肌寒さで目が覚め、一番に煙草を探しながら、裸足で床を踏んだ。
早朝の部屋。ぼんやりしている冷蔵庫。テーブルの上のライター。
それから、床に落ちてる銀髪を半目で見る。
「・・・・」
ベッドの狭さが嫌で彼を落としたらしい自分と、布団を独りで抱き締めている坂田、どれだけ互いに思いやりがないのか、 無意識にした行為は如実に本性を表してくれる。
ふっと息ですこし笑って、前髪をあげた。
変に気楽だ。
「よ」
布団のはしを持って中の体を転がすと、坂田は、ふ、ん、とか何とか眉をしかめたまま一回転して、また寝息に戻った。 人の匂いの残るそれを折ってたたみながら、眺める。
珍しく全裸だ。風呂でも入ってそのまま寝たのかな。元々パーマな銀髪が、床上で変な方向に跳ねている。
(だいたい、いつの間に潜り込んできたんだこいつ。)
気配に全く気付かなくなってきてる自分が妙な感じだ。
ベランダの方へ目をやり、フィルターをくわえながら目を細めた。
太陽が、明るい。
よし。部屋を一周しながらズボンと、床の端の下着やシャツをひっ掴んで、全部 洗濯機に放り込む。籠を用意し、待っている間に壁に寄りかかりながらライターを擦った。
ゴウン、ゴウン。まだ早い朝の中でゆっくりと、吸う。
「・・・・んねすよ、のん・・」
肺まで入ったところで、坂田の何言ってんだか全然聞きとれない猫みたいにかわいらしい寝言が耳に入り、思わず煙ごとふいた。

サンダルをひっかけ、朝の色をした階段を屋上へとあがった。入居した時から変わらない、3階あたりの壁のしみ。
ドアを開けた瞬間広がる薄い景色と、ふいている風。息を吸い込みかけて、止まる。
3本並んだ竿にスカートが綺麗な色でなびいていた。あと、女の下着。
思わずまぶたが落ちる。
「見ないでくれる」
「見てねえよ」
木のベンチに座って、パンを食べている彼女を無視して籠を置いた。 何故いつでも屋上で会ってしまうのかが不思議だ。ここでいきなり風邪薬を渡されたときも、何なんだよいきなりこいつは、と思ったものだった。
「ねえ、それでどうしたの」
そして、いつでも唐突だ。
「それでも何も何週間ぶりだと思ってんだ、お前に会うの」
「いちいち数えてないわよ、アンタとなんかと、会うまでの」
「・・・・」
「・・・・」
水色の髪にちらり目線をやって、煙草を唇にはさんだまま布団をかけた。ふうと額の肌上で前髪がふく。 彼女のそれも同じ方向に分かれて揺れているのが目の端に入る。高いここへとよくあがってくる散歩中か何かの犬の声。
同じ男に好意を抱いている、二人の。彼女と自分の間に浮いている空気は、輪郭がなくてゆらり光の揺れるプールの水面のようで、 どこか透き通っていた。
屋上の風のせいかもしれない。 なんだかんだで、嫌いじゃ、ない。向こうも同じだろうと思っている。
あ、くそ。洗濯バサミを持ってくるのを忘れた。あのでかいやつ
「これが欲しいんでしょう」
そう、それ
黙って腰に片手をあて彼女へ向けて手を出すと、薄いピンクのそれを持った腕が焦らすように後ろへいく。
「私のおかけで上手くいったんでしょ。さァ、どうなのよ」
どうって。向こうのマンションのエレベーターに一度目をやった。
「付き合ってるの」
「いやよ、付き合うとかそういう」
「どうせ今もアンタの部屋で寝こけてるんでしょ」
「・・・・」
「だから、私が言ってるのはそういうことよ」
あ、てめ、ちょ待て! ブーメランを構えるような体勢に、避けようとした膝へ大きな洗濯バサミが直撃する。
くう。しゃがんでいる間に、もう1つ投げようとする手を目にとめ、咄嗟に籠を盾のように構えた。加減のない音がガコとぶつかる。 聞こえる、笑い声。くそ、この女め。
短いスカートからパンくずを払ってこちらへ歩いてくる彼女は、1歩前で止まって首をちょっと傾けた。
「いいじゃない。なんていうか、計画通りよ」
「ああ、そう・・・」
女性らしい細い肩が長い髪の毛ごと、自分の左腕に寄りかかる。そうしながら一緒に洗濯物を見ている彼女に横目をやり、転がっている洗濯バサミを拾った。 こちらの体勢が戻るにつれ、彼女がいつもの瞳で見上げ背が伸びる。見て、 煙草を指で退けた。近づくそれにまばたきはしない。くちびる同士だけがきれいに触れた。
「・・・あんたとするキスって何か変。同性同士みたい」
ひどく近い距離で、くちびるへ目を落として彼女がつぶやく。それがお前にとって、ぜったい恋をしない世界だからだ。
「ねえ、それ干させて」
え。視線の先を追って籠の中を見ると、坂田の服や下着が水に絞られて丸まっていた。 そうだ、しまった。一緒に洗ってやってしまった。何かやけに恥ずかしい。
彼女はトランクスを指で拾い上げ、丁寧に広げて、自分の下着がメリーゴーランドみたいに風で回っている洗濯バサミにはさんだ。 それから、眼鏡の奥で愛しそうにまぶたをゆるめて爪の先で端をつまむ。・・・自分だってかつて何も返ってこない一方的なそれを抱いていた。 彼女のそれは余りにも馬鹿みたいに直情的だと思えど、同じことだった。彼女は彼女なりにそうして彼が好きだ。わかっている。
「コレ、盗んでもいいかしら」
「・・・・いんじゃねェ」
その隣で、空になった籠を腰と腕の間に抱えて空をあおいだ。視界の端でひるがえる白いシャツ。
今頃のん気に寝返りでもうっているんだろう坂田を思い浮かべて静かに目を閉じた。


「おっ前、本当信じらんねェ。裸で置いてく、普通」
部屋に帰ると、坂田が朝のだるげな声で着替えながら片足でバランスをとっていた。 昨夜勝手にウチに来たくせに、勝手に文句を言い、 クローゼットに仕舞っていた自分の服を勝手に着て勝手に自分のジーンズに足を通している。
「俺の。洗ってくれたの」
「気付かなかったんだよ」
まァ、洗ってしまったものは仕方がない。ふーんとか何とか、寝起きで低かった血圧がテンションと一緒にちょっと高まったような 声が聞こえる。テーブルの上には自分で買った覚えのないブドウジュースュのパックが出ていた。紫がこぼれている。 鍵とライターを放って、時計を見た。
「何時入り?」
「10時」
「間に合うのかよ」
「だからさ・・・うわ、うそ、入んね。ギリギリが入んねェ。1kgの違いがこういうとこに出るわけ」
「こっちならいけるだろ」
「いや、おかしいじゃん。上のコレとそれって」
「別におかしくねェよ」
「えー」
子供みたいな顔でズボンを受け取りながら、しかめられる眠たげなまぶた。 そして、あ、本当だ意外、と鏡前で一人で納得している声が聞こえてきた。ほらみろ
「ちょ、俺ピシッとしてね? スリムじゃね?」
「雰囲気変わるな」
「な」
すこし、どきとする。これで迫られたら、いくら疲れていても押し切られそうだ。考えながら 見ていると、坂田がぼんやり引き寄せられるように顔を近づけかけたので額を押しやった。は、と我に返ったように財布と鍵を掴み玄関に走る。
「靴履いてっていい」
ああ、と顔をのけぞらせ返事をするともう足が突っ込まれていた。自分もそろそろ用意しなければいけない。レポート、煙草、ライター、財布、携帯・・・
「お前今日帰りいつ?」
「わかんねェ、飲むかもしれねェし」
「ふうん・・・・や、あのさ」
「あ?」
聞こえにくくなった声に、居間から出てのぞきこんだ。
「さっさと行けよ。遅刻すんぞ」
「いや、だからあのさ、」
自分家の合鍵をポケットに入れながら坂田が髪をかく。
「何つーかコレもうコレ同棲してるみたいじゃねェだからさこれからを考えるといっそのこと」
「え、同棲してる?」
「いや違う同棲・・・アレッ? あ、もうやっぱ、いい、帰ってからで」
「だから言ってるだろ、もう40分なったぞ」
えっまじで、じゃね、つま先を叩きながら自分の家のドアを開けて慌しく出て行く銀髪を見送った。 居間に戻り、腕時計をはめ、回す。鞄を足で寄せながら、 カレンダーの予定を見た。
屋上で乾き出しているだろう線の緩い坂田の服を思い出す。そして彼女の髪。
・・・・いつまで、 好きだ好きじゃないとそんな簡単なことが確かで。 やがて大学も卒業する時期がくるし、就職もするだろうし、ずっとここに居られるわけじゃない。いつまで、同じアパートでのん気に行き来しこうしていられるだろう。
・・・あ、そういうことが言いたかったのかなあいつ。
ちょっと玄関を振り返る。
それから、ゆっくり指先で机から鍵を拾った。・・・帰ってくんの緊張すんじゃねェかよ。 とりあえず、俺より早かったら洗濯物頼む、とか何とか確かにそんな仲になってきているメールを打っていることに気付き、何となく腰あたりをかきむしりつつ 置いていかれた坂田の並んだスニーカーをまたいで、自分もいつもの馴染み深いアパートを今日も出た。