「次元!」
不二子の金きり声が聞こえる。
お前ってやつは相変わらずうるさい女だなあと思ったが、自分が崖から落下するにつれ遠ざかっていく彼女のそれは、必死さと、(たとえば生死の)混沌と、ドラマの最終回みたいな ドラマチックさを持っていた。
次元がその時考えていたことといえば、もっぱら重力についてである。 それは、怪我をした体の重たさのことで、落ちている内にばっさり色彩の羽根が生えるような体感の矛盾だ。
あるいは、こちらに向かって懸命に伸ばされた不二子の細い腕のことだった。全く持って細かった。 だから空中に舞った帽子へと目をそらしてみた、そのすみで、不二子が一瞬だけ絶望的なくちびるをした。 どうせなら涙の一つでも流してくれたら、すこしくらいは、映画みたいだったと、後で、言えた。

「何で掴まなかったのよ」
ここまで下りてくる間にブーツを一足脱ぎ捨て髪が乱れた、片方裸足の不二子が怒っている。 ルパンなら、『そのアシンメトリーはミロのヴィーナスのようだ』、と、たぶん、言う。次元は、『疲れた娼婦みたいだ』、と思った。
「靴の踵がすべったんだ」
「ヘマして撃たれたことを反省なさいよ」
「大げさだよ」
潮が染みついた岩に体を預けて、打ちつけた尻の痛さにとてもがっかりする。 そんなことはお構いなしに、不二子はゴミ捨て場から拾った電子レンジみたいにしてこちらの腕をひっぱり上げた。
彼女がルパン以外のことで自分に怒りを抱くタイミングはことさら理解しがたく、 それが女というもので、アンタみたいな男には一生わかりなんてしやしないと、実際不二子が言っている。
こちらの腕を首に回してかついだ不二子は、
「細いのね?」
とぽっつり聞いた。 彼女の肩に回された自分の手首を裏返す。そうでもない。
「アンタのことじゃないわ。アンタが掴まなかったあたしのそれよ。ねえ見くびらないで、あたしはまだ生きることに本気で夢中よ。 悪魔に引きずられたって、あたしは一緒に落ちたりなんか死んでもしないの。次元に掴まれたくらいで、折れやしないわよ」
馬鹿ね
不二子のブーツが、出口の岩をガツリと踏んだ。その夕焼け色した横目が自分をとらえ、また前へと戻る。
・・・馬鹿
潮風がぱさぱさと不二子の髪を吹いた。海に半分隠れた夕日が普段は手入れの行き届いた彼女の痛んだ髪先を染めていた。 自分のスーツの袖にもそのちぢれた感触が束で割れてなびくのだ。 不二子の言い分にではなく、次元は何となくその光景に対して、悪かったな、とくちびるをとがらせたくなる。


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