「来ちゃった」


ブザーが鳴ってドアをあけたら、高杉と土方だ。それが彼女みたいなことを言ってるので、いったん閉める。
いっしゅん入ってきた外の全部と、あったかい自分の服のにおいが玄関でまじりあって、彼ら(もしくは記憶)にしみついたタバコのあともかすかにわかった。 世界は同じ場所にあるのだ。
「くそ、鍵までかけやがった」
「おい開けろ銀時」
「うるせー! 来ちゃったってどっからだ!」
窓から、背の高いパームツリーは空へつきだしている。 からっとあがった西海岸の日ざしの下で、住人たちが修理する気のないヘコんだ車がならんでいた。 一気に目がさめ、
「ここどこだと思ってんの?!」
もう一回ドアを引くと、2人より先に、旅行トランクがガガッと高杉に蹴られてすべり入ってきた。 ロスの地図が放られ、パンフが重ねられる。 最後に土方は、脱いだ背広をつっこんでるらしい、間違いなく日本の『銀座』の紙袋をボスッと置いた。
(・・・・ぎ、銀座。)
「そこのレストラン、チアガールみたいな制服だったぜ」、と高杉が言う。
「状況把握できない!」
「心配するな、海人Tシャツとかは持ってきた」
「そんな沖縄感覚で!」
「平気だろうよ、あすには帰る」
言いながらあがりこむ高杉は、足元だけテキトーなサンダルが逆にこわい。 2人の声や物音といっしょに、わっと玄関からふくらんでくる空気。それを追いつつ鍵を閉めるこの、ものすごく知ってるかんじ。 「何だ意外とせまいな」、部屋を見渡すことに気をとられているせいで、土方が俺に向かって差し出すビニール袋はちゅうとはんぱにずれていた。
「・・・アレお前」
どこかぽかんと受け取りながら、いまさら土方の服を二度見する。
「何で、Yシャツにビーサン?」
タバコの空箱を放った土方は、
「仕事終わりで来たんだよ。急に高杉が行くぞっつうから」
と胸元へ手をやり、
「あぁくそ、残り預け荷物だ」とポケットをたたいた。
「・・・・」
太陽でかわいたワンルームのなかで、トランクをはさんだ2人が鍵がどうのこうのとしゃがんでいる。 目の焦点を左右に動かすことでいそがしかった坂田は、口がじゃっかんひらいたまんましばらくそれを見つめ、ビニール袋をぽつと持ったまま言った。
「靴だけ・・・ぬげよ。ここ、日本人の貸し部屋だから」
「がっかりだな!」


ちっちゃい日本のコンビニ袋にマグネット将棋と、おつまみ、PHP文庫が縦にはいっている景色は、ふいに坂田の胸をうつ。
(飛行機のひまつぶしに買って使わなかったんだな。)
単純なエネルギーが葉のすきまや窓の切れ目からさしこみ部屋に陽のプールをつくっているなか、高杉の向かいに座った。
「空港からなにで?」
聞くと、高杉がやぶれたソファーから起き上がり、将棋の駒を引きよせる。
「車」
「レンタル?」
「こっちの社員に借りた」
「だまれよ資産家息子」、型紙みたいな国際免許をこれ見よがしにひらく高杉の頭を、わしづかんでゆらす。「どっか行った?」
「UCLAと美術館」
「そんな地味な」
「観光に来たんじゃねーしな」
「けど来ちまったからには、土産がいるから」
と、コーヒー片手に、「さすがに広い」と通りを見下ろしてる土方がはさむ。
「そこの大学トレーナーさえ買っときゃ万事OKって聞いたし」
「日本の古着屋で売ってんじゃん」
「まじかよ」
ぱちぱち、と駒がならび、手をのばすと窓の光にしかれた。

たとえば、スーツを脱いだ土方が、「おい適当になんか」と肌着でトランクをゆびさす。 高杉が投げたTシャツはあさっての方へとんでいって、「てめェな」と自分で拾いにいく土方の体が、日ざしをさえぎり光彩の影になる。 ソファでさらと前髪がながれている高杉は、くちびるの表情だけみえる角度がえろい。俺は、光のほこり越しに、それらをみていた。
(路駐用のメーターについて:
「あれって金入れた分の時間過ぎたらどうなんだ」
と、ついこないだ東京で駐禁を取られたらしい彼らが、海外に来てまで現実的なのかなんなのかわからない質問を、している。)
観光に来たわけじゃなく、あすには帰るという2つの黒髪を。なんとなく見てると、ああとおもう。 UCLAのあとに、ちゃんとサンタモニカのビーチなんかも散歩してから来たらしい2人のあいだで、ただよっている潮の時間はおちついていた。 とうとつに騒がしかった訪問に反して、本当にそうだった。たぶん、2人はそうして海辺を、ゆっくり歩いていたんだろうと思う。 高杉の悪ふざけや、たまに突っ走る土方のテンションの他に、無言の会話を2人はできるので、その姿をうかべるのはかんたんだった。 頼んではないけど、わざわざうちなんかへ様子を見に来させた罪悪感とか、何も聞いてこないふわふわした水のりみたいな感覚が、そこにすこし溶けてくれる気がする。

俺がバイキングで乗せたピーナッツバターをみた土方が、「うわぁ」と言うので、
「マヨ中毒のお前に、引く権利はない」
「だってさ・・・」
「8ドル? サンキュー、アイドントノー」
「その英語合ってる?」
レジを通った俺たちは、テーブルで示し合わせてもいないのにそろって窓をみた。 この街は、空と建物のあいだが、やけに広い。地平線へ近づくにつれ薄くなってく水色のぶぶんに、スカッとした空間があるのだ。 ここは天使の街だが、そこが彼らの通り道なんだろう。
「あと、マックの看板がやけに赤ェ」
高杉のどうでもいいような感想に、「本当だなぁ〜・・・」と土方の声が、旅行者っぽく間延びしてる。 俺は、はたと聞いた。
「そういや作曲家か何かのヤツとは、上手くいってんの?」
「いいや」
土方がすぽっとフォークを口に入れて言う。俺は、「ありえなくね?」と頭を起こして彼を見た。
「おかしなくらい溺愛されてたろうお前」
「若かったからだろう。年取る俺には興味がねえみたいでフラれたよ」
「いつ」
「昨日」
クハハ、と高杉が笑った。
「そういじめてやるな銀時。平気な顔して、実は山崎まさよし聴いてんだぜ」
「いや笑ってんのお前だけだよ」
腹を抱えてソファー席に反りかえってる高杉にあきれながら、飲みほしたスープをトンと置いた。
帰った部屋で、オレンジを切った。ガソリンでも入ってそうなタンクから牛乳をついで、ラジオの音楽のなか、
「あの〜・・・・って〜・・・・か?」
「だって・・・〜非常階段?」
2人が、同じ方向の夕方を、窓からぐーっとのぞきこんでいる。 向かいのレンガのアパートに、視界がぼう・・・と、のびた。 「本当かァ」と何を疑ってんのか彼らがそろってよその国の景色を背負い、「銀時」「なあ」と振り返る様子にはっとピントがちぢむ。
それは突如、まぶしい。
たった一瞬で、次には、もう、ない。
コップが、たそがれの色にだんだんふちどられ、夜のはじまりがおりてくる。 すこしかなしい黄色と夜空が、瞳のなかでまじってまわるころ、
「・・・映画でもいこうか」
俺は頬杖をついたままそう言って、「いや英語じゃ話わかんねーが・・・」となぜかあわててつけ足す。
「なら高杉に選ばせてやるよ」
と土方がタバコをしまった。
「音楽とダンスがあればなんでもいいだろう」
高杉がもっともなことを言う。その黒髪が夜風にぬれるので、かつて永遠につづいた昔の夜が俺の目の奥でちかちかとひかっていた。 (そういう魔術を持っているのが、高杉みたいな男だったのだ。)

翌朝、2人の物音で目が覚めた。
2人は、ゆるゆるした夜をひきずっている俺をベッドに置いて、本当にあっさり帰る用意をしていた。
「何もかもが唐突だわもう」
俺は、眠い目を猫みたいにしながら起き上がる。くつ下やビーサンをしまいきったトランクに座っている高杉は、土方の肩でタバコを吸っていた。
「お前も突然だった」
と言う土方は、本当ならどのポケットにも入ってたはずのライターを探り、行きの空港でぜんぶ破棄させられたことを思い出したのか、遠い目をした。 高杉が気まぐれにつれてきた昨日は、すべて朝日の温度になっている。 俺は、大家にもらったピーター・ラビットの缶からマッチを出してやった。 薬や絆創膏が入ったかすれ気味のそれをみて、ちょっと眠たそうな土方が言う。
「なつかしいな、なぜか」
遅れて、彼をみあげた。
「・・・そう?」
「前に見たことがあるわけでも何でもないが。やさしいものはなつかしい、どの土地でも」
そのとき、俺は、土方の瞳に射す、まるい陽のあとをみた。
俺は故郷がなにでできているかわかっていたと思う。
トランクとよれよれの銀座の紙袋をひきずり、「車のカギ!」「いま何時」「やべえ」とうるさい彼らが玄関を出る。「・・・気をつけてな」と手をあげる。 ドアが閉まりきる前に、「あの様子じゃまだ女に確かめに行ってねェぞ、情けねえ」と高杉の声がして、「うるせェ聞こえてんだよ」と自分の寝ぐせをなでた。 実をいうと女にはとっくに生理の報告をされたけれど、安堵とすこしの・・・放心で、気が抜けたのだ。 2人には言いたくないが、自由なうちに独りこの国で(・・・人生とかの)納得をさがしたのもおもしろかった。そう、しばらくのあいだ。
道路に出た2人の声が、光と風にのってくる。天使が通る空のすきまを、彼らは飛行機で抜けるだろう。
俺は、帰りじたくをはじめた。