仕方なく、口でいかせてやった、あの後。
しばらく坂田に背を向けて転がっていたけど、後ろで動く気配が全くない。
おい、お前ここはほんと帰っとくとこだろ、と振り向いてみたら、こともあろうか坂田は眠りに落ちていた。こっ・・いつ、よくこの状況でのん気に寝れんな、と 蹴ろうとして、
「・・・・・・・・・・土方ァ・・・」
いきなりくちびるを開いて言ったそれに一瞬、固まった。どきりとした。
「・・・・お・・起きたのか・・?」
床に手をついてのぞきこんでみると、完全に閉じているまぶた。 寝言だ、とわかった瞬間、かあッ、と赤くなった自分の目元の熱さに、うずくまりたくなった。(くそ、何の夢みてんだよこのバカ・・・) 両膝を開いて立てたしゃがみ姿勢のまま 前髪を掴む。手の下から、ちらり坂田の寝顔に視線をやった。
・・・高校の頃。学校帰りの電車の中で、部活で疲れた坂田が自分の肩に完全に頭を預けて眠った。髪の感触。汗の匂い。 半端に開いた近いくちびる。坂田とは逆の方向に顔を向けながら、ガタンゴトン揺れる電車の中で俺はじわり登ってくる性欲を抑え込むのに必死だった。
あの頃、何度か坂田で抜いたことがある。あいつがどんな風に体に触れ、耳に囁き、目を閉じて。セックスの相手に重ねたことがある。 これがあいつの手だったら、くちびるだったら、声だったら。一生、ありえないことだとわかっていながら、そうして、想像したことがある。
それなのに、今更、こいつときたら。
『俺と、一回、してくれない』
『お前どんな声すんの。出して、みせて』
(・・・・・・・・あ、ヤベ、勃ってきた)
坂田の寝顔に指を伸ばして、すこし触れた。鼻筋をなぞると、ふーんん、と声を出した。腕の筋肉、胸板、それから・・・・
・・・・初めて口内で確かめたそれ。どんな感じだろう。こいつと、寝たら
そこまで触ったところで、ターラララ、という着信音に、はっと我に返った。大きい音に急いで手を伸ばすと、高杉、の文字。 三ヶ月ぶりくらいの名前にまばたきしてから、タイミングのよさに苦笑する。ふ、といったん息をついて、髪をかきあげた。
「もしもし? 何だよ、珍しい」
「銀時からメール来たからよ。どうなったかと思って」
久々に聞く彼の声は相変わらず低くて独特で、耳の奥に残る。
「メール?」
「俺バイかもしんねーとりあえず土方に相談してくる」
くは!と高杉が心底おかしそうに笑った。ぜんぜん笑い事じゃない。まったく。
「・・・・あいつ、お前もそうだって知らねえの?」
「俺はバイどころじゃねー何でもいける」
「いや知ってる」
「寝たのか?」
「・・・・・いや」
「何だよその間」
通話口の向こうの、面白そうな口調。
「あいつのことだから、いっぺんさして、とか何とか言ったんじゃねえの」
その通りだ。さすが中学からの坂田のつれ、よくわかってる。
高校を卒業してすぐハッテン場で出会った高杉とは、すこし会話をしてみてお互い坂田を知ってることにすごく驚いたものだった。 まさか知ってるとは思いもしないものだから酔いの勢いで、ノンケ好きになっちまっててよーとか喋ってたらそれが坂田だとばれたんだ。くそ、タイムマシーン欲しい。
「いい加減やっちまえよ。いい機会だろ」
「簡単に言うなよ」
「お前こそ純情ぶんなよ。友情が大切とかいうたまか、やりてーくせに」
色んなややこしいものをとっぱらった高杉の単純な言葉が、耳にささる。足の親指なんかを曲げたりして戻した。
「・・・・俺今、一応相手いるし」
「操立てなんて、それこそお前の柄じゃねーだろ」
「お前、俺を何だと思ってんだ」
「淫乱」
「そりゃてめーだ」
本気で言うと、低い笑い声を返した高杉は、別れのあいさつもなしに電話を切った。
・・・純情ぶんなよ? 否定できない。しばらくの間、画面を見つめていた。片膝を立てて、ぼうとする。
それから親指をのろり動かして、あいつにかけた。「もしもし土方さん?!」 2コールで出た。相変わらず、かわいい奴だ。知れず笑みがもれる。 何かあった、と言うので、声聞きたかっただけだ、と答えると切なげに、そんな可愛い事言わないで、会いたくなる、という彼を愛しいとは思う。今は手放したくない。 だけど、坂田のことを頭から振り払うには全然足りなかった。感情の生まれどころが全く別のところにあるみたいだ。
「んん・・・な、土方、今何時?」
急に近い坂田の声と、肩に乗った顎の感触。
『やりてーくせに』
ああ、そうだよ。どうせ、意地になってるだけだ。あの頃は散々女と遊んでたくせに、散々そばにいた俺には一度も性欲なんか覚えなかったくせに。 こうして7年も友人やってると、そっちの方が当たり前になってきて、ああ気持ちも薄れてきたのかもしれねえな、と思ってたところに、 今更、どこの誰だかも知らない男のせいで目覚めたから、試しにしたいってお前、ああいいですよ、なんて素直に言えるか。
だから、あらがってみた。
だけど、結局、自分に負けた。
あの坂田が、自分を見る、したいって言う、手首を掴む、くちびるを求める。逆らえなんか、しない。


「・・・・・・はッ」
目が覚めた時、目の前にあった坂田の両肩を無意識に掴んで、思い切りまぶたを開いていた。 驚くほど完全に空白になっている頭。視界が脳に結ばない。何だ、どうなってる、俺いつ寝た?
「ひ、土方? 俺だよ」
「・・・・・・」
だんだん焦点が、つられてびっくりしているような坂田の顔に移る。・・・・ああ。ああそうか、あの後ベッドでしたんだった。
「・・・・はー」
坂田のTシャツ越しの胸板に頭をすりつけて、ようやく状況が理解できたことに安心して息を吐く。坂田の手がすこし止まって躊躇したような後で、そろりとこちらの髪を梳く。 心地よさに目を閉じかけて、はっと離した。何やってんだ。これは坂田だ、あいつじゃない。 くあ、額をおさえて俯いた。
「見てて面白いけど、お前大丈夫?」
「・・・うるさい」
「かわいかったのにー寝てるお前。俺の腕、巻きつけてさ」
坂田の頭の下から枕を引き抜いて、顔にぼふっと押し付け床に下りた。煙草をくわえながら下着とジーンズに足を入れる。
「相手間違えたんだよ・・・いつもしてるから」
肘で支えた手に頭を乗せ、こちらの着替えを見つめていた坂田は、ふううーーん、とやけに目を細めた。
「でも、坂田、ってゆってたよ」
「るせーなもういいだろ。今何時だ」
「10時。蕎麦でも食いに行く?」
くちびるから離しかけた煙草の灰がごそっと落ちた。火のついたぼそぼその固まりの中の赤が、床で消えていく。顔をあげて坂田を見た。
「セックスした後、無性に食いたくなるんだろ。お前」
「・・・・・・何で知ってんだ」
「居酒屋で言ってたよ」
何でそんなこと覚えてんだよ・・・。実際、坂田とそんな朝を迎えてその言葉を言われるなんて思ってもなかった。ぎゅ、と拾ったシャツを掴んでいる自分を、 ぺたぺた坂田の裸足が通り過ぎていく。勝手に冷蔵庫を開ける音。坂田、とくちびるを開きかけたけれど、その先何て言おうとしたのかわからなかった。 たぶん言わなくていいことだ。今まで通りにするには必要のない。坂田は一回男としてみたかっただけで、けど、自分からは昨日のセックスの余韻が、 蕎麦だなんてそんな他愛ないことが、簡単になんか、きっと、消えない。


「高杉がさーお前に相談しに行くのはやめろっつってたんだけどー」
「・・・・」
質素にざるそばを頼んだこちらとは違って、てんぷらをつゆにつけながら坂田が言う。
「あ、そういや、高杉とお前って何で仲良くなったんだっけ?」
「別に仲良くねーよ。偶然、ハッテン場で・・・」
「はってんばって何?」
「バカ、でけー声出すな」
こいつはほんと無邪気で困る。机の下で足を蹴ると、ちょうどすねに当たったのか、ぐほっごほ、とそばでむせながら坂田が俯いた。
「ッはー、別に聞かれたって普通はわかんねーんだろ」
「普通じゃなくて悪かったな」
「・・・や、そーゆう・・・・」
言いかけて、坂田は、何故かくちびるの先あたりをすねさせ上目遣いで、海老のてんぷらを噛んだ。
「何かさあ、高杉とお前って、俺のけものにして分かち合ってねー?」
「はァ? 何気持ち悪いこと言うんだよ」
「や、だから、お前らってさー・・・・・・・・やってんの?」
湯飲みに口をつけながら坂田を見る。自分の箸に目を落としていた坂田は、返事のないこちらを見返した。 箸袋にしまった割り箸を置く。
「やってない」
「えーうそ」
「何で嘘なんだよ」
「だって、今の間、あやしい〜」
「いいから、早く食え」
あきれ気味に、ジッポで火をつける。 まあ、高杉とは色々あった。あったが、別に坂田に言うことじゃない。ああ、これがのけものにしてるってことか? そんなのは仕方ないだろ、だってお前はノンケだったんだし。 何だか、じとーと感じる気がする坂田の視線に心の中でため息をついた。


鍵を回して、ドアを開ける。玄関の電気のスイッチを入れると、曇り空の今日の部屋が明るくなった。 靴を脱いで、ろう下に放っていた部屋着に腕を入れる。坂田が後ろで鍵を閉めた。え?
「おい、お前、まだうちいるつもりかよ」
背後で靴を脱ぐため、壁に手をつく音。
返事がないので振り向こうとしたら、急に、後ろから抱きしめられた。
「な、」
坂田の両腕がしっかり回っている。耳元にくちびるが食むように落ちる。
「ね、もっ回しよ」
鼓膜に直接入る低い声。
「・・・何、で」
「え、したいから?」
あっけらかんと言いながら、腕を入れかけていた部屋着を後ろから抜き取られ、うなじへとくちびるが移動する。
「駄目?」
「だめっていうか、まて、ちょッ、」
リビングに押し進められる体についていかず、足がもつれる。
「じゃ、駄目じゃない?」
いだっ、その体勢のまま無理矢理体重をかけられたせいで、額をローテーブルでガンと打った。一瞬目が開かないほど痛い。そこから、ずず、と床にすべり落ちる。 もんどりうってるこちらはおかまいなしに、坂田が背中からかぶさってくる。
「どっち」
・・・そうだ、坂田って、昔っからこういうとこ、サドだった。涙の膜が張ってる視界で、影になってる彼の顔を振り返る。自分を真っ直ぐ見下ろす瞳の光、銀の髪先、 痛みでしかめている目を薄めると、涙が盛り上がった。
「あ、ごめん、駄目っていわれてもしちゃうコレー」
別にするのはいい。どうせ、俺はもう坂田のことはきっとどうしてもそういう対象にして見てしまう。
だけど、こんな曖昧なまま。どこへ行くんだもう友人とは、とてもいえないこの関係は。
お前が寝たがっている男のための練習か。・・・ああ、高杉、やっぱり性欲に従うままするんじゃなかったよ。 全く、こいつがバイかもしれないなんて最悪な相談事を持ってさえこなけりゃ、表面上は平和なままだったのに。 (・・・あー俺もてんぷら食えばよかったな・・・・)とか何とかぐるぐると頭を回る色んなことを渦巻かせながら、 這い上がってくる坂田の手の感触に俺はただ目を閉じることしかできない。行く末を決めるのは、全部坂田だ。俺がどうこうできる余地なんか、たぶん、ひとつだって、そこに、ない。