い場所の仕事帰りのパンダの中で、十四郎のことを思い出すとき他の誰かの気配がじんわり浮かんでくることに、 温かさと哀愁で微笑みたくだってあるのだ。
「・・・こいつがプレゼントとか言うんじゃないだろうな」
十四郎は、ため息の後で言った。
「ケーキ買ってある、特別でっかいやつ。でも二人で食べたらしばくから。後であたしと食べんだからね」
「何だ、お前どっか行くのかよ」
「帰り9時」
つまりは二人きりという密やかな空気に口を閉じて、十四郎はソファーの背を掴んでいた手をすこしすべらせた。坂田くんの意識がそこに注ぎこまれるのがわかる。 微笑ましくて、妬けてしまう。愛情は並々ならなくとも適度に子離れしてるつもりだったけど、女の本能は結局男を可愛がる。 いやだなァ、外に出て一人で空気を吸い込んでいると、見送りに来てくれた十四郎の足音がした。
確かにしっかりしてきた手首や、色気の滲んできた首筋はあたしを妙に感傷的にさせ一瞬だけ泣きたくなった。足元には、自分より大きな、紺色の靴だ。
「あんたが生まれて、よかったよ。そりゃァ色々あったけどさ・・・一言で言えばそんなもんだと思う」
「何、珍しく弱気になってんだよ」
「弱気じゃないよ、幸せなんだよ」
「・・・電柱とか、ぶつけんなよ」
肩をかきながら言う黒い頭に、短くでもたっぷり手を置いて段を降りた。 緑のフィアット、パンダに乗り込み、エンジンをかける。バックミラーの中で、 男前な十四郎が外に置いたままだったもう1つのスーツケースを引き入れてくれている。 これを機会に、あんたの良さをわかってくれる人が銀髪の彼以外にもどんどん現れればいい。 そんな人があたししか居ないことを悲しみどこか嬉しがっていたけど、それも今日これまでだ。 手を伸ばして、角度をなおす。
誕生日おめでとう、とびっきり愛しいあたしの男の子。世界の誰より祝ってる。あとさ、あのソファーは気に入ってんだから、寝るなら自分の部屋でするんだよ。
なびく鯉のぼりの尾っぽを見ながら、あたしはすこしの寂しさと軽快さでアクセルを踏んだ。