土方の手の甲に、坂田、と黒い油性で書いてあった。
大きくてよく目につく。それは自分の名前である。
「それ、俺?」鈍くきしんだ音を出す手すりが錆びている台車を止めて、土方に聞く。 土方は、ボールペンの先で在庫を数えながらこちらは見ずに「あーうん」と簡単に答えた。 なんでも観ていた映画に出てくる脇役が誰かに似ていたのだけれど、それが誰なのかどうしても思い出せず、 昨日寝る前にはっと浮かんだので急いでメモしたのだそうだ。
ふうん。汚い制服の袖をまくり、台車のストッパーを足で下ろした。土方のボールペンが、カリと音をたてる。 ほこりっぽい倉庫の暗い照明が浮かびあがっている。ラベルの張られた箱が間に影を作って並んでいる。
彼はペンを持った手を顎にあて、紙に目を落としていた。その左手を、ちらり、見る。 そうしながら、その肌に顔をちょっと傾けたりしてマジックで自分の名前を書いている土方をぼうと思い描いていたら、 急に、そろそろ夏がくることを思い出した。 じわじわする気温。濃い道路。Tシャツ、肘、汗。仕事場の暗い倉庫で、そんな光を思いながら、重いダンボールを運ぶ。 土方の数字を書き込む音が、静かに聞こえている。軍手で額をぬぐう。坂田の、田、の部分が、 骨のところでかくりと曲がっていたりしたところが脳内の陽射しに混じって消えない。息をついてまぶたを閉じる。すこしだけ、咳が出た。