リク:銀八土
夢をみていた。 一年生の、秋の話だ。 夕焼けに雲が染まる時間が早くなっていた。近所のコンビニを出ると、何かの予感を含んだみたいな怖い赤さが向こうの電線に広がっていた。 明日がぼんやり億劫になる色だった。 夕方の匂いに、どこかから子供の声が混じっている。 買ったばかりの飲料水を開けると、プシュと炭酸が音をたてる。 切ったくちびるの端にじんとしみ、飲み口を何となく眺めた。 後ろで閉まる自動ドアや、通り過ぎるトラックの気配が耳に静かで、背後から近づいてくる原付の音だけで不思議と先生だとわかった。 「土方か」、こちらの姿と喧嘩の怪我に気づいた銀八は、あからさまにやる気のない顔で道路に足をついた。タイヤが歩道の白い線にすこしはみ出ていた。 すこしの間見つめて、勢いよく汚れた鞄を背負った。 低い柵に近づき、乗せてけよ、足をかけ乗り越える。 捕まるわ、とか何とか彼がこちらを振り返っている内に、どさり後ろにまたがった。信号が青になって、 面倒そうにハンドルが握られる。力を抜いてこめかみをつけた彼の背中から、エンジン音の震えが伝わった。 ガキに興味はねえから 先生は言っていたと思う。2年の夏休みだった。おんなじようにコンビニでばったり出くわし狭い部屋にあげてもらって、 意識したのを向こうはたぶん簡単に悟った。タバコくさいカーテンが淡白に揺れるのと同じくらいの当たり前さで改めてそう言われ、 他人に興味がねえくせに 鼻で返した。皮肉で、攻撃的につきつけた。銀八は初めて興味深そうに目を細め、それから、ひどく薄く笑った。 刺激したことを知って、ざわりと肌が緊張した。 座るところが他にないからベッドに腰掛けているこちらの隣に膝がつかれると、その重みできしんだベッドに体がすこし傾いた。近い体に、左の景色や感覚はぜんぶ、ふさがれた。 灰皿あたりにやっていた目をちらり、彼の足に移す。影が落ちるのにつられてまぶたを完全に開ききる前に、襟に手をかけられた。 銀八はまるで自分の服を脱ぐみたいな手つきでボタンを外した。痣になっていた腕の怪我を指の腹できつく押された。 首に、感触だけは柔らかい髪の毛が埋まるのを感じながら、指の動きを追った。 想像していたよりずいぶん現実的な感じだとぼんやり思った。目のはしに、窓から見える夏の雲が反対向きに流れていた。 場面が変わって、教室の窓。 まぶたが眠たくなる陽射しだ。3年続けて担任の先生が同じともなると、変わり映えもないクラスのメンバー同士で春からだれていた。 ペンを傾け、出席をとっていく銀八の声。 銀八がまぶたを伏せながら、土方ー、と呼ぶのを眺める。 返事を忘れていると、眼鏡の奥で目だけがあがって視線が合った。 そんな一瞬のことに、頭の遠い部分で寝たときの彼の手触りをふっと思い出した。 頬杖をついていた手をひいて、はい、答えれば、彼の目は自然にまた伏せられ次の生徒の名前を呼ぶ。 一年の頃から同じ順番の名前の中にも、やけに大人びた女子や、態度の丸くなった友達がいる。ただ見慣れすぎた白衣だけがなんにも変わらずそのままでそこにあった。 彼の白は何にも染まらないし何を染めもしない。そのまっさらな淡白さは、 気を抜けばそこに居るのを見逃してしまいがちで、ほんの時たま目にはっとする色だ。 中間、期末。水泳大会。体育祭でも。日常のろう下でも。 話をしようが、喧嘩をしようが、告白されようが、セックスをしようが、いつでもどこか距離を置いてだる気な目でポケットに手をつっこんでいるそんな銀八と過ぎてく日々。 そんな夢をみていた。まわりの色が淡くて、長く短い夢だった。 ゆっくり目が覚めると、いちばんに肩がふるえた。 窓から、放課後の風に部活動のかけ声が乗ってふきこんできている。 腕のセーターにくっついていた頬があつい。 袖でこすりながらまぶたを押し上げると、窓から入り込む光が薄黄色く、広い教室に影を作っていた。 いつから寝ていたのか、HRの記憶がない。時計を見ようと顔をあげると、すぐ目の前に人の体があって寝ぼけた頭なりに一瞬驚いた。 「あ、起きた」 銀八はいつもの平坦な声と共に、目の前で構えていた携帯をおろした。ワリ、無理だったわ、と言いながら、 下手くそー!と教室の後ろのドア向こうで騒いでいる女子達に放っている。それをまだ起き抜けの目で振り返って、熱のこもっているまぶたをがりがりかいた。 「・・・なんですか」 「いや、お前の寝顔撮ったらミルキーくれるっつうから」 机に片手をついて、のっそり立ち上がった銀八はくわえているタバコの煙に目を薄めていた。たいした意味もなさそうに窓の方へ歩いていく。 それから一口吸って、机の上に腰掛けた。下から、うちのクラスの生徒達の声がよく響いてくる。 「元気だな。これから冬がくるのかと思うと、先生は憂鬱だよ」 「ふうん。アンタにも季節の好き嫌いあんのかよ」 「お前な、俺だって人間だよ」 少々あきれた感じの息を聞きながら、そうか、再び机の上に頭を寝かせる。 眠気でぬるい体温を感じながら、目をあげる。放課後の光が当たっているその横顔を見つめた。 銀色の前髪が、あいまいなオレンジになっていた。 目じりにすこし皺ができていた。 ピンが外れて、ネクタイが重力に向かって垂れていた。 机に放り出ていた指先を、やわり曲げた。寝起きでかすれた喉の奥から、自然と声が出る。 「先生」 彼独特の間をおいて、すこしだけこちらを見る銀八の目。「何」、と聞くそのじんわり低い声に、ゆっくりまぶたをしめた。 俺は、アンタの嫌いなその冬が過ぎたら、大学に行くよ。 アンタの知らないあいだに、いつの間にか大人になってくよ。お前のいないところで、俺は俺のまま、だけど何かが時が経つにつれ変わっていく。 それでも、こんなにも高校生でしかない自分をこんな風に知ってるのは、お前だけだ。 顔の体温が机に移っていくのを感じていると、銀八がくちびるだけで笑う気配がした。 「俺は青春も嫌いだね」 目を開けて、心なしか柔らかげに風で揺れる髪を焼きつけるように見てから、また閉じた。 自分がいなくなった後、そんな顔で卒業アルバムを見る彼を想像する。やるせなくてすこし切なく、どこかでもう、関係がない。 映画が言っていた。時間は誰をも待ってくれない。ただ未来へ未来へ、 「夢くらいみたっていいだろう」 ふう、ともれる息が大人へのぼる。 ← |