昼ごろにベッドでぼんやり目が覚めると、雨の音がしていた。湿度が高い億劫さより、ひやりとした静けさの方。 それでも結構激しいそれをしばらく聞いてから、だるい体を起こす。ライターを拾い握って、どこでもなくを眺めた。 ぼうとしている頭に浮かんでくるのは、坂田とのことばかりだった。
ついこの前までただの友人だったあいつ。 とのセックス。
ガチャリ開く冷蔵庫の音。
「水しかねえじゃんー」、と光に照らされた彼がボトルに口をつけて飲み干す光景。
その後、いつもの調子で、「んじゃ、またね」と玄関で靴を履いて出ていった。
『またね』
・・・・あのヤローもう友人として見れねえって言ったこっちの台詞、わかってんのかよ・・・
気軽に泊めてやることもできないくらい。坂田の言葉と声を思い出して欲情するくらい。 なのに、坂田ときたら、いつもと何ら変わらない調子で。こっちの気もしらないで、と、気がつけばずっと考えている。
ッはー、と両手で前髪をあげつつベッドから降りると、ちょうど携帯が鳴り出した。ピカピカ光るそれにうなりながら手を伸ばす。あいつだ。
「・・・土方さん? 今から行っていい?」
「あ? お前期末は・・・、」
「ん、終わってない。それより、行っていいの? どっちなの?」
「・・・いいけど、お前どうかしたか」
いつもみたいに余裕で甘さを含んでくることもせず、何かを抱えて、せいているような声に聞き返すと、「なんでもない」と小さく、言う。 その答えに更にくちびるを開きかけたら、 電車きたから、と通話が切れた。・・・何か変な様子だ。いつもどこかひょうひょうとしているあいつらしくない。まあ、つい忘れそうだけどあいつもまだ青春中の高校生だ。色々あるだろう。 携帯の画面を見つめながら考えて、メールがきていることに気づいた。 坂田、という表示に一瞬、指がためらう。
『うまくいきそう』
・・・・・・・・何が?
煙草をくわえたまま、すこし眉を寄せた。
昔から坂田のメールは短くって要領を得ない。寝起きに理解するのは特に面倒くさい。 そのまま閉じて、テーブルに放った。ああ、洗濯物出しっぱなしだ・・・取り込まねえと・・・頭ではそう思っているのに、 講義のない休みの日にしとしと降り続ける雨がもう一度まぶたをゆるくなでるように閉じさせる。水族館の夢を、みた。ぽう、ぽう、と青い光が静かな中で魚がいっぱい泳いでいた。 隣にはよくわからない生物がいた。うちの星では、魚は食べない、と彼(もしくは彼女)が言った。その横で俺は、ふうん、と言いながら、ああサンマの塩焼きが食いてえなァ、と 思いながらも口には出さずに、ただ黙って魚を見ていた。

「・・・・・・ふッ・・」
肌寒さで、意識が浮上する。(・・・窓開けっ放しだ・・・) 覚醒した耳にチャイムの音が入ってきた。丸めていた体を解いて玄関のドアを開けると、 さあああ、とした雨の空気が横長のろう下向こうに広がった。あいつの色素の薄い髪色が濡れて艶を放っている。
「土方さん」
しっとり濡れた肌で彼がすこし笑む。
「おま、傘は?」
「ん」
「んって、ずぶ濡れじゃねえか」
「わざと。何だかすごく雨に打たれたい感じで、ねえ、中にあげて」
「来い、バカ」
肩を腕で抱くようにして玄関の中に引き入れ、ドアを閉めた。
風呂場からバスタオルを持ってきて、頭からかぶせる。 この期末中に風邪でもひいたらどうすんだよ、とそのまま両手でぐしゃぐしゃと拭いてやった。彼は、一瞬くすぐったそうにちょっとだけ笑いを漏らし、すぐにまた黙った。
妙な無言の間が漂う。
なんだか変な予感がするな・・・と、まぶたを細めていると、 バスタオルをかぶったまま彼の体がこちらにトンとくっついてきた。いつものようにキスをされセックスに移るのだと思ってその頭を見つめていても、 一向に上へあがらない。かわりに、きゅ、と片手だけ回され背中あたりのシャツを掴まれた。彼に今まで されたことのない控えめで切なげなそれに、まばたきをした。
「・・・・あのね・・・・・俺、話、ある」
「・・・何だ」
改まって、と年上らしく笑うことはいつになく真面目な空気にできなかった。
「俺・・・・ほんとは土方さんのこと好きなんだけど」
タオルの端をつかんでいた手が止まる。
空気が固まった。
好き?
肩に押し付けられる額、その告白を茫然と聞きながら、まだ頭ではよく理解できていなかった。
楽しく気楽な関係だった。出会った頃はお互い好きな相手がいて、だけどお互い相性が一致したから、 恋人みたいなじゃれあいはしながらも心地いい距離感を保ちながら寝るのがよかった。恋愛感情的に好きとはいえないけれど、愛しかった。 向こうも同じだと思っていた。
「・・・・・」
止まっていた手の中にあるタオルのはしっこを、ゆっくり持ち上げ、彼の耳裏を拭く。・・・ふふ、と息で笑う声が聞こえた。
「ぜんぜん知らなかったでしょ?」
「・・・ああ」
彼はバスタオルをマントみたいに巻きつけ、こちらの鼻先に自分のそれを寄せた。冷たくなめらかな肌質が当たる。
「土方さん迷惑がるだろなーって。わかってても、言いたかった。勉強も集中できないしさ」
すり、と鼻の頭が頬をかすめる。それから、こちらの口元に目が落ちて、彼のくちびるが近づき開いた。
「・・・・・土方さん、俺の・・・・・」
だけど、その先は続かずくちびるが合わさり深く角度が変わった。

「土方さん、痕ついてる」
「あー・・・したままだった」
時計を腕から外して枕の端にやる。こいつとセックスし終わった後は、うだうだと裸でいることが多い。いつもみたいにそうしながら、 まだぼうと、好き、と言われた言葉が脳の水中で浮いたり沈んだりしていた。
「土方さんの初恋っていつ?」
「小5」
「ほんと? どんな人?」
「ウィリアム・ハート」
「ははっ俳優じゃんー」
かろうじてかかっている布団の中で、こちらに絡みつけた足の甲をすりつけてくる。
「俺の初恋は中1。でも土方さんが、たぶん今まででいちばん好き」
うつぶせのままベッドから灰皿へ大きく手を伸ばして、煙草を揉み消した。 背中にのしかかってきた彼に、ちゅ、ちゅ、と背骨に沿ってくちびるを落とされ、ふうと目を閉じる。
好き。
彼の柔らかいそれに包まれながら、ゆるい時間を浮遊する。 そうして、ゆらゆら浮いていた久々に真正面からぶつけられた純粋で真剣なそれが、頭の中で何かの核にコツンと当たった気がした。
(・・・あ。)
目を開いて、寝台のライターあたりを凝視する。
坂田に対していつも思う、「こっちの気も知らないで」。当たり前だ。よく勝手にそんな恨みがましいことを思ってこられたものだった。
坂田は、昔から、なんにも知らない。
俺が言ってないからだ。
高校の頃から抱いている自分の気持ちなんか、俺にとって坂田とのそれがただのセックスだと割り切れないことなんか、なんにも知らない。 だから、あんなにも無邪気に相談を持ちかけ行為をねだって普段通りに振舞える。
考えてみれば馬鹿みたいに簡単なことだった。 言ってしまえば、いい。これ以上振り回されるのが嫌なら、悩まされるのがうんざりなら、自分もこいつみたいに吐露してしまえばいいんだ。 どうせもう友人なんかには戻れない。少なくとも、俺は、これから。
・・・・・どうするだろうか、あいつ。
俺の内を 知ったら
「土方さん、俺帰るね」
「あ?」
急に離れた体温に、頭が現実に戻って振り向いた。ちょっとわざとらしくスネた眉をしている彼の顔がある。 それが降りてきて、まつ毛をくちびるの先でなぞられた。
「さっきから、ココロ・・・心、ここにあらず、だもん、妬くよ」
「お前、現文ちょっとは点数あがったのか」
「っあーやめて。それより、土方さんも例のノンケに早く告白しちゃってよ」
「応援かそれ」
「まさか。早くフラれて俺のとこ来ないかなって算段だよ」
片目を細く閉じながら、彼の髪の毛に指をさし込み起き上がる。
「送ってく」
「土方さん、俺男」
「こんな暗い雨ん中、何があるかわかんねェよ。お前かわいいし」
服をかぶせてやると、両目をつむって頭を出した彼は、上目遣いで笑んだ。・・・くそ、坂田と違って本当かわいいヤツ。

勢いの止まない雨の中20分ほど歩いて、こうこうと光るコンビニの前でわかれた。水色の傘を見送った後、ポケットを探ってみて携帯を持って出てこなかったことに気づく。 「・・・・」 すこしの間止めていた足は、気づけば駅に向かっていた。雨水が跳ねる水たまりを踏む。 一人になると、ずっと頭のはしで考えていた坂田のことがぜんぶを占めた。 あいつが今家にいるかどうかもわからない。けれど、一度帰ってしまえばこの勢いはそこで切れてしまう気がする。 今を逃したら、たぶん、もう二度と言えない。
いや まあそれでもいいんだが・・・と背中が心もとなく引き返したがる気持ちにかられながらも、ビニール傘をたたんで、緑に光る切符のボタンを押した。その時の俺は、 『うまくいきそう』なんて意味の読めない坂田のメールのことなんか、すっかり忘れ去っていた。