なあ、ライターとって。そっちじゃねえ、そっちの、それ。持った?  じゃあ、それでそこのタバコに火ィ、点けて。俺に、くれ。

「おっメー、ふざけんなよ、起きろよいい加減ー」
二日酔いだ。頭痛い。眠い。ついでに吐きそう。実はもうさっきから吐き気の波が、3分おきにやって来ている。何か腹の中の色々なものが口から 出てきそうなこと、これだけ床でぐったりしてるのみて、察して、ほしい。
「ったく人のこと呼びつけといてよーお前王様」
誓って呼んでない。つけてない。
「タバコどこだよ・・・あっなんか蹴った!」
朝からバタバタしてはいけない。振動が脳に響くし、下の人にも、心底迷惑だ。
ああ。
高校生の相手は、ほんと、面倒くさい。



声に出たらしい。
坂田の視線を頬にひりひり受けながら、手の平で前髪をあげてタバコを吸うと長く 煙たいため息が、出た。 だるい。インド象を3匹かついでマラソンした分くらい、だるい。(したこと、ないけど) 腕は重く、全身がひどく億劫で、 頭は気をぬくと首からもげ落ちそうだった。
時計の針は、帰ってきてからまだ2時間も経っていないということを、指している。朝の8時である。 そんな時間からうちにあがりこんでいる坂田はローテーブルの上でやる気ない頬杖をついて、 朝からちょっとだけテンションの高いニュースに目をそらしていた。どこまでも眠たそうなまぶたを、していた。 服については制服だ。あーあー授業中もこのまんまなんだろうな、と、思う。
「学校行けよ、お前」
「はー何が」 (若い奴のいう、それが嫌いだ)
「お前何年だった」
「・・・2年」
「ああ、一番中だるみする時期か」
「そう?」
「そう。新鮮さにキョロキョロする一年と、未来に忙しい3年の、間」
「あっそう」
「あっそう?」
ろくに聞いていない坂田を睨みつつノートパソコンをテーブルで開いて、邪魔なその右手をよける。画面に未読のメールが列をつくって並んでいるのを細めた両目で見た。 狭い机の下で足同士があたっていることにさえ今日は苛々するのだけれど、指摘するのもなんだか面倒で仕方がないのでこちらが膝を折り曲げてそのままにしてしまう。
「卒業できんのかなー、な、心配して」
坂田が喉をそらしていうのを聞きながら、土方は気だるい指で短くなったタバコをもみ消した。
卒業というのは、非常に悲しい言葉だ。
土方にとってそれは、全くいい思い出がないのが、悲しいのである。
高校の卒業式は、自分に寄ってたかった生徒どもに ボタンどころか学ランごとひん剥かれて、まだ肌寒い初春の中、薄いシャツ一枚で鼻をすすりながら打ち上げに向かった。 (第4ボタンだけ山崎が買ったらしい。心の何かを失いそうなのでいくらかは聞いていない。) とても泣ける話なのだ。
それから大学を出て会社に入って今日集めた資料をまとめ1ページコラムの原稿を書いている。教育に感心のある母親を狙った記事である。 みんな本当はわかりきっているだろうことを情報と一緒に2重に掲げて安心させる。
(高校生から何年経っただろう?)
土方は真ん中に眉を寄せて、たたんだ眼鏡のはしをつまんで閉じるをくり返した。
坂田なんかまだまだ、まだまだガキだ。
だって月曜日の二日酔いの虚しさすら、知らない。
土日のお天気お姉さんのが可愛いよなーとどうでもいいことをだらしない声で言っていたりする。 同意すら求める。
それが虚しい。それを知らない。つまり気が利かないのである。
土方は2本目を手に取ろうとして、空だった箱を上からつぶした。おい、と言いかけて舌打ちする。坂田はタバコを吸わないんだ。 どうせ側に置くなら喫煙者の大人の女だ、と、こうとき、つくづく思うな。許せ。

「なんでこいつ・・・」
「え?」
「・・・・あ、今、一瞬、寝てた」
「だっらしねーの。大人って」
「幻想抱いてんじゃねえよ」
「えーだって、実際、アンタきれいだと思うよ」
「・・・・悪い聞こえなかった」
「うそつけ、鳥肌たってんぞー」
うちの2リットルペットボトルの天然水をかってにラッパ飲みして、坂田がかく、言う。
「あのコーヒー屋のテラスでさあ」
「どこ」
「駅前、だから、テラスある」
ああ
「アンタが懸命に作家口説いてんの。一目惚れして、こうしてんだからさ」
思わずキイを打つ手を止めるてんで場面違いな艶やかな笑みであった。
・・・これだから雰囲気を読めないガキは嫌だ。
土方は焦点の合わなくなってきた目をちょっとだけ見張ってから、諦めと共に閉じた。 諦めだなんて、まずいそんなのは自分らしくない、と思う。 それが胸の底か腹筋の辺りにあるのかはわからないが、あまり良くないものだ。
だけどどうしようもない、だって机に突っ伏しているのは心地いい。テーブルの平面も冷たくって気持ちいいのだ。できることなら このままこうして半生を過ごしていきたい。

「今日の土方かわいくないね」
かわいい方の俺が、いるのか。

ぼやける頭でああ、と考えた。

嫌だよな、高校生って。

自己中でおしつけがましくて中途に熱中しては、すぐ飽きる。
そのくせ、行動力だけ馬力である。
(行動力
・ひたすらあとをつけて名前を聞く
・ひたすらあとをつけて勤め先を調べる
・会社に電話をかける
・3丁目の角のおいしいクレープ屋について3分語る
・クレープを食べる(苺スペシャル)(俺のおごり)
)
そうしていつの間にか、色だけはさわやかな制服のベストを着た銀髪がときどき入り込んでくるのを覚えもないのに許してしまっている。
大抵仕事でいないか、持ち帰った仕事をしているかなのに、こいつもいったい何が楽しいのだろう。
目を瞑ったせいで、このまま夢にひきずられていってもいい、いっそ永遠の住人になりたい、というところに、なにかがもぞもぞ右耳に近づいてきた。 坂田の髪だ。
おい、二日酔だっていってるのに。大人なめんなよ。どこでも吐けるんだぞ。
「言うけどさ」
「言わなくていい」
「何のことか、わかってんの」
「どうせ抱きたいとかなんとか、そんなんだろ」
「・・・・・・」
(言葉で言わなきゃ始まらないのは高校生の初期までだろう。
お前はもう少し空気を勉強して、疲れた相手を労わる気持ちが備わってから、出直して来い。)
「うッ・・・・」
言ってやろうと口を開けたら、ああみろついに、吐いた。
さっきからずっとたまっていた何かで、喉の奥が何度かひきつる。何故なのかいつもよりひどく辛く、 たぶん苦しくて、涙が滲む。
「ゲホ」
時間になったらパリ、と決めて出勤する。上司の嫌味(たまにセクハラ)を冷ややかにやりすごし、抜けた後輩の面倒をみて尻拭いをする。いつものことで、それだけだ。
ふー。坂田はこれみよがしに息をついた後、自分とまったく変わらない大きさをしている手で、こちらの背中を往復して撫でた。
いつもあくびをしている坂田の手の平は血があったかい。
大人って、辛い。
こんなときは高校生がひどく眩しく、みえる。
「でもアンタ、仕事好きだろ」 そういう顔、してんじゃん
「・・・・馬鹿じゃねえの」
少なくとも自分の知っている大人の気が利く女は、そんな台詞で、すうと胸をふかせたり、しない。 そうなんだよなー、とバカにつられてあっさり納得させてしまったりしないのである。
「はっはーん。男もガキもお互いさまだろ」
「・・・・・・」
なんだかすこし、素直に、そう思ってみる。 吐いたせいで目じりにたまった涙を肩でぬぐって、鼻をかむ。顔を上げた先のパソコンの画面では 質素なスクリーンセーバーが動いている。情けなくて違う涙が出てきそうだった。 酔っている間は感傷的なものなど何もやってこなかったのになんて間が悪いんだろう。いつもなら自分、一人だったのに。
「はい」
端からちょっとこぼれている、ついでもらったばかりのコップの水を口に含んで、シンクに吐きに行く。
「アンタ弱音、吐かないだろう。だから、そんなもん吐くことになるんだよ」、いやに近い声がする。耳にかかる猫毛と、台所の縁についた坂田の両腕に閉じ込められる。 人の服特有の匂いを感じながら、弁当類の空の容器ばかりで、食器の洗い物もスポンジもないひどく殺風景なそこを、みる。

なんて寂しいところだろう。

まだ薄く残っている涙の膜ごしにぼうと見つめた。 仕事が忙しくて、ほんとに忙しくて、 そんなところを気にする余裕なんて、ないからだ。そう、仕事仕事仕事・・・再びいつものように今日の予定を頭のなかでくり返し、 ついでにカーテン向こうの明るい朝の外を思い描いてみたけれど目が痛いだけだった。
・・・畜生
どうしてこいつがまとわりつくのを拒否できないのかわかった気が、してみる。
高校生のぬるい舌が耳にくっつく。
すこし、うんざり、する。
そして、あたたかい、とおもう。
テレビのニュースを遠く聞く。
目を、閉じる。
それから、ひさびさに、とても、(せつなくなってみる)