土方は、それを知っている。
そいつには本来、体がないのだが、まあ不便なので兎とする。なぜ、兎かというと、かわいくしておけば後でバカらしくなれるからだ。
そいつは、土方の前に指もないくせ道を描く。一本道の人間たちはぎゅうぎゅうあらゆる武器をもって暴力のかたまりになっている。 それは形のない概念の話で、生死の因縁でありまた、夢の話でもある。頭がとんで体がつぶれ、 誰かは死ぬが、誰かはなお美しい。沖田もいれば映えるだろう。その上で、乾いた青い空がとてもきれいだった。 足を踏みだしかけたら、兎が太いかがやきの流れを横に引く。構わず進んで入るとひかりの中に吸いこまれたそれは時間の川だ。 人類と人類を結んできた生命のつながり(もしくはしがらみ)が髪のすき間や指の合間をすりぬけていく。 「ここはどこだ」、と土方は聞く。「どこがいい? 過去でも未来でもそのどちらでもなくていいし、あるいはいつかみた虹のなかでもいい」、 兎は言う。「虹」と土方はくり返して、鼻で笑う。兎はまんまるの瞳のまま土方をみて、「君はそういうことを知らない」と淡泊に言い放った。

「・・・ず」
銀髪がねむたそうに鼻をすすって、中から手を入れた布団をちいさな山にした部分でぬぐう。自分の足元では、はしっこが小説のページの折り目みたいにして、 すこしめくれていた。 起きたとき誰かがそばにいるというのは物語のなかだけの話なので、なんとなく畳の目を数えるのがいい。 実際、16こほどまで目で追いながら「兎は白いわけでそれで」、まで話し終わった土方はようやく、(・・・こいつ誰だっけ)という気だるい瞳をあげた。 額につけていた手を離すと、前髪の線がゆるい曲線になってまつ毛にのった。
「それで?」
それで、お前がそこにいる妙な朝の景色が、瞳に滲んでいるのだ。 髪をかきあげた片手でおもたそうな頭を支えている銀髪は、ひと束の銀いろが落ちた間から、なんでもなさそうにこちらを見た。 ああ、万事屋だよ、な。情熱をぜったい他人にあげない、目、してる。 その視線が朝日の色で、つい密かに手をしのばせたベストと包帯が、乱されたような跡はない。ただ、知らない窓からさしこんだ光に、まぶたがじわり熱い。
「それで・・・何だった」
「起きてすぐ夢の話をするお前だよ。情緒があってかわいいもんじゃねえかと思いきややっぱり土方なんだな」
銀髪は相変わらずぶあついまぶたでこちらを眺めていた両目を猫みたいに閉じて開けた後、もういちど、ず、と鼻をならして洗面所へ立ちあがった。 毎朝そうしてそうに、何の不思議もなくそうした。その足音で、ねむい朝から空間が覚めた。そうだ。 何が情緒だ。昨夜こっちに喧嘩を売ったお前が、怪我のうずきで歩けなくなった俺を、めんどくせえな、と連れ込んだんだ。それだけの話だ。
「やっぱりってどういう意味だ」
「別に」
「夢の意味がわかんのか」
「さあ、虹のうつくしさを知らねえままいつか勝手に死ぬんじゃねえの。要はそういう・・・」
そこで言葉を切った彼は、歯ブラシのうすい殺菌袋を、ぴ、とやぶいた。ビニールのかけらが淡い光でちる。 あ、そうか、さっきまで確かに名前のあった何かはこうして一瞬でゴミになる、という日常のルールに気づいて、いよいよ、首元のものを探し枕元をのぞく。
「要は、お前が可哀そうな男だからさ、」
鏡にやる気のない目が映りこみ、ついと人差し指で足元をさす。 追って見ると、自分の足の下でまるまっていたスカーフを首にまわし、だるく閉じたまぶたで天井をあおぎながら、結んだ。 俺は知ってる。めんどくせえな、と言いつつ、夜のせいで、時にはそれが生み出す孤独のせいで、どうしようもない世の中のせいで、誰でもいいから抱きたくなる、 昨夜のお前はそういう日だった。日だったのに。「お前は可哀そうだから」と続けている彼に、目を開ける。俺が可哀そうだから、何だ。
左手が蛇口をひねって止め、
「寝たら、俺、お前にハマるよ。確信があるんだよね。だからしない」
あと、制服。裏返し、と言って彼は歯ブラシの水を切った。






2012.9.29