交差線は爪の先



窓から差し込む昼は、螺旋階段の縞縞模様。彼の革靴に、光と影の二つの線。鼻歌はストレンジャー。 それに対して、「・・・次元、気が散る」、というアンタの非難がほんとは非難じゃないことにあたしが気づいてるってこと、知らないの、 そうすることでしか彼の名前を呼べないのよ。ただ、外の光だけが薄く照らし出すその隅のソファーに彼のいる景色から、古ぼけた昔の写真みたいに 懐かしいような泣きたくなるような匂いがして、わけもわからず愛おしいのだ、なんて決して口には出せないの。

「しかしこれくらいで気が散るようじゃ修行が足りねえよな、五右ェ門。暇なんだよ。聞きたくないなら耳でも塞いでろ」
彼お得意の皮肉に五右ェ門はむと黙る。それでも鼻歌をやめて寝転がり直した彼の気遣いはまるで自然で五右ェ門はすこし目を細める。 それから、彼が暇で仕方ないのはルパンが長らくいないからだということに今更気づいて、五右ェ門はまた静かにまぶたを閉じる。
ばっかねえ、内心鼻で笑いながら、あたしは涼しい顔して窓辺に腰掛けアップルピンクのマニキュアを塗っていた。小指から塗るのよ。 人差し指は少しだけわざとはみ出させるの。何でかわかる。あまり見えないところほど完璧に綺麗にしてみせて、そのちょっとした差異に 男が気づくかどうかを楽しむの。 要するに、あたしもたいがい暇ということだった。協力を頼むなら今よ、まぶたは右手の爪へと伏せたまま、気配だけで五右ェ門に語りかけてみるけれど、 五右ェ門もまた難しく腕を組んだままだ。
次元と違い張り合いのない男、のどかなニューヨークの下街、昼下がり、時々喧騒が聞こえて遠くなる。
あたしは急激につまらなくなって、ハイヒールを片方の踵で脱ぎ落とした。
「ねえ、次元」
「何だ」
立てた膝に顎を置いて、足の爪へついでみたいに刷毛を滑らせる。
「用はないわ」
「あ?」
「なんでもないってことよ。ただ呼んでみたくなっただけよ」
ああ? とまた1つトーンがあがった彼の声は、攻撃的だ。まあ、この男はあたしに対してだいたいいつでもそうだった。
「お前の暇つぶしに付き合う気はねえぞ」
「なら五右ェ門、と、付き合ってあげたら」
五右ェ門がぴくりと神経だけを動かしたのがあたしにはわかったけれど、目はあげない。 アンタに秘められた幼稚な悩みなんかより、あたしはあたしの爪のほうがよっぽど大事だ。その 視界の端っこで相変わらず細い足首を組んで、次元の空気は、ゆらゆら、光と影の合間をきれいに漂っている。 それは、単に間取りや今の時間帯の日当たりのせいだ。それでも、 五右ェ門は息をひそめて、半開きのまぶたの間から、本当は、ねえ、それだけを見てるのよ。
「見ろ、五右ェ門は己の世界に浸りっきりだ。お前とは違うんだよ」
「あら、ほんとうは何に浸ってるんだか。さっきから見てばかりいるのは何なのかしら」
そこで初めて五右ェ門の顔がこちらに向いた。伏せたまぶたの下から瞳をやると、見開いてる目と合う。それから、ぎこちなくそらされた。 ゴホン、というわざとらしい咳つきだ。 次元が、ちょうどドアの方で鍵が回る音がして、廊下へと消えた時、あたしはくちびるの右端だけで笑ってみせた。
「どう、 用事がなくたって好きな時に彼の名前を呼べるあたし、羨ましい?」
「何を、その程度のこと、」
「できなかったくせに。今ソファーにいた彼が昼の光でやけに雰囲気よく見えたんでしょう。 ぼう、とただ呼びたくなったでしょう。彼のこと」
「・・・・・・」
「気が散るなんてしか言えなくって、いくじなし」
なッ!と言って五右ェ門は勢いよく立ち上がったが、あたしはフフンと無視して足の爪に目を戻した。
「ルパン、お前遅いんだよ。どうせ女だろう」
「あ、わかっちゃう、わかっちゃう? それがさあ、アタシルパンと離れたくなーい、なんてスパニッシュなまりの英語で言われちゃったらさァ、 もうそれがかーっわいいの何のって」
浮かれ顔のルパンが、渋いくちびるをした次元の肩に手を回して部屋に入ってくる。
「・・・、次・・・・・」
負けず嫌いで単純な五右ェ門はそちらを振り返り、名前を口にしかけて、閉じた。 その様子に気づいた次元はポケットに入れていた手を出し、ゆっくりルパンの腕を退けて、優しくのぞきこむように首をほんのすこし傾ける。 彼がそういうことをすればするほど、五右ェ門はまた理由もわからずあの匂いを感じて困る、その様子をあたしは目の隅だけで静かに、 感じとっている。
「どうした、五右ェ門」
彼の低く柔らかい声(あたしの時とはずいぶんと違う対応だこと)に導かれるよう、五右ェ門はくちびるを半分開く。
「じ、次元」
聞こえにくいそれに、ん、と次元は急に顔を寄せ、五右ェ門がえびぞりになった。
「何だ?」
「い、いや目的は果たした。もう何でもござらん」
「ああ何だよ、人のこと呼んでおいて、何でもござらんこたァねえだろうよ、おい」
「ござらんことは、ござらん!」
「はァ?」
「・・・・・・・・、近い・・・」
「何だって?」
「あ、あまり、寄るな」
「ふ、お前さんが後ずさるからだろう」
次元は皮肉なくちびるから、とても緩やかな笑い声を吐くから、五右ェ門は揺れる前髪で両目を隠す。
あっはは・・・・・・・・はあーあ
あたしは、「バカみたい」、小さくつぶやいたあと、五右ェ門の背中からふいと視線を外した。からかいがいと、その純情さに、すこし、羨ましさのある男。 キュ、とマニキュアのフタを閉じていると、二人を見ながら窓辺までやってきたルパンが、あたしの側に立つ。
「次元って五右ェ門に甘い気がしねえ? 俺には普通なのによ。たまーに納得いかないね」
(それは裏を返せば、あなたと次元の関係が特別ということにもなるでしょ。わかってるくせに)
「しかし、どうやってけしかけたんだよ不二子」
あたしは、塗り終えた全ての爪を見渡す。それから、螺旋階段の模様がルパンのジャケットに映し出されているのを見た。次元はその薄明るさと影で 言葉じゃない雰囲気というものが出る。 曖昧な日本の美を重んじる五右ェ門がそれを好むのはまあわかる。 ルパンのそれは、影のおかげで引き立った光の部分が彼の自信に満ちた笑顔をくっきりとまぶしく照らし出す。あたしは断然こちらの方が好きだ。
「あなたが来るまでの単なる暇つぶしだったのよ、わかるでしょルパン」
その肩に、爪を見せつけるよう人差し指から順に手を乗せると、ルパンは、わっはあ〜と声をあげた。 誘われたと勘違いしたルパンがあたしを抱きしめにかかり、 座り直した五右エ門はまだまだ未熟でかわいらしく、「フン小指だけやけにわざとらしい塗り方じゃねえか」、と、こちらを横目で見て口端をあげた、次元だけが、そう、言う。