「昨日確かに見たからな」
隣でしゃがみこんでいる土方が、言っている。
座り方だけ不良みたいにしている土方は、頭にちゃんと赤色のはちまきを巻いて、応援団の学ランを着こんで、裸足で底のうすいスニーカーを履いている。
「嘘だったらタダじゃおかねーアルよ」
「今日は味方だろうが、俺たち」
俺たち。神楽は、両手に持ったソーダと苺練乳のアイスをかみ砕きながら、それを胸の内でくり返した。目の前で砂ぼこりが海を走る湯気のように舞う。
「それもそうアルな、チームだもんな、俺たち」
「何気に入ってんだよ」
土方が喉の奥で小さく笑った。それから白いミルクのアイスを傾けて、かじる。 出番の遅い土方と自分はもうすぐ来るそれをひたすらに待ちながら、熱いグランドを遠巻きに、木の影の中で、さっきからしゃがんで座っていた。 黄色いテントは、白い校舎と空を後ろにぴかぴかと光っていた。 膝から下の素足が何本も通り過ぎて、パアンというピストルの音がして、意気をかきたてるような大きな音楽がかかっている。
体育祭である。

「お? アンカーが走ったネ!」
しゃがんだまま、下の砂を足で集めて、ぱんと踏んだ。
土方が昨日見たのは、青組が障害物競争の最後で転ぶ夢である。
わ、と入道雲みたいに盛り上がった向こうへ二人して首を伸ばしてみたら、たいして誰も転びはしなかったのだけれど、 確かに赤いはちまきの頭が一番にゴールを突き抜けた。
『一着、赤組』
騒がしいグランドにアナウンスが、堂々、響き渡る。
依然ヤンキー座りの土方へ前を向いたまま膝の横から出した手の平を、パン、と叩き交わして、共に無言で勝利をたたえあう。 アンカーを務めた仲間が、わああと声のあがっているテントの向こうでこちらに向かって拳を上げてきた。 それに伴って、雄たけびと一緒に真っ赤な旗が炎のように左右へばたばたなびいて往復する赤組は、その色と同じで本日はグランド一熱いのである。
「優勝はもう頂きネ、ザマーミロ赤組以外のザコどもがァ」
「勝負は最後までわかんねえぞ」
もう終盤に入っている赤組天下のにぎやかで開放的なグランドに満足して、両手で両頬をおさえた。
あたり一面に、今日一日中砂の匂いがしている。
ご機嫌なまま、ぐるり見渡した終点の、青組のテントを見る。
ちらちらみえるバカっぽい銀髪。
「オイ土方、あそこ、銀ちゃん銀ちゃん。負け犬に何か一言言ってやるアル」
「・・・・・」
返事がないのでぱんぱん膝を叩き続けていると、いい加減土方に頭をはたき返された。
ずれたはきまきを髪の上でなおして、テント下を眺める。
後ろ手をついて座っていたり水を飲んでいるばらばらの生徒達がいて、やる気がないわけではないけれど、まあどちらかというとどうでもいいよな、 という、すれた雰囲気が青組である。沖田もいる。
(比べて、うちのクラスは、イベント事に対して、どこよりも真っすぐ真剣なのである。)
その中に、こちらに気づき、のろのろ立ち上がっている銀ちゃんがいた。
ビニールの上に座っているその青の団体を出て、陽の中をだるく歩いてくる今日は敵である銀ちゃんをまだアイスをしゃくしゃく噛みながら、見上げた。
隣の土方も、遅れて顔をあげる。
銀ちゃんは、半分あきれた目をして、腕をかいたりしながら、元気のよい赤組のテントを横目でみていた。
「なーに今日はやけに仲いいんじゃないのーお前ら。小学生かよ」
「うーちーら赤組、ばんざーい! アルよ!」
土方の肩に腕を組んで、イエーイとその片手を人形みたいにして持ち上げた。銀ちゃんは心底面倒くさそうに、はいはいと軽くあしらってくる。 青いクラスTシャツがよく似合う銀ちゃんは、負けているくせにとても余裕の表情をしている。
そうして、黙っている土方を見下ろしている。
わあわあと騒がしい校庭を背後に、口はしを上げて、見下ろしている。
土方は、祭りの時のようにまくりあげた青い袖から見える銀ちゃんの肩を、細めた瞳で見る。
土方は、銀ちゃんが好きだ。
態度がだるそうではちまきも巻いていない(ひどく青組らしい)、銀ちゃんの、 土方のようにきっちりと真面目な(ひどく赤組らしい)男がいったいどこに惹かれるんだか、好きなのだ。
カンのいい銀ちゃんは、それを知っていながら、知ってるんだぜ、という目をして、それを見る。 それ以上はどうにもしない。ただそうして土方のプライドをあおって一人で楽しんでいる。(と新八が言っていた)
だから、土方は日ごろのその意地で、今日は絶対に負けられない、と思っている。
私だって、勝負事が勝負事である限り何が何でも負けられない、と思っている。
勝ちに向かってがむしゃらにならないなんて嘘である、と赤組、みんなが、思っている。
今日の私と土方は、その燃えるような赤色の旗下において、固く、一致団結している。
それが体育祭だ。それこそが、運動組のお祭りなのだ。
ふー、と鼻から息を吐いている、てんでやる気のない銀ちゃんを二人して、じっと睨んだ。
「でもこれさァ、お前らの勝ち。もう決まったようなもんじゃん。応援団なんかいらなくね?」
「ぬかせアル」
「・・・ほら行くぞ」
土方が、立ち上がりつま先の靴を叩いた。 マイクの雑音がひびいて、アナウンスが鳴る。
白い手袋に手を通し、肩にかかったはちまきの端を、ぱ、と払って、空の下へ出る。 陽射しの中で、どこまでも黒い髪がよく目立つ。ぴんと張った空気が彼の背筋を包んでいる。 体の中にある芯を常に真っすぐ通らせている人間特有の気が、うすい風みたいにして吹いている。
格好いい。
思いながら、赤が集まっている景色に向かって歩いて行く、土方の背中をぴょんと追いかけた。 あたしは肩に羽織っていただけの学ランに片方ずつ腕を通して、テントの前におもむく。
待っていたクラスメイトたちが、わいわいと迎え入れてくれる。気合いの入った太鼓係が力強い音を鳴らしている。
その土方と並んでいる後ろから、案の定、銀ちゃんの視線を感じた。

振り返ったら、銀ちゃんは影の中から、ひどくまぶしそうにして、土方を見ていた。

そうしているんじゃないかと思っていたら、本当にそうしていたので、すこし、びっくりした。

「・・・今さら遅いヨー」
団子になっている赤組の中から、手に持っていたメガホンで銀ちゃんに言ってやる。
銀ちゃんは片眉をちょっとあげてから、すこし笑っている。
もう前しか見ていない土方の背中を遠くに、青いTシャツに包まれて、笑ったままでいる。
それを見ると他にも何か声をかけてやりたくなったけれど、今日だけは赤いはちまきを、きゅ、と結び直し、 暑いグランドに揺れる旗の元へいざ堂々と踏み出すのです。