自分はというと、ポタリあごをつたって血が地に落ちたところで、あーあ、とすこし冷めていながら、
こういうものは慣れたとしたってあたり前ではないなと、実際、思っている。
何百回とケガを負っているうちにそれを普通のことと割り切ってしまうようになると、たぶん危険なんだろうことを沖田は知っている。 わざわざ自ら死への近道を走ることは、ない。
そのために、痛いという感覚がある。
よく、できてる。
(だから、と、いって)
ゆっくり、こめかみの色んなものを腕でぬぐった。袖から匂う濡れた土を、くんと嗅ぐ。 太ももをはらって向こうに立っている土方を見つめがら、沖田はそうして、ふと気になっていたことを思い出したのである。
まるで無傷の彼が赤いのはいつだって他人の血なのだ。
気づいているのか気づいていないのか、ただ今しがた斬った相手の背中をぼうと見ている。
「あんた、何かついてますぜ」
沖田は立ち上がって、言った。
土方は振り返って、はたと考えるようにどこかへ目を向けてから、ああ、と思い当たったのかゆっくり額をかいた。

人間じゃないだろう。
さあ。たぶん違うんじゃない。
お前、見えんの。
え、あんた見えてないんですかィ。

驚いた。
本人にも目には映っていないらしい。
黙って土方の頭上へ、まぶたの下から目をあげる。
「・・・」
だって仮面の男は、そこにいる。
いつだって、彼と共にいる。
白い鬼の面であった。
それ以外よく認識することができなくとも男のようだとわかるそれは、いつでも土方の後ろに張りついている。 幽霊ではない。妖怪でもない。ただ、強烈な意識だ。どこか空気に奇妙な威厳があって、幅の広い感情を司り、気は決して穏やかではない。 何の為にそこに存在しているのかなど興味もないが、とにかく土方に対する独占欲が異常に強く、そこに関しては徹底的に盲目なのである。 土方の側でこれは自分のモノといわんばかりの仰々しい佇まいでそこにいるのである。
「あんた、この頃、ケガしないでしょう」
守られてるから。
土方は気に入らない言葉に、ひどくまゆを寄せた。そののん気さに沖田は、とても腹が立つのだ。
この鬼の仮面ときたらまったく何様であることだろう。
土方が剣を抜いて構えるとその足元から湧きあがる禍々しい悪意に、すくんで動きが止まっている相手がいる。 彼の全身を漸風が砦のようにして取り巻き、近づいた味方の肌まで切れる。 目に向かってきた剣の軌道が直前でそれたり、ぱっくり割れたはずの傷が綺麗にふさがったり、もう普通じゃない。
そんなことは、あってはならない。
沖田の隣にいる土方において、そんなことがあっては決してならない。
(それに合わせて戦っていたら、すべてが鈍ってしまうということを、土方はよく知っておかなければ、いけない。)

「何だ。死んでくれた方が、いいんだったろ」
自信からくるのだろうか、土方は冷静に制服を正して、じつに嫌味に言った。 いたって面白く、ないのだ。土の乾き始めた前髪のすき間から、妙な白い鬼の仮面を睨みつけてみた。 いったいどこでこの男に目をつけ、くっついてきたのか、土方も土方でなに鬼なんかにとり入られているのか、
(鬼はアンタで、あったはずだ)、
そう、ぜんぜん、 面白くない。

「襟」
「・・・ん」
土方に顎をあげてみせると、砂で汚れていない両手が折れたこちらの隊服へ伸びる。夕方の赤い空気が、終わった戦闘の名残の漂う辺りをじんわり満たしている。 そのまま傾けた顔を近づけ、舌で口の中に割り込んだ。どうせ予感のあった土方はいつもより大人しく、そこを開く。両手で服を掴んだままその体を壁に押しつけ、 なめてなめて舌先を喉の手前までつっこみ、えずかせる。 鬼の仮面の怒り(と思えるもの)で悪寒がする。
面白くない、こいつのせいで土方は死なない。 あんただけ生きて俺だけ死ぬようなことがありえ明日の命のわからない同じところに立っていられないで、いるなんて、不公平、極まりない。
そんなのは、違った。そんなのは土方と沖田じゃなかった。
ちらり土方の後ろをもう一度見ながら、これ見よがしに熱い息を吐かせた。
下くちびる同士をくっつけたまま、いう。
「これはお前のじゃない」
鬼の仮面はひどくかなしい空気でふるえた。
沖田の知ったことではない。