さて、今日は何借りて帰るかな 会社名のロゴが、視界のど真ん中で遠慮がちに伸びたり縮んだり、している。 音はない。 スクリーンセーバーである。 眺めながら、土方は近所のレンタル屋の自動ドア先に敷かれている青いマットのことを、ぼうと思い浮かべていた。 ぼんやりしているその店内の棚から映画を一本、選ぶことを考える。じっくり、慎重に。ペン先なんか噛みつつ。 仕事がひと段落ついたときの癖なのである。 「土方さん、忙しいとこすいません、あのーこないだのですね・・・」 両指で四角を作っている女性社員とは逆にある時計に目をあげ、封筒を手渡した。(土方は人と会話するのが嫌いだ。) 業務終了時刻まで9分だ。 そのままPCだらけの仕事場を見渡し、目に留まったバイトの机で乱雑にはみ出しているファイルを観察する。背を交互に逆にして、うまい具合に積まれている。 横着なんだか、考えてあるんだか、 バランスの限界に挑戦している高さが危ない。あの店のビデオとはまたえらい違いだな。 その映画の背表紙を想像して、マーロン・ブランドのようにゆったりこめかみに指をついた。 「これって・・・・ああ、はいはい・・・」 隣の同僚が細い声で何かを納得しているが、 それぞれがコンピューターと向かい合っているここでは独り言も珍しくなどない。 右隣では、用のなくなったメモでせっせと鶴を折っている。はさまれた土方は、脱げかけた靴をブラブラ、させている。 (最近の新作映画には興味がないんだよな。 観たことのあるものから選ぶとすれば、その頻度の低いものにするべきか。 タクシー・ドライバー、酔いどれ天使、ブル−ベルベット・・・ いや、これは、もっと感覚に頼るべきだろう。 今の自分の気分を把握するんだ。) 「あー何で8階の廊下だけ、こんな寒いんすかねー」 考えながら、銀髪のバイトが首からかけたスタッフ証をなおしつつ入ってくるのを目で追った。 彼の突き出た肘に多少の予感はしていたけれど、土方はVシネコーナーを脳内で広げることとお茶のフタを開けることに忙しかったので、とくに何も言うことはしない。 思ったとおりに不注意な腕があたれば、ファイルは床へなだれ落ちる。当然の結果だ。初めの頃は、 その滑りようの取り返しのつかなさに背中が落ち着かなくなった光景も、慣れてしまえばいっそ小気味よくさえある。 学習しないのだ。ゆっくり目を離して、ペットボトルを傾けた。 (感覚か。) 一口飲む。しゃがんで拾っているらしい銀髪が目のはしで揺れている。 「・・・・」 指の横を、軽く、噛んだ。 (苦手分野だ。) とても。 「あのー、アンタさァ」 ちらり。何か言ってる銀髪・・・越しの、ガラス張りのドア。 だって、土方はその反射を見る度、光の構造を考えた。 得意科目は数学化学、嫌いなものは古文だった。「君って全体的な能力は高いんだけど、広がりがそのねえ」 という、 ああ、じつに抽象的な上司の指摘もたいがい苦手である。 「あの、ねえ、そんな見られると、照れるんすけど」 お。椅子に埋まったまま、じ、と銀髪を見ているとその色に、 ふっとジム・ジャームッシュ監督の頭が重なった。ああ、いいぞ。今のはなかなか直感的だ。即座にずらしていた背を正して、すこし真剣になる。 デヴィッド・リンチ、ブライアン・シンガー、リドリー・スコット・・・・傾けた顎に手をあて彼を見つめながら、 今度は監督側から攻めてみた。 俺は今誰にピンとくるのか。こう、あくまで感覚的に、だ。 「聞いー、ちゃいねーもんなー。目が合ってる真正面から無視って」 「土方さん! その、すみません構想中。あのーこれとあとですね」 「あっ、間に入んなよ」 「仕事なのよ」 「絶対わざとだよ」 突然、視界をさっきの封筒でさえぎってきた後輩へ、ファイルを持った手だけあげる。すこしざらついた感触が、控えめなスピードですべるように抜けていく。 足元のニューバランスの靴。ニュー。ニュー・・・シネマ・パラダイス。 「ありがとうございます。・・・あとーそのうー今夜」 「無駄無駄やめとけって」 ニュー、トン。あれ、これ人だな。 くそ、難しい。そもそも感覚的に選ぶってなんだ? 土方は、ファイルに解放された人指し指をクリップにはさんでみて、ぷらぷらと揺らした。眉を寄せて、残像を睨む。 観たいと思う理由を解明しては、駄目なのか。感情の湧き出た過程を遡り、理屈を求めている時点でアウトなのか? 「ちょ、見てみろよアレ、怖いよアレ。クリップに呪いでもかけてるみたいだよ」 「そのう、土方さん?」 「無駄だって・・・」 「これ終わった後、何か、予定ってありますか」 「・・・・」 「それが、近くにいい店知ってるんですよ。たまには一緒に食、」 「ああーっ! 俺のパソコンいきなり止まったあ!」 バチン。 銀髪が、急に大きな声で画面に向かってついた悪態で我にかえり、クリップがはじき飛んだ。 「わざとはアンタの方じゃない!」 「いてえ!」とかなんとか攻撃的な横目で見つめ合い出した二人を放って、転がっているボトルのフタへと手を伸ばす。 はーあー。 人間って、本当面倒だな。できることなら、自分は一日中パソコンだけを相手にしていたい。 蛇行する会議も、本題までが長い電話もこの世から消滅すればいい・・・・・くるくるくる・・・・・・・。 ・・・・そういや、このペットボトルのフタが、右方向へ力を加えていれば、必ず閉まるのは、何故か。 ふと、それを裏返してみて近くで、じいと観察した。いくつかの出っ張りと短いらせん。 目の前でゆるく閉めてみる。なるほど。構造に満足してにやりと笑い、机に置いた。 「・・・・」 「・・・・」 ・・・なんだ、その目線は。 向かいの銀髪と後輩を無視して、もう机に頭をごろり転がしてしまう。 思えば、仕事上時間の大半コンピュータに張りついている自分は、昔から、原因を裏切らない結果が好きだ。 こうすれば、必ず、こうなる。そうするから、ほら、ああなる。 そういうもの。 何でも、きれいに説明のつく回路を通ってくれた方が、気持ちいい。 そういうもの。 そういう、コンピュータ的なもの。 俺が特に好きであるのは、そういうもの。 腕で額の横を、すこし、こする。 「デイジ〜、デイジ〜」 瞬間、その声に、冷たい血が反応した。 机から頭をすこし起こして前を見ると、銀髪がPCの電源を切りながら口ずさんでいる。 (ファイルを積み木にしたり歌を歌ったり、よくよく迷惑なことをする男だ。) うすく開いたくちびるから、遅れて、珍しく話しかけるような声が出た。 「・・・2001年:宇宙の旅か」 バイトはそれよりもっと間を空け、妙にまぬけな顔をあげた。 製作、1968年。監督、スタンリー・キューブリック。その映画の中で、人工知能を持つコンピューターHAL9000が、 暴走し始めたと判断され停止させられてしまうときに歌うのである。 コンピューターだから奇妙で恐ろしい。コンピューターなのだけど、ひどく、悲しい、あの場面だ。 「あのシーンが好きな訳だな」 「いやッ、特に、意味はないんだけど・・・・なんか頭に浮かんだだけで」 なるほど、感覚的だ。 「でも、あー・・・・コンピューターもあそこまで行くと、こわくない?」 そうかな。 「・・・アンタはそんなのより、人に愛情注いでよ」 ブツン。小さな音をたてて、バイト前にあるそれが完全に切れた。画面はぽっかりと空いた骸骨の目の穴のように黒くあるだろう。 けれど触れば、まだあたたかく。 その後ろ側をしばし眺めて、頬杖をつく。(その小指の爪先を口にはさむ。) 向こうまで続くテーブルに並んでいるそれらを目に映した。 従順で便利でとても繊細なものたち。 デイジーデイジーか。いいな、ああいい。よし、それにしよう。他人の意味ない行動もたまには役に立つ。おかげで借りる映画が決まった。 あーと、きっかけをくれた男の名前を考えてみて、知らないことに気づいた。 机の縁に片手をつき、横ぎる銀髪へ体を乗り出す。 足を止めた彼の首にぶらさがっている社員証に指の先を伸ばす。 自分の髪で影になっている。 くちびるで、正しく、ゆっくり、発音する。 「坂田」 周りの同僚達の手が揃って止まり、例の後輩が何だか顔をしかめた。坂田は開いた目で2度まばたきをしてから、 目元をわずかに染めガリガリ頭をかいた。そして、耳横に顔を近づけてくる。 「・・・アンタのさー。その予測できない癖とか行動。みてると、心臓に悪いんだけど」 お前が何を言うか、自分はとても論理的な人間だ。 腕を組んで、横でずっと静かに動いているスクリーンセーバーに、HAL9000を重ねた。 コンピュータに関わる仕事をしていなくとも、あのシーンはきっと強く印象に残るだろう。しかしストーリーについては、ほとんど理解不能だった。 観終わったあと、なんか愕然とするんだ。でも、嫌いじゃない。 納得のいかない回路を持っていたって、映画というものが、嫌いじゃない。 何故か。 きちんと閉まったボトルのフタをみながら考えてみるが、今度は納得できる答えがない。目を閉じる。 「あ、これが感覚的か」 土方は、あんがいあっさりと言った。(まだ顔を近づけていた坂田は何故かがくりと肩を落とした。) それから、それは昔の恋愛感情にどこか似ていると、土方はすこしそう思った。 ← |