(・・・・・さむ)
肩に手の平をあててゆっくり目をひらくと、布団が剥がれていた。ぼんやりとオレンジに淡い部屋の中で、土方の黒い前髪が影になってこちらへ落ちてくる。 色んな誰かのにおいが混じって不協和にタバコくさい。 今帰ってきたのか、としかめた片目をかきながら、したいのかよしゃーねーな、と手を伸ばしたら、土方は俺の体よりもベッドの中身を真剣にのぞきこんでいた。 それからサイドテーブルの腕時計、スタバのタンブラー、頭痛薬を視線と指の側面でなぞり、すこし黙って部屋を出て行く。・・・ん、金時は 腕を投げだしてしばらく寝がえりをうった。りんごの皮みたいな夕焼けが半分窓にかかっていた。
「何探してんだよ土方」
タバコをくわえたまま人ん家のガラス戸の棚に頭をつっこんでいた土方が、紅茶の缶を退けながら、あーと伸ばす。
「ジッポがない・・・」
と動いているくちびるを横目だけで見ながらドライヤーを止めて、スーツに腕を通した。 また徹夜だったのか機嫌の悪そうな目の皺をしている土方のわきをすり抜け、玄関の車のキーを取る。
「雀荘に忘れてきたんじゃねえ」
「忘れてったのはこの家にだよ」
革靴に足をひっかけると、夕飯の匂いがする近所でランドセルと一緒に夕陽を背負った小学生が帰ってくる。 玄関が閉まる直前に土方のその言葉の語尾でゴトッと何かが落ちて、声を我慢した強がりなうめきが聞こえた。 あくびのついでに鍵を握っていた手の甲で、まだ寝起きで気だるい口元を隠す。まったく こんな時間から仕事だっていうのにそういうところがすこし笑えるって、お前気づいてる。

「金時、金時!」
その仕事明けの朝、いつもの道順の駅を車で通り過ぎようとしたら、銀髪が階段下のベンチで両手を振っていた。お前は俺のファンか何かか。 無視してやろうかとも思ったが、隣に座っている制服の黒髪が振り向いている様子は、何も言わずにそうしていたら本当に知らない昔の土方がいるみたい。 速度を落としてロータリーをまわり、車の窓を開けた。
「お前ら何やってんのこんな朝早くから」
「昨日の夜海まで行ってたらさー終電なくなっちゃって。6時のヤツで帰ってきたー」
勝手に乗り込んでくる銀時と、それに手首を引きずりこまれて「痛って!」と文句を言ってる十四郎をミラーから見る。 白い制服に張りついたざらざらとした潮の香りを2人して払っている。
「夜に海? 何しに」
「花火」
(・・・・・若・・)
ハンドルを切りながら、なんとなく親指で鼻をこする。・・・ああ俺なんてそういうの、してきたことなかったな、と楽しいのかどうかも知らない火花の色をぼんやり思い描く ことすらできない俺は波が反射する光の加減さえとっくに忘れた。
うすい朝焼けに目を細めて近所まで帰ってくると、土方が歩いているのが見えたのでクラクションを鳴らしてみたらこっちは、 「うるせーな、二日酔いなんだよ」、とふらついて、ドン、と車体に腕をついてきた。おい、たち悪い。 まあ、夜の影具合を全身に残した土方は、花火よりずっとノスタルジーの匂いがする。 それは勝手にテレビで流れて覚えた古ぼけた映画のように錆びくさい。

海帰りの2人は、なんとかとかいう朝のテレビ番組をつけて、あコレ昨日友達がゆってたやつーとか流行を追いながらあったかいモンが飲みたいと贅沢を言う。 ソファーに転がった土方は、頬に曲がった髪の束を敷いていつもみたいに死体のごとく動かない。
コーヒー牛乳とコーヒーとお茶の3つを淹れた俺は、片手で全部を置いて、もう片手でだるくスーツを脱ぎながらいつものようにふらふら自室へ向かう。 りんごの中身みたいな朝日がまん丸にまぶしい。
「・・・・・・おい俺のジッポじゃねーか」
「あ花火するのに借りたんだった」
「若」
土方と銀時の声。
マグカップの音。
「ライターならこいつも持ってんだろ」
「学校で見つかって制服で持ち歩けねーんだよ今」
「若」
「何回言うんだよ」
今のは土方と十四郎。似てる兄弟。
「えっそのコーヒー金時のじゃねえの」
「いいんだよ」
「怒られねえの?」
ふ、とだけ渋く笑う土方の声。パジャマで戻ってくると明るい朝が射し込んだリビング。 唐突に朝という時間が視界からそっぽを向くように自分とは無関係のもになる。 髪の毛のなかに入れた手で重たい頭を支え、タバコをくちびるから退けるのも面倒でそのまま煙を吐いた。 銀時と十四郎に陽が当たった横顔ごと片目にすこし染みて痛い。仕事して疲れて帰ってくるそのすみの景色では、 いつものように俺が淹れたコーヒーを当たり前みたいに飲んでる土方が当たり前みたいにトースターを温めている。
「土方ァ・・・」
「うるせえ」
食パン片手に台所に立っている土方の肩に額をつけて、「俺りんごのジャム」「うるせーよ」「砂糖かけろよ」「うるせって」と土方が返しつつも俺が頼んだ通りにする やりとりを見ていた銀時と十四郎に、「甘っま!」 と驚愕で後ずさりされるのはただ単にそういうところを普段弟という家族にさえ見せないだけだ。 海で花火なんてもうしないけど、大人だって子供なんだよ。 若い2人をしり目にいよいよ眠くなってきたまぶたを閉じて寄りかかると、そういえば二日酔いの土方がおえっとえづいた。(こいつ。)