原作設定 俺にはあんがい物欲がない。 子供の頃から失くし物には淡白だった。草履でも飴玉でもなくなったものは仕方ないからと諦めた。 こうして大人にもなれば確かに見栄は張ってみたい。けど、自分で高い金出してまで良い靴履きたいとは思わない。 皮の財布も光る車だって欲しくない。安くていいから美味い物、低い予算でいい仕事。ささいな喜びと充実感、気付けばそれが俺の幸せだった。 価値ある物を恋人みたいに夜な夜な愛でたりなんか、しない。 大事なものは綺麗な箱なんかに仕舞わない。 「・・・・よし」 ブナの木の根本にスコップで掘った小さな穴を足の裏でパンと踏んだ。 他より色の濃い土が夜の中、柔らかい丸みですこしだけ盛り上がっている。隣には金魚のお墓と書かれた札があった。 とたん顔も知らない子供の様子が思い浮かんできて感傷的になってしまう半面、どこかがひやりと冷めている。 それは胸の隙間かもしれないし脳の端っこかもしれないし、ただの指先かもしれなかった。あいまいで見えない奇妙なその感覚は、 かつてどんな時でも必ず残していた客観的な自分である。・・・冷える肌寒さに何となく肘をさすった。 「へえ、そういう黒い顔。するんだ、山崎」 「びっ・・・くりしたァァァ! いっ、いつから居たんですか旦那!」 思わず変なポーズでスコップを構えて、公園のベンチに座っている銀髪を振り返った。 銀時はのろい動きでアイスの角をかじり、冷たさにキーンときた顔をしばらく俯かせておいて、無駄に男前風に立ち上がった。 こんな夜中に一人でアイスを食べているという素行がなくとも、彼の影はいつもより、すこし、気味が悪い。 「ッはー驚かさないで下さいよ。何やってんですか、こんな時間に」 「いや別にーコンビニ帰りでそこの道歩いてたら、穴掘り出す奴がいたもんだから」 「・・・・」 「怪しい大人にしか見えなかったよお前」 「お互い様だと思うんですけど・・・・あ、いでっ!」 すねを蹴る黒いブーツ。うちのトップ3までもが被害にあっているこの男の突然な暴力は今に始まったことじゃないけれど、 その強い力加減は何か含みがあるとしか思えない。痛みでケンケンしながら、肩を無造作に掻いている手を辿って銀時を見る。 「お前のそういうとこがさ、」という彼の声はいつも通り淡白だ。人気のない静かな夜の公園では、音がよく響くようでいて、 すみで佇む黒い部分へ吸い込まれていくかのように密やかに耳に入る。 「あいつの好む要素なわけ」 「あいつって?」 「お前の副長のことだろ」 いやまァ、わかってて聞いたんですけどねー。つい口に出すと間髪入れずに頭をはたかれた。 「いったい! いや、逆に気に入らないんじゃないですか、そういう冷静さ、どうなんですか?」 「どうなんですかって何だ、知るかよ俺が」 「だって、あの人意外と熱いから」 「知るかよ俺が」 興味なさげに向こうへ目をやる彼から、視線をはずす。 頭のてっぺんをさすって、電灯の光の合間を黒々と縫う夜の暗さに、まぶたを薄めた。闇の色が畳に散った土方の髪色にほそほそ重なって、ふっ、と小さく息を吐く。 「んで? あんな懸命に掘ってまで、何埋めたの」 言われて、さっきの穴にちらりとだけ目をやった。 「別に、ただのライターです」 ふうん、と言う彼の目は読めない。何をも見ていないようで何もかもをも映しているようにも見える夜の光のない色した瞳だ。 眺めていると、それが横目で自分の姿を捕らえた。砂を含んだ風がふっと足元を吹き、そのくちびるがゆっくり開く。 「お前、寝たろ」 「・・・・・はい?」 「だから、その副長と」 「・・・・」 寝た。 さっき、した。けど。 急な指摘に内心すこし動揺しているこちらと反して、 「何でお前なんだろうね」 銀時は何事でもないような淡々とした声で星を見ながらアイスの最後を食べきった。 ・・・何でって。 土方のような男に一生ついて行くと腹に決めさせた近藤は彼にとって唯一無二の絶対的存在だ。 沖田と土方のそれは疎ましく思い思われているくせに、並んで居ることが何よりも自然に見える近藤以外の誰もが介入できない距離感だ。 あの3人に、肉体の。 ぶつかり合いはあっても繋がりはない。必要もないし在るべきでない。 だからで、それだけだ。 比べて自分は、いつだって彼らよりすこし離れた場所にいながら、土方の望みを察している。密やかさにだって親しい。 近づきすぎず、遠のかない。ゆるい空気を掻き分けるようにして彼が自分を必要としていることを悟ればすぐ側に行く、そばに、居る。 すべては雰囲気でわかるのだ。その結果、そういう役目が俺に回ってきただけに過ぎない。 「山崎」 その時、土方の部屋で、目の前にいるのにわざわざ名前を呼ばれたことに返事はせず顔をあげると、土方は額を片手でおさえていた。 情報の確認と明日の打ち合わせは終わっていた。何も言わずに近くまで寄って、手を退かせた下の瞳を見つめてみる。 まぶたに乗っている悪寒のするような暗い影が、じわりこちらを刺す。土方はそれを持て余していた。すぐに理解した。 だから膝立ちで指の間にはさまれているタバコをそうと灰皿へ退け、くちびるに親指の爪を落とす。そうして顔を近づけると、 土方の半身が後ろへひいたのでそれを追いかけるまま静かに畳へ押し倒した。 終始無言だった。 はだけて広がった黒い着物の裾がよく目に映り、中の何かを吐き出すような土方の短い息だけ聞こえた。途中に一度だけその唇の間に自分のそれを寄せ、 「副長」、とわざと役職で呼んだのはきっと征服欲だ。 人を屈服させることに快感を抱く、そういう素質を男は皆底に秘めていると思う。それでも、 彼が下に敷かれたセックスくらいで相手に屈する男では到底ないことだってわかっていた。 「・・・あ、行ったみたいですよ」 土方に戦場からずっと憑いて来ていた肌をぬるく舐めるような悪い気が上に消え、思わず声に出した。 土方の目がふっとこちらに滑り、ゆっくり天上の右端あたりを追いかけ、やがて呆れたように、フンと唇で笑んだ。 「お前はよ・・・」 俺に欲情したわけじゃないことくらいちゃんとわかってますよ、と暗に伝えて、 詳しい理由は追求しない、けど、寝ておいて何事もなかったかのようなしらじらしい素振りもしない。 余韻の空気を確かに漂わせたまま、自然といつもの関係へゆるりゆるり戻ってゆく。俺はそれを、提供できる。 「おい、火」 しかし完璧に服を直し終えたところで、土方がくわえた煙草をかすかにあげ、予想しなかったそれにちょっと慌てた。 えっ、あ、はい、火、火! 自分の膝元に転がっていた鈍い錆色のライターを掴み、急いで石を擦った。シュバ、と音がして揺れた小さな炎を煙草の先へ寄せ、片手で覆う。 それに対し変な間を開けて、細い煙を吐いた土方はしばらく黙った後で、 「・・・・誰も点けてくれとまで言ってねェよ」 妙に所在無いような眉の寄せ方をして、耳裏を指でかきながら言った。 思わずぼうと、まばたきした。胸にじんわり染みて血へ広がっていくような表情と声だった。 温かい湯に浸かっているみたいで、体がのぼせそうだ。惹き込まれる、と思った。 そうしてはじかれるように足裏で畳を踏み、失礼します!と部屋を出てきて今ここにいるのだ。残された土方は、一瞬ぽかんとしたことだろう。 銀時が半分水色に滲んだアイスの棒を自分がさっき盛り上げた土の上にざくりと立てる。 「ちょ、やめて下さいよ。縁起でもない」 「だって、どうせ何かを葬る為に掘ったんだろ」 ちょっと違うけれど。 しゃがみこんでいる彼の背中越しに、何も書かれていないそれを見つめた。 関係を持ったって、土方と自分のそれが変わるようなことがあってはいけなかった。 何故なら土方はどこまでも土方でなければいけない。隊員を引っ張り、先陣を突っ切り、誰の耳にもよく通るあの声で皆を奮い立たせる彼でなければいけない。 自分はそんな彼の部下である。そして同時にそれこそが、一番の自分の望みでもあるのだ。 そんな彼だからこそ、男として惚れ込んだのだ。 彼が煙草をくわえて言ったあの表情や雰囲気に思い入れを抱いたりなんかしたら、きっと徐々に崩れてしまう。それが怖い。 そういう距離ならいくらでも上手く置けるはずの自分が、弱弱しいほど自信がない。 「聞いてみればいいのに。何で俺なんすかーって。てめェの解釈じゃなく、本人にさ」 ふざけた声色にすこし笑う。別にそんな男女的な懸念があるわけじゃなかった。屈んでいた上半身を起こして、両足で地面に立った。 「・・・いいんです」 お前だから、とでも答えられたら、困るし。 冷たくなってる指先で顔横の髪を耳にかけて、ひたりそうつぶやくとまた風が吹いた。 こちらを見て何かくちびるを開きかけた銀時の前で、土の上に刺さっているそれをつま先でぱたり倒す。それでいい。ただ大切である物の上に無名の墓標は似合わない。 「・・・微妙で絶妙なんだな。お前とあいつって」 土を見ている彼のその声に含まれた密かな呆れのようなものを山崎は感覚で知りながら、声には出さずに黙って頷いた。 ← |