「宅配でーす。や待てよ、金取だオルァ!」 「おいコラ」 「いるのァわかってんだ、グラサン割んぞコノヤロー」 「おい、坂田」 「痛った、なに。なに」 「よく見ろよ、ここ明らかに違えよ」 「何が」 「名前が」 「・・・・あ間違った。も1コ隣か」 「どっちの?」 ガサガシャ。 部屋の外で、足音と人の会話と袋の鳴る音が、している。 そんなもので外の夕方の空気までが漂ってくる気がするから不思議だった。 「はー何号室か聞いときゃよかったな・・・」 「なァ、あれ王将じゃねえ。ウチの近くの」 「えっどこ」 「こっちから」 「あ、あ、ほんとだ見える! ッあー、こういう位置関係かァ、今わかった」 安い2階建てのアパートは壁がひどく薄い。廊下から聞こえてくる男二人の声、何か 知ってる気がするなァと思ったら、銀さんと土方くんのものだった。 外で反響しているうるさい音を枕に埋まっている逆の耳にぼうと入れながら、どうせ起きていた頭をだるくかく。 (何やってんだあいつら・・・) 湿っている感触の気持ち悪いシーツに手をつき、起き上がった。彼らには、ここへ来てから一度も会っていない。 二人もあそこから引っ越すかもとか何とか聞いてたけど、どうなったんだろう。 何でこんな所にいるのか知らないが、彼らの、のん気な会話のせいで一人暮らしの薄暗い部屋の淋しさが 浮き彫りになっているのが無情である。 虚しいおじさんの自嘲くらい静かにさせてほしいと思うのだ。 ベッドの縁に座って、いつものタバコをぼんやり吸った。 今ここで俺が死んだとしても誰も気づかねんだろうなァ・・・ くちびるを皮肉に上に曲げたまま煙を吐くと、息の勢いがなく口の中にもわんと残った。 「土方ァ、ちゃんと探してるお前」 外で、一人の動きがとまって、もう一人が引き返す気配がする。 「て、蹴んなよ」 「なんなのよ、何見てんの」 「いや、ここに変な染みが。目玉みてえな」 「うそっ」 「・・・・・なあ、ここ3つ続けて表札ねえよな」 「・・・俺も思った」 何でいきなり怪談風味 「なんだった、こないだ、お前の漫画が巻数どおりに」 「そそそ。意味もなく揃ってるのって、何かこええ」 「・・・うわッ!」 「えあッ! んだよ、はァー腕あたっただけだろ、びっくりさすな」 「訪ねる側のことぜんぜん考えてねえな、こいつら」 お前らこそ住人のことぜんぜん考えてないよ。 もうこいつら、人のアパートでなんでこんな元気なの。嫌味かよ。 重たいまぶたを無理矢理あげて、何度みても同じ時計を、ちらりみてみた。 夕方の4時半。平日の (・・・ああ) 両手で目を覆う。 ほんと信じられねえ。どんだけ堕落してるんだ俺は。起きた瞬間すでに1日は半分ほど過ぎてしまっていることを理解したとき 呆然とした頭の中に負の渦がぐるぐると回りだし、自分が心底嫌になって、体ごと重く沈む。 もう俺は駄目だ。いいおっさんがフリーターしてる時点で駄目だ。 バイトクビんなるし、財布落とすし、貯金もねえしもうイヤだ。どっか行きたい。南国行きたい。 社会も人生の先も見えなくなるくらい、ずうっと、遠くへさァ・・・・・ 「表札ねえとわかんねえな。目印とかねェのか」 「こう、ドアにさー、赤い文字で・・・レッドラム・・・」 「『シャイニング』?」 「マーダァァー!」 「あ、何か観たくなってきた・・・」 「借りて帰る?」 外では、相変わらず筒抜けな会話が続いていた。袋がいちいちガシャリ音をたてる。 無気力なまぶたの中に、彼らの姿がよぎった。 ・・・こいつら、結局何なんだろう。やけに気の知れた仲に聞こえる。 そういや引っ越す時期が一緒って、まさか同居でもしてんだろうか。 膝の間に両手をはさんだまま、汚れたエアコンに目をやって、長い息をつく。 (シャイニングって。) ・・・なんだか、ちょっとだけアホらしくなった。ほんのちょっとだけ。余裕でてきたかも。 起き上がった目に、バイト情報誌が脅迫の色で飛び込んでくる。あやっぱダメだ。 「それか、長い谷と川が絵で描いてあるとかさ」 「ドアに? 何の暗号なんだよ、何に追われてんだその人」 「それか、グ」 「追い出され・・・え?」 「え?」 「いや、それか、何だ」 「グラサンかかってる」 「わかりやすい」 「な。表札にそれ使わねえでどうすんの、だいたいあのおっさんは、そういうとこ使い方間違ってるよ」 銀さんは知ったようなため息で言い切った。 こいつらほんと気力、ある。どうでもいい話はあんがい健康じゃないとできないんだ。 膝を擦り合わせながらうじうじ考えていると腹が鳴る。縮こまるような胃を感じて、仕方なく起き上がった。 「あ、絶対こっちだ! なんかドアがそんな感じ」 ガッシャガッシャガッシャと袋の中身がはねている。 「どんな感じだよ・・・」 それをゆっくり追うように聞こえる声。 やけに近い。 台所で火をつけながら、四角い窓を通る2つの影を目で追い、そのまま 玄関のドアの方へ怪訝に向けた。「足踏むな」「あごめん」。足音が止まって、ガサリ袋の擦れる音がすぐそこから聞こえる。 え、あれ、こいつらもしかして 「音してねェよ、留守かな」 「・・・いや、してる、かすかにしてる」 銀さんの声がこもるように近づき、 「ネズミじゃねえ」 「うわ、やめろよ」 離れた。 「開いてる?」 「いや、まずノックだろ」 ぽかんとしている内にガンドガン! と明らかにノックのレベルではない耳に優しくないドアの音が響いて心臓が跳ねた。 おま、お前ら絶対、蹴ってるだろう! とたん我に返って床を早足で走る。家賃待ってもらってんだぞ、大家さんにばれたらどうしてくれんだ。 「あやべ、何かはがれた」 「戻せ戻せ」 「おい!」 ゴッ あわててドアを開けると、鈍くてとてもよくない音がした。 どうもドアが顔に当たって俯いたらしい光る銀髪と、真っ黒髪の頭がふたつあがる。 建設中の向こうのアパートを後ろに、上着をだらしなく着崩した銀さんと、細身の服がきれいな土方くんが立っていた。 痛い、ヤベ泣く、銀さんが片目をきつく閉じたまま鼻をおさえている。土方くんは、馬鹿じゃねえの・・・と いつもの顔で煙を吐いた。 外でしかなかったそんな二人の空気が、背後の陰気くさい部屋に流れ込んで、 チリンチリーン、下から自転車のベルの音がした。 なんだよ、お前ら、俺ん家を、探してたのか。見開いた目に夕陽が染みる。 だって、しかし何で 「つ〜もう、はいこれ。引っ越し祝い」 え。何も聞く間も与えられずに、さっきから散々ガサガサなっていた袋を渡された。 缶ビールと缶コーヒーと裂きイカとう冷やしうどんとパイの実と焼き海苔等などが入ってると銀さんが涙目でいちいち説明してくれたコンビニ袋 を底から手で受けると、中身が盛り上がっていくつか転げ落ちる。 「あ、マヨは俺の」 「ですってよ」 「裂きイカ開いてるけど、こいつが途中で食ったから」 「こいつも食ったから」 「まあ、じゃあ」 「うん、そういうことで」 今となってはかつての、になったご近所さんである彼らを、交互にみた。 銀さんは上着の両ポケットに手を入れて広げ、「競馬で勝っちゃったんだよ」と上目遣いで言った。 灰を落とした土方くんが、「3千円が35倍」という。それから、「もう、鬱陶しいくらいご機嫌なんだよ」、と ふざけた銀さんに上着ではさまれ抱きつかれてよろけながら、つけ加えた。 突然の来訪と袋の量に圧倒されつつ、 まだ寝起きの喉が開かずに、ただ袋へ目を落とす。 パッケージの角や重さでぼこぼこだ。 ちょっと破れてるよ、焼き海苔って何だよ。お前ら、俺にコレ渡すために迷惑にうろうろしてたのか。あれ、何か涙出そう 「じゃあ、俺ら・・・」 土方くんの言葉に、あ、と思わずかすれた声が出た。二人が同時にこちらをみる。(彼らはそういうちょっとしたタイミングが、似ている) 「お前らって、そのう・・・こう、あれか、あのーほら」 くっついたのか、と袋を抱えた両手でジェスチャーしていると、銀さんが足元へ向けた顔で、すこし、笑った。 何かを懐かしむような、唇横にできた皺が柔らかく味深いような。 おう。いや、そうかそうか。何かそんな顔見ると、おじさんまで嬉しくなってくるよ。しかも、こんな、わざわざ・・・・うっ 不覚にも感激して顔をあげた頃にはもう、二人はすでに廊下を歩いていた。 「・・・・」 ちゃんと食えよー、銀さんの母発言と隣のめったに見ない土方くんのくちびるの笑みに、ゆるり片手をあげて返す。ふと、 土方くんの首のななめ後ろが小さく鬱血してることに気付いたが、銀さんにしィ、と指を立てられ黙って手を下ろした。 そうか、そういうことも、いやまァ、そりゃうんするわけか。何か知人のそういう部分が見えると妙な感じだ。 「あ、ちょ見て市役所もみえてる」 「何で、うちの市はあんな意図のみえねえマークなんだよな・・・」 二人の背中。夕焼けでじんわり紅くなったアパートの廊下と匂い。 手、つなぐ? 銀さんがまだポケットに入れている片手を服ごと出して蹴られているのを見送った。 若者め。 しかし・・・そうかそうか。 袋の中をもう一度開いて、上からのぞきこんでみる。ジャンルの一貫性が全くない。 思わず笑って、鼻から柔らかく息が出ると、肩から力と一緒に色々なものが抜けた。胃の中が 軽くなって、さっきよりも盛大に音をたてた。 「何見てんの土方。子供?」 「・・・いや別に」 「なァ、これから、もしどうしても、寂しくなったらさ。犬でも、飼おうよ」 「犬かよ」 階段の下から響いてくる彼らの会話を聞きながら、 そうかそうか。一人でまた意味もなく納得して、工事中のカバー向こうへ雲を見上げた。 カリカリと髭をかく。 (仕事探そ。・・・・あとハツに。久々電話でもしてみよ) 足元に転がったツマミを拾う。 夕色に染まった缶コーヒーに手を伸ばすとあたたかかった。 ← |