うぐいす色がふしぎで、市販の液体じゃないあたりが人ん家だなあと思いながら手の中でこする。 泡を洗いながす前にそれを戻そうとして、坂田はふとせっけん台を見つめた。
猫だ。
輪郭のまるい黒猫のモチーフがバスタブにつかるような体勢で、アーティスティックな台のかたちになっている。 ・・・平べったく減ったせっけんをそこにことり置いて、両手を水に当てた。
「土方ぁ、タオルー」
洗面所から顔だけそらして呼ぶと、くつ下の足音が聞こえてくる。差し出されたものは裏が手ぬぐい生地で、土産っぽい「ありまサイダー」と書かれた 水色のビンに黒猫がつかまっている柄が目についた。 首をかしげて拭きながら入ったリビングは土方らしくシンプルで納得しかけたものの、出てきた黒いマグカップは猫のしっぽがちょうど取っ手になっていて、 坂田はついに、飲みかけた緑茶を二くち目ではなした。
「うっわ! イメージ壊された、イメージ壊されたよ!」
「何が?」
向かいに座った土方は片眉をあげ、黒猫のコップに口をつけている。それだよそれ。
「無駄口叩いてるひまねえぞ。民法のプリント11枚あんだから」
「それどころじゃないんだよ、俺犬派だし!」
他に何派があるんだよ、とあきれた口調で土方がテーブルの上でこちらにすべらせたファイルは子猫の写真が愛らしい。
「うわーうわー」
「だから言ったろ、欠席してるとあとでツケが回ってくんぞって」
「そうじゃねえよお」
ぶあついプリントに肘をついた両手を額にあてて、 いつも通りストイックな紺のシャツを着ている土方の向こうで、坂田は木彫りの猫がちょこんと座っているのを指の間から見た。
「土方って同棲してたっけ?」
「いいや」
「じゃあ土方の趣味?」
「何がだよ」
「ね・こ!」
片腕をどんとテーブルについて顔をあげると、土方はひとつまばたきをしてから、あ、と小さく口を開いた。それから、 自分の部屋にあふれたそれらを俺に見られたということに今更気づいたがごとく、 俯いた前髪がすこしゆれている。
「知らなかったよ、お前、猫好きなの?」
「いや・・・・俺は動物とか嫌いだ」
「だろうな」
「なんつか・・・伊東いるだろ。あいつん家に猫がいて・・・・」
「かわいかったの」
「いや、動画でよくダンボールに入る猫いるじゃねーか。猫って狭いとこ好きで好奇心旺盛っていうし。 じゃあダンボールの横に丸い穴開けたらどうなんのかと思ってやってみたら、 その穴から顔だして抜けられなくなってる猫とあわてふためく伊東の光景があまりにもバ、カで、笑えてっ・・・」
「おっ前、シュールな楽しみ方してんな!」
顔を片手で隠して肩がふるえている土方は、ただ思い出し笑いを必死にこらえようとして失敗していた。一瞬でも意外にかわいいとこあると思った俺がバカだった。 人差し指で目のはしを、ぱ、とぬぐった土方はものすごくいい笑顔で、 思わずプリントをめくっていた手が止まった。ちょっと意地悪に楽しそうなくちびると瞳が男前でずるい。
「・・・じゃ、じゃあアレだよ、プリントの礼に猫の何かやるよ。何か欲しいのねえの」
「壁掛け時計」
「ハイハイ」
厳密には、猫好きじゃあないくせに。つーかこいつ、Tシャツからして着てるわ、猫、今気づいた。・・・・・ふ。もはや何か、口元ゆるむな。
ならコレがいんだけど、と土方が指さすノートパソコンを、動かしていたマーカーを止めてのぞきこむ。
「高っか! 8千円て何! プリントのコピー台110円だぞ!」
「だってしっぽが振り子になってるし」
「知らないよ。それの何に納得すればいいんだよ」
「だって俺誕生日だし」
「うそつくなよ!」
「ほんとほんと。5月5日」
ネット通販のページを凝視している自分の後ろから土方がくいくいと袖を引くので振り向くと、 財布から取り出された免許証が目の前にある。ついそれを両指でつかんで、しゃがこみ見つめた。
「・・・え、何? てことは土方ゴールデン・ウィークの誕生日を俺と過ごしてんの?」
「そうだよ」
「お前、バッカなの・・・!」
「お買い上げしていいか」と聞く土方に、(あカーペットも猫模様だ・・・)と曲げた膝に前髪をつけたまま「もっお〜いいよお」と 赤い顔をうずめて、なんだか、丸まる。


2012.5.5





ニッキログ 山+(全+)土

土方の袖のボタンがめくれた瞬間、する、とライターが落ちてきた。
山崎はつい水を飲んでいたコップの縁から、その手首の一点に目をやった。
通路に転がったスプーンを拾おうと屈んで、 袖のなかからすべり落ちたライターが、リレーで後ろを向きながらバトンを受け取るときの腕みたいに、ちょうどすこしだけ外側へ曲げた土方の手にあたっておさまる。 ついでにタバコに火をつけ席に戻った彼が、頭を支えた指と髪先のあいだからこちらに瞳をのぞかせた。 報告が終わった山崎の頭にうかぶことは、今週の禁煙週間だ。 副長がタバコを吸ってる現場を押さえた者には一万円。それは罰金的な意味合いで土方が払うことになっている。
「で?」
・・・そんなところにまで隠してもはやスパイ道具だな。もしくは忍の隠し武器。
「いえ、特別功労賞ありがとうございました」
「ああ、あんなのダーツで選んだだけだから」
「ダーツ?!」
「嘘だよ」
まぶたをなぞる親指の関節で、土方の前髪がゆるくもちあがる。 そこから手が離れると、コーヒーカップへ伏せられたまつ毛に黒い毛先がちいさく散った。 その儚い髪の動きを目のはしにとらえながら、山崎は、真昼の窓にうつるうすい自分を見た。
「そういえば、俺、あの服部全蔵に会いましたよ。ほら元将軍直属の」
「ほォ」
「もっと無機質な人かと思ってたら意外と変な人でした」
「へえ」
「あと、背。思ったより高くないですね」
「そう」
短いあいづちをはさむ口元から、白いタバコが伸びている。この人俺のことなめてんのか甘え切ってるかのどっちかだな。(俺だって一万円欲しいです。) みんなが躍起になってこの人の喫煙現場をあげようとするのを、すずしい顔してやり過ごしているこの人が、 俺の前では何の躊躇もなくその姿を見せる程度のことに、いまさら不思議も何もとくにない。
ただ、あまりに堂々と目の前で吸われた初日に思わず指摘するのを忘れただけだ。
ルールははじめが肝心だ。
「聞かないんですね?」
「何を?」
「元お庭番、気になりませんか」
「廃れた組織にいちいち構ってられねーよ」
「俺の今回の仕事ぶりに感想は?」
「おつかれ以外の何が聞きたい」
「まあ、5人分くらいの働きはしたから驚いてくれるかなと」
「結構なことだが、お前の役目は見失うなよ」
「わかってます」
「ならいい」
「副長」
「ん」
「手首、痕」
コーヒーのまるい反射を見ているまぶたから土方は決して視線を動かさない。しかし左手だけがそこに上がりかけ、触れる直前で止まった。 こういうときの土方は憎いほどに表情も瞳の色も変えやしない、が、今のはこの人の失態だ。 俺の前では平気に煙草を吸おうとした、その袖を。外さなければ、他に気づかれることもたぶんない。ゆっくりボタンが閉じられ、彼の隊服は規律に戻る。
「くっきり人間の指ですね」
ふーと吐いた煙越しにいつもの淡々と好戦的な目でこちらをとらえて、伝票を取った土方は、
「詮索無用」
一度下に振った手首をポケットへすべらせ、立ち上がった指先でつぶす灰皿の内に火が消えた。



2013.4.19  全+土も交戦経験とか殺伐な駆け引き経験あればいいのに