頭が真っ白になった。それから、ざあと顔に血が集まった。高温の湯をてっぺんからかけられて、びしょ濡れになったような気分だった。
この7年間隠してきたものをまさか自分の言葉以外で知られることがあろうとは、思ってもみなかった。 しかも、あんなに軽い形で。ノリで。ついでみたいな質問で。
そりゃ、人生はドラマみたいにはいかない。

「けど、信じられるかあいつ!」
「人が風呂入ってる時に玄関蹴るお前は信じられるのか」
高杉がかぶったバスタオルの間から地を這うような低い声を返してくる。それから、鼻息と共にコーヒーに口をつけた。
あの後、ぽかんとした坂田を眺めながら先に正気に戻った自分は、靴下も履かずにベッドからおり、上着をひっつかんで、家を飛び出した。 具体的にどうしようという考えがあったわけでもない。とにかく一刻も早く坂田の前から逃げ出したかった。 「え、えっ?!」とパニックになったような坂田の声が後ろから聞こえたような気もする。
「てめーらの駆け込み寺じゃねーぞ、うちは」
「そんな親切なもんかよお前が・・・」
やけに未来的な形をしている椅子に腰かけ、高杉のタバコに手を伸ばす。火をつけようとして、さっきまでのことを思い出し、・・・はあ、とライターごと握った手を額に当てた。
(・・・どしゃ降りん中、うちまで来て、って)
確かに自分の行動は不審すぎた。しかし、それは俺から言おうとしていたことだ。そうするために行ったんだ。・・・そうだ。 これで無遠慮に振り回されることもなくなるかもしれない。俺は今ただ、ずれたタイミングに驚愕しているだけだ。
考え事のせいで灰だけが伸びるタバコを、椅子の背に肘をついた高杉にすると取り上げられる。 それをくちびるの端にくわえた高杉は煙越しから、自分と同じように窓を眺めた。
「その内、銀時から俺に電話くるぜ」
「・・・・・・わかってるよ」
知られたからには。ちゃんと向き合う、よ。
元々、そうするつもりだったんだ。落ち着いたら・・・帰る。
ただ、すこしだけ名残惜しくて、高杉の腕に頭をつけた。・・・お前のセックス、まじでオチるよ、と悔しさも恥もしのんで言うと、 当たり前みたいな感じで笑われた。


坂田からは1回だけ着信があった。もっとしつこくかけてくるかと思っていたから何だか拍子抜けだ。 けど、それは電話で済ませるつもりなんてないのだろうと。予感に緊張しながら携帯をポケットにしまって、近づいてくる自分の家のドアを見る。 ・・・なんとなく、坂田はまだそこで自分のことを待っているような気がした。
「・・・・」
ドアを開けると、くぐもった足音が聞こえて、坂田の焦っているように真面目な顔がのぞく。
・・・その、何か言おうとしているくちびる。 その先の言葉を無意識に避けて、リビングに入ったら、坂田は所在なさげに突っ立ったまま、なぜか悲しそうな瞳をした。
「ごめん」
と一言、そう言う。
丁重にお断りされたのかと一瞬思ったが、坂田はこちらの体を、一度ちゅうちょした手の伸ばし方をしてから、やけにそっと片手で抱きとめた。 とても大事なもののように。いきなりのことに、背中がちょっと反る。
急に何がごめんなのかもわからず、そのしゅんと下がった銀髪を見て、(なん・・・て顔してんだ)、と思った。
「・・・・土方」
と、遠慮がちに、小さく。すこし俯いたまま。眉を下げて。目だけこちらに。
まるで、叱られた犬みたいな顔をしていた。
そんなものは、この7年間で、初めて、見た。


どこかのらりくらりとしていて、マイペースなのが坂田だ。そこに、前まではちょっと荒れてたんだろうな、という空気を持って。 よくも悪くも無邪気で、これが坂田なんだと思った。 今日、大雨の中、家に訪れた時だって、上手くいったんだと笑ってた。
それが、何を今更、そんな顔をするのか。
とりあえず、「・・・・離せよ」、と言うと、素直に手が下りる。
「・・・・・」
・・・調子が狂う。何かは知らないがとても、悪い、と思っているらしい。あの、坂田が。
こちらに背を向け座った坂田の隣に、自分も座って、煙草を手に取った。
「何が、ごめんなんだ」
「・・・何回言うと許される?」
許される? 急に、何かを許されたくなったのかこいつは?
「無理にセックスしようとしたことか?」
「・・・・それも」
「も、って?」
「だから・・・・あーその・・・・」
「あ?」
「や、だから、その前に、さ・・・・・確認が」
坂田の頭がほんの10度くらいだけ振り向いて、また戻る。
「あのさ、土方って、俺のこと、ほんとに、アレなの?」
まっ・・・・・・、正面から聞くなよ。
でも、そんなのは、さっきバレたことだ。お前だって聞くまでもなくわかってんだろう。・・・ふっ、と軽く息をつく。ようで、飲み込んだかもしれない。
らしくもなく、くちびるが緊張していた。
「だったら、何だ。それを確認して・・・どうすんだよ」
テーブルの下で、足を足で強く押さえながら言った。黙っていられる間がひどく居心地悪くて、灰も落とせない。
「だから、だったら、俺。何も知らずにセックスなんて。最低だったかな、と思って、だから」
・・・・・・・何だ。
そんなのは、今更だ。変に構えていたせいで、ごっそりため息が出ていきそうだった。確かに、恨みもしたけど。 坂田に自覚がないのだから、それは仕方がないと悟ってからは、それほどでもない。 坂田らしい、と苦笑して、どうにもできない自分に自嘲するだけだ。ごめん、なんて言葉はいらない。 惨めさを浮き彫りにされたようで、いっそのこと腹が立つ。
その気配を感じ取ったのか、坂田がこちら側に手をつき、やっと自分に顔を向けた。
「そんで、そのさッ・・・・・」
まだ会話は終わっていないとでもいうかのように急いで口を開く。 それから、すこしの間まぶたを伏せて、細い息を吐いて、ゆっくり、自分を見る。
「そんでそのさ・・・・・・・あーごめ、ちょっと待って」
「・・・何だ、落ち着けよ」
「あのさ、土方・・・・今までは、その全然アレだった、んだけど」
「・・・・・」
「そのォ・・・・・・・・・・・・・・・き、かも、しれない・・・俺」
土方の、こと
・・・ふん、と頷きそうになって、え、とまぶたをあげる。
頭がちょっと働かない。
結果、今度こそ視界はなくなった。
坂田に呼ばれるまで、永遠に戻ってこないかと思った。
傾きかけた体勢を立て直して、焦点が帰って来た瞳で坂田をみる。
「何・・・な、にが何だって?」
「うそ、もっ回言うの?」
何を、そんなに赤くなってるんだ。今何て言った? ・・・まさか合ってるのだろうか。ものすごく聞こえにくかった声は、 俺の予想で、当たってるのか。こんなに、いきなり?
・・・んな、バカな
「信じてないだろ、お前」
「・・・信じるも何も、かもしれない、って何だよ。何がかもしれないんだよ」
両手をついて、すこし坂田に詰め寄る。坂田はこちらの首筋や唇に目をやり、 後ろを振り返りながら、手の平で制して、胸板を反らせた。
「いや、だから・・・」
「全然、聞こえなかった。何がかもしれないって?」
「ちょ、いや、」
「聞こえなかったからには何にもわかんねェよ。『かもしれない』の前にお前・・・・何か言った?」
「あ、マジ勘弁して・・・お前ヤバイから」
「何が」
坂田は顔の前で両手を交差して、己の視界を塞いだ。
「エロい」
「それが言いたかったのか」
「ちょ、違う!」
と言いかけた坂田に、近づく。
「体目当ては俺だって例外じゃねェから、別に恥じることじゃねえよ」
言いながら、そのまま色んなものと一緒にふさいでしまおうとした唇を、
「土方」
急に、真面目な声で遮られた。
今までのたじろぎが嘘みたいに、坂田が一直線にこちらを見ている。
「な、に、・・・」
セックスがしたいだけだろう?と仕掛けた目論見も、どこかで先に逃げて守ろうとしていた気持ちも、全てを見抜かれたようで、 掴まれた手首を押し返そうとするけれど、瞳から目が離せない。 ごめんと言ったかと思うと、今度はこんなにも光が強い。
こんな坂田は、俺は、知らない。
「試そうとなんかすんなよ。意地悪い。セックスから入ったのは俺が悪かった」
「だって、お前、」
「土方、聞いて」
だって、そんな、いきなりおかしい。ありえるはずがない。
暗にそういうこちらの目を、坂田の視線が射抜く。
「大事な所で嘘なんか、お前についてきたこと一度もないだろ。そこだけは7年間の友人として信じてよ」
・・・なかった。きっと、なかった。
けど、という言葉を坂田の本気の瞳を見てしまうと、その空気に全て飲み込まれる。
いざという時の坂田のそういう力は、すごい。
不安や疑いを塗りつぶされる。胸の内側まで入ってきて、今までの過去やこれからの未来を奪われる。
観念、させられてしまう。
声も出してないのに、喉がかすれた。
「俺、今、ほんとに自覚した。お前にそんな風にされるとすんごく切ない。 こんなの知らねェよ。これまでに知らない。かもしれないじゃない。 なァ、俺がもう一回言ったら、もう戻れないよ。覚悟、ある?」
「・・・・・・・」

「本気で恋愛する覚悟、ある?」
俺と

「俺、あるよ。言っていい? なァ、好き」
そう言って、手を掴んで、じっとこちらを見据えている坂田を。見ていた瞳を、土方は、ゆっくり細めてまぶたで隠した。
暗いその中で、7年間の風景が速く過ぎた。
高校の頃の三年。屋上。コンビニ。卒業してからの4年。居酒屋。アパート。
色んな坂田がいて色んな自分がいて、最近、急にめまぐるしく変わりだした自分たちの関係。
・・・・。
「土方?」
力の抜けた額を肩に乗せる。喉が痛い。本当に言葉が出ないという時を今初めて知った。電車の隣で眠っていたあの昔から、ぜんぜん変わらない坂田の匂いがした。

・・・・バカじゃねえのか。
俺は、恋愛なんか、とうに、している。
高校の頃から。
ずっと、してる。

気づかなかったのは、お前だ。ずっと俺を見なかったのはお前じゃねェか、バカ。坂田は、うん、と言ってこちらの髪に触れたが、うんじゃねェ! と払いのけた。
「ええ、じゃ、何て言ったらいいわけ」
「終わりにするか?」
「・・・ふざけてんの?」
坂田のこわい部分が顔を出した。構わず、坂田の手の上から思い切り体重をかけて手を重ねてやった。う、という声が聞こえる。
「例の・・・バイトの後輩か何かだよ」
「・・・・ああ!」
今思い出した、というように坂田が声をあげた。・・・こいつも相当ひどい男だ。
俺も、何でこんなのに惚れたんだろう。本当にわからなかった。
だけど、仕方がない。
坂田の首筋に鼻を埋めると、単語にできないものが、 あふれるほど胸を満たしてくるものが、たくさんある。喉元やまぶたの奥までいっぱいにされて、言葉を出そうとする度、熱い唾を飲んでしまう。 胸が詰まって、本当になかなか言葉が出てこない。
何せ、こっちは7年分だ。
どんだけ重いか、思い知れ。
「そう、する。明日にでも、言うよ」
手の痛みに苦笑しながら、こちらに唇を寄せて坂田が答えた。目を開けたまま、しばし舌を絡め合う。 徐々に深くなって、いつの間にか押し倒された。
「土方」
坂田が名前を呼ぶ。もうずっと昔から呼ばれて来た、それ。
変わらない。
だけど、自分を求めてくるのが、伝わってくる。本気でこの体を愛したがっているのが、伝わってくる。 あの坂田が、今そんな風に自分を。 それは何故なのか、泣きたいほど切なくて悲しい。顔に出たのか、坂田がゆっくりこちらの鎖骨を噛んだ。 本気で求めた相手に本気で求められることが、こんなにも甘い疼きと痛みを伴うことを、土方は知らなかった。
確かに、これは今までとは勝手が違う。
「・・・・何難しい顔してんの? 色っぽいけど」
「は、ン、お前に言われた、通り、覚悟してんだよ」
鎖骨に残った噛み痕に手を当て、きつく目を閉じたまま言うと、坂田はまばたきをしてから、・・・よく今まで落ちなかったなァ俺!と両手で顔をおおった。







だけど、土方にはどうしても気になることが一つある。
「あのよ、そのバイトの奴って、後輩だろ。いくつ?」
「ん? ええーっと、19・・・・・写メ見る?」
見る、と言って、坂田の携帯をのぞきこんだ。・・・かわいい。
「心配しなくたって、ちゃんと別れるよ。な、だからさ、土方・・・・・・」
また腹を妖しく這い上がってくる手を止めさせ、土方は思慮深く黙り込んだ。

「あ、高杉、てめー出んの遅いんだよ! あーあーオカゲサマで。や、待てって、ちょっと土方のことで聞きたいことあんだけどさ、」
坂田が、台所の端で隠れるように電話しているが、大声だから筒抜けだ。
「いや、年言って写メ見しただけ・・・・え? や、そーゆーのはわかるけど、いくらなんでもさァ。別れてほしいだろフツー、だって好きな男の彼氏だぜ? ハハ」
好きだなんて、一言も言ってない。土方は、変なところで意地を張った。
「嫌だ。いーやーだー。・・・・・・・うっわ、それ言うわけ? ・・・・わかったよ」
坂田が眉を寄せながら歩いてきて、床に座っているこちらへ携帯を突き出した。「高杉」、と早口でいう声は心底嫌そうだ。 ・・・まさか、妬いてるんだろうか。そういえば、何か高杉としたことを責めるような口調をされた。 おいおい、ヤキモチ妬く坂田なんか、この7年間まったく知らねえぞ。 会話を盗聴するように、背後からくっついてくる。べたり張り付かせたまま、電話に出た。
「土方ですけど」
棒読みで言ってやると、
「お前、相変わらず、かわいい年下の男にはとことん甘ェな」
てっきり笑ってくるのかと思いきや、高杉の呆れたような声が返ってきた。
「仕方ねェだろ。かわいんだから」
言った瞬間、ぐ、と腰に回された坂田の腕に力が入る。このまま、技でもかけられそうだ。
「あん時は妬いてたじゃねーかよ。てめーはバカか?」
「19となると話は別だ」
あのかわいい顔が涙で歪むのを想像すると、やるせなくってたまらない。19だぞ、19のかわいい男の子。 それを思うと、どうにもしがたい気持ちで一杯になる。だから、やっぱ別れんな、とそう言った。土方は、特に好んで年下と付き合ったりすることは別になかった。 なかったが、いざとなると、底なしに甘かった。
「で、お前のクオーターはどうした」
「・・・・・」
「何だ、銀時の前じゃ言えねェってことは、切れるつもりねーんだな」
だって、かわいい。しかも、俺のことを好きだという。あんなにかわいいあいつを、泣かせられるわけがない。 弱った子猫を雨の中に放り出すようなものだ。
「いやそういうわけじゃ」
「そういうわけだろ。あのな、本気の向こうに中途半端にしたってもつれるだけだ」
耳を疑った。何か、高杉がまともなこと言ってる。
「だいたいてめーらも駄目になるんじゃねェのか? そういうの」
「そうか?」
「知らねェ」
肝心なとこで投げやりかよ。
「もういい、銀時に代われ。あいつイマイチ、てめェのそういうとこ本気にしてねェからな。 あァそれから土方、浮気の相手ならたまにしてやるぜ」
離しかけた耳に、低くて腰に響く声が入ってくる。・・・万が一のそん時は、今度こそ俺がやるからな、とは坂田の前では口に出さずに無言で携帯を返した。
は、とか、へ、とか、いや・・・マジでマジなの? とか返事していた坂田は通話の終わったらしい携帯を持った手をぶらさげてしばらく後ろで黙っていた。 それから、ものすごいため息を吐き出す。うなじに柔らかい髪の毛が当たり、唇が落ちた。
「もう俺も、死ぬ気で覚悟する・・・」
何だか、悲壮感を含んだ坂田の固い決意の声が背後で聞こえる。
とにかく俺と同じように覚悟をするのは公平でいい、 (俺は絶対別れるし、こいつにも絶対別れさせてやるっつったら、ああたぶん殴り合いの喧嘩だ・・・やってやる)という坂田の複雑な胸の内も知らず、 フ、と唇の端をあげて土方は後ろにどさりと背中を預けた。何だか爽やかな映画が観たい気分だ。すこし恋愛の入ったヤツがいい。 終わりには未来を感じさせる、一等、壮大な。そう、フランダースなんて、あんな泣かせる、ヤツじゃなく。



2008.