なんでも、土方が口笛を吹けないらしかった。
器用じゃない器用じゃないと思っていたけれど、それは不器用だからなのだと、その時、なるほど、深く納得したものである。
さっそくその言葉でわざわざ説明してあげた。
「違う、これは、くちびるの問題だ」
そうしたら、土方が悔しそうに言い訳がましくのたまうので、さっちゃんは一度まばたきをしたっきりその後長いあいだ忘れてしまった。
前から思ってたけど、この男って、なんなの
さっちゃんは、昼休みから持っているアイスがいよいよ溶け始めて指が冷たいと思っている。 ほうけたまま見つめ返している視界のはしで、屋上のフェンスが音をたてて揺れている。土方の肩に無造作にあたっている。 くちびるのもんだい。一人でくり返してみたその言葉じたいは、ひどく気に入った。 また片方だけ残っている水色のアイスの角をかじり、そもそも不器用であること自体はあんまり問題にならないのよと思う。
それを理由に許されてしまう物事がよくない。ぜんぜん、よくない。
気をつかうべきところでつかえないのは、土方がそういうことに欠けた人間であるからだというのに、不器用だから、と苦笑で済まされるのが納得いかない。
お得な短所って、腹が立つ。
さっちゃんが、持っていないから。
それをまるっきりの長所としてあの人が愛でてしまうから、彼女は今日も今日とてやってけないのである。
「ぶりっこみたい」
「あ?」
そんなのは、さっちゃんにだって、言える。
「あんたはねェ」、ちょうど半分くらいになったソーダのそれを、肘を伸ばして突きつけると、彼の白いエリについた。
「何しやがんだ」
アイスを押し付けたまま、あたしはもうこんなものどうでもいいから離してしまおうという意思を漂わせると、土方は眉をしかめながら、自然と棒のはしを指で持つのだ。
そういうところが、ゆるせない。
“不器用”なくせに、 心底似合わない女の子の食べかけのアイスを片手に突っ立って、口をへの字に曲げるそれと、くちびるの問題とか口走るそれと、 しりとりでムーミン言ったりするそれが、いけないのだ。
あんたの、その、くちびるよ。
同じそれで、口笛だけは、吹けないくせに。
人はそれをギャップという。 ぱんぱん、叩くようにスカートを手ではたいた。 恋に落ちるための要素としては、上出来すぎるくらい上出来な代物ってことを、利用しているわけではないのは、 不器用じゃなくてバカだから。さっちゃんはこんなに賢いのに、何にこの怒りをぶつければいいのだろう。
無意識って、いちばんの罪よね。額に手をあてて土方を睨むと、その前髪はふてくされたみたいに、額の上でぱさぱさしていた。
「口笛がふけないくらい、何だってんだよ」
くちびるの問題、ってあんたが、言ったのよ。