「お前、ちょっとじっとしてろよ」、と高杉にいってから、おもいきり、蹴り飛ばした。
勢いのままに椅子から転げ落ちた高杉は、体をくの字におり曲げている。
痛みからではない。笑っているだけだ。つまるところ馬鹿なのである。
制服の上からでも、筋肉がふるえているのがわかった。その幅が小刻みすぎて、なんか別の生き物みたいにみえる。
ついでに頭を踏み抜こうとしたら上履きがすっぽぬけてしまったので、手でつかんでそこにある限りの力で投げつけた。
ごろんと体勢を変えた高杉の頭が、ゴォンと椅子の足にぶつかってくる。いよいよ喉が引きつっている。

もう笑いすぎ  こいつ  酸欠でくたばんねーかな

土方は半目で頬杖をつく。


「あのさあ」

銀八の声だ。

「ケンカする暇あったら早くしてちょうだい。先生早く帰りたい」
「てめえの貧乏ゆすりで気が散んだよ」
「もうしてないじゃん」

机に乗った反省文はすがすがしいくらいに真っ白である。もともと素直に書くつもりなんか、ふたりにはないから、それは 銀八がいつも眠たいのと同じくらい自然なことであった。 放課後がはじまってから、もう30分経っている。30分あったらルパン三世が1話みれる、とぜんぜん効果のない説教を銀八がもっともらしくたれている。
実際土方は本来の目的をそっちのけにするためなら何をしていたってましなので、英語の辞書なんかを開いていた。
土方は、英語のYOUTHを、ようす、と読んだ。
銀八にどんな意味かと聞かれて、なんていうか様子みたいな、と答えた。
そしうたら15秒くらい経ったあとで、高杉がきゅうに、ク、馬鹿だ、と笑い出して止まらなくなった。
馬鹿だ、馬鹿だこいつ、とくり返しているけれど、それはまったくもってお前のことだ。
なぜなら、バットやボールはあれど、かつて後頭部で窓を割った生徒を土方は他にみたことがない。
高杉はときどきヘンだ。なんのこともなく普通に昼飯に何を食べるかという話をろう下でしていたら、突然、勢いよく、後ろに反り返って、ガッシャーンとやったのである。
どこの誰が、「みそラーメン」といった返事に、頭で窓を割るというのだ。
「何でやった」、と教師に聞かれ、「別に。割れるのかと思って」、という。
馬鹿だ。馬鹿以外の何者でもないぞこいつは。
「そういう土方は天然だよね」
ものすごく腹の立つことをさらっというのが銀八である。
俺のどこが天然だというんだ。いってみろ。
「馬ァ鹿、変人も天然も自覚のない奴が本物なんだよ」
馬鹿でしかない高杉が、いう。まだ笑いの余韻をひきずっている。
土方はこの際窓からでも抜け出して帰ってしまおうかと考えていた。

「で、お前らそれなんの反省文」

そうして銀八がジャンプをめくりながら、ついに、聞いた。

担任でありながら、俺たちがやらかしたことをやっぱり知らなかったのだ。
知らないままでいいのに、どうしてそういうこと聞くのか、だから嫌いなのである。
土方は、ぐ、とつまって、床の高杉をみた。体だけは落ち着きを取り戻した高杉の乱れた髪のあいだから、視線がくる。
背骨がぞくり浮き立つ。

「不埒な行為」
「てめェ高杉、誰のせいだと思ってんだよ・・・」
銀八が珍しく、ジャンプの途中で、眼鏡越しからこちらを、みる。興味を示すな。流してくれ。
土方の必死の願いも叶わず、「不埒って?」、銀八はつっこむところはつっこむ。
「階段で」
「高杉帰りにたこ焼きおごってやろうか」
「俺の高等技術に」
「高杉帰りに風月堂おごってやろうか!」
「恥ずかしげもなく喘ぎ声を」
「恥ずかしくねえわけねえだろうが!」
おもわず、ばん!と机を拳でたたいて、高杉を振り返った。おかしそうにあがっている口元をみて、自分のしたことに前に向き直れなくなった。
やってしまった。認めてしまった。よりによってこんな腐れ教師の前で。 なんて軽率なことだろう、と後悔したことが土方は過去に何度もあるというのに。銀八の顔をみたくない。
「へーえまさか階段でねえ、いやあ優等生の土方くんがねえ」
「表だけだろ」
勝手なことをいう。高杉と違って出席日数はきっちり足りているし成績優秀で窓をおもいたって割ったりもせずいきなりさかって襲ったりしない。
どうして自分が高杉とつるんでいるのか未だ謎である。
「ま、理屈じゃないんだよね、若者って」
「くうう・・・」
「んな掻き毟ったら、ハゲるぜ土方」
「はいはい、反省文。きっちり書いたら、黙ってて、やるからさ」
「言ってもいいが」
「いいわけあるかァ!」
馬鹿共の相手はほんとに面倒だ。(と銀八も偶然同じことをおもっている)
土方はさっさと反省文を書き上げた。だいたい反省とはなんであろう。それをいちいち文字にするのもむずがゆい。

高杉と、不埒なことをしました。あえいで、すみませんでした。

なんだこれは。
人生のなかでこれほど文章を読んで衝撃をうけたことはない。それも自分のものによってである。
考えて、済みませんでしたと漢字にしてみる。
確かに、最後までは済まなかった。下品にかけている場合でもない。 でもだからこそいいだろう。やったわけではないのだ。だから大目にみてくれたっていいだろう、という思いをこめて、もうそれで仕上げた。 背に腹はかえられないのが当たり前なのだ。
眼鏡に向かって紙をたたきつけ、鞄を背負った。後ろから高杉がついてくる。 のん気なやつだ。一緒に帰ろうとしているらしい。
スウ、と服の下から腰の生肌を指でなでられて、不意打ちに、ふ!といってしまった。
口を押さえて教卓の銀八を横目でみる。思いきりこちらをみている。
「あんとき本番じゃなくてよかったろ」
「・・・いうな。想像したくない」
「最後までしたいだろ」
声のトーンをひとつ落として、耳元で高杉がいう。たまには人目をはばかってほしい。
「ねだってみせろよ」
低い笑い声が入り込んでくるとそろそろ危うい。土方は肘を張って高杉の顔を押しやりながら、さっきからささって痛い銀八の視線ともう一度あわせる。

「仲いいよね。お前らって結局」

何でそうなる。

おもわず馬鹿みたいに頷いてしまいそうになるのをおさえて、腰にあたる高杉の指を逆に曲げながら放課後の空気の廊下に出た。
結局危うさが間に合わずまたも階段で始めてしまって明日2度目の反省文を書くことになる。 反省文の反は、反復の反、反芻の反。翌日の銀八がいう。
ぜんぜん笑えない。