外の雨が強くなってきたなあと思いながら、コンドームの先をくくってゴミ箱に捨てた。ハァ、と色っぽい息を吐きながら手の甲の下からまだ潤んでいる瞳でこちらを見てくる後輩に、 背中を伸ばしてキスを落とす。土方と違って可愛い。何ていうか胸にきゅんとくる。告白された時だってその感覚にやられたんだ。 思いながら、ティッシュに手を伸ばすと、ふっと何か今日見た夢の断片みたいなものが駆け抜けた。 たまにある、どうでもいい瞬間。 ・・・・はー、と後輩の腹に頭を預けて部屋の漫画の背あたりを見た。こちらの髪の毛の間に指が入り込んで、「・・・先輩、好き」、と呟くように言われる。 「うん」、と額をすりつけるけれど、俺も、とは言わなかった。

高校の時の夢を見た。
土方と、名前も覚えてないすんごく懐かしい男が出てきた。確か、アレだ、いっちばん最初に俺が見た、土方の彼氏。大学3年生の、ちょっとたれ目ないい男。 お前、あんなのがタイプだったのー、と聞いたら、俺、別にタイプとかねェし、とか淡白に言ってた。 その言葉どおり、土方が付き合うヤツらは顔から年までほんと様々で、別れるのも俺並みに早かった。
俺は、昔からあんまり恋愛について深く考えたことがない。楽しければいいとおもう。面倒くさいのは嫌いだし。仕草や言葉にときめくっていうのはある、 あー可愛いなあ、って顔が緩むこともある。けど、本気で好きかどうかって聞かれたら、いまいちピンとこない。そういう話を、わかるわかる、 結局そういうのって、瞬間の問題じゃんー、とか何とか土方と飲み屋でぐだぐだ意気投合して話したことが、ある。 一本筋の通った瞳を見ながら、こいつを本気にさせるような奴なんか、いないんじゃねえかな、と思った。 ・・・ただ、ふっと一人だけ思い浮かびかけた人物が、輪郭になる前に、溶けて、消える。

ぱんぱんと頭を叩かれ、は、と目を覚ましたことで眠っていたことに気づいた。ん、だり・・・。両腕でうつぶせの体を押し上げて、後輩を見ると彼が、
「チャイム」
と言う。
「へ、鳴ってた?」
「はい」
ジーンズに足を突っ込んで、上半身裸で玄関に向かう。 はいー?とドアを開けると誰もいなかった。ろう下を覗き込んでみて、あっ、と見慣れた後姿があることに気づく。
「土方?」
呼ぶと、細いジーンズの足が立ち止まってこちらを向いた。 濡れて、裾の色が変わっている。(サンダルだ、珍し、)と思って、へらっと肩をかいた。
「何、どしたの。直接来るなんて珍しいじゃん」
「・・・・・・」
何やら居心地悪そうな雰囲気を湿気と一緒にまとわりつかせながらこちらまで戻ってきた土方は、目線をこちらの股間あたりにやった。ええっ。 ・・・あー。見知った顔に、何だ、と気が緩んで、あげかけていたジーンズのチャックから手を離していた。
「見んなよエッチ」
両手で隠しておどけてみた自分を、土方がくちびるをすこし開いて、見る。・・・や、そんな反応されたら、俺のテンションが浮くじゃん。
「いや、ほら、メール送ったろ。それが結局上手くいってさー」
顔を寄せて部屋の中を横目で見ながら、ちょっと小声で言うと、土方は怪訝そうにすこし眉を寄せてから、ふと今何かに合点がいった、という目の開き方をして、 ば、とこちらから離れた。
「何」
「・・・・・・いや」
「えへ、いやって何」
笑いながら手を伸ばすと、顔を横にそむけて唇を閉じている土方の空気に、思わず指が降りた。 その影に、あげていた口はしがだんだん元に戻る。笑みをやめ、ドアを支え直した。
「え・・・どしたの、何か変だよお前」
「や、何でもねえ」
そう言って踵を返す土方の腕を、「おい」、と中途に浮いていた手で掴んだ。ぴく、とだけ反応した伏せたまぶたを土方はあげない。 だけど、こんな雨の中うちを訪れておいて、何も言わずに帰るなんておかしい。
「何、何か用事があって来たんじゃないの」
「何でもねえって」
前髪を落とした土方が掴まれていない方の手でこちらの手首を腕から押し退ける。 カリ、と傘の先がろう下をひっかく音がした。「ちょっ、土方」、と裸足でろう下に出るけれど、 もっ回掴もうとした手は宙に残ったまま、無視して帰っていく土方の濡れて色が濃くなった肩が階段で消える。
「・・・・・・」
(・・・・・え、何、あれ・・・) こんな変な雰囲気は初めてだ。頭をかいて、ものすごく釈然としない気持ちで玄関の中に戻った。ガチャリ閉まる音を聞きながらしばらく、 ぼうとする。
「大丈夫ですか?」
「んー」
何か揉めてたみたいですけど、と続ける後輩から視線を外して靴の上を踏む。ローテーブル前に片膝を立てて座り、100円ライターを手の中で弄った。
「あのォシャワー使っていいすか」、という言葉に、んーと返す。ぼんやりしたまま、ライターの石をひたすら逆に回した。
・・・・携帯で連絡もしないで、こんな大雨の中、うちまで来るって。どう考えたって、何もないようには思えない。 いや何かあったとして、俺んとこ来るようなヤツだっけ。何か話があったんじゃないのか。 だいたい、上手くいった、とか言ったとたんあんな態度になるのが変だ。
じわじわと、もどかしい渦が胸の中でわく。どくどく脈打つ血、・・・え、と口元に手を当てる。何となく一つの可能性にぶつかって、いやそんなまさか、と思う。
(・・・・・)
口に手を当てたまま、テーブルのグラスの底あたりを横目で見た。
いや、でも
いや、まさか、ね

「先輩」
ふいに肩に手を置かれて、びくりと体が跳ねた。床に手をついて、見開いた目で振り返ると、驚いたこっちに驚いている彼の顔がある。
「あっすいません。俺、あがったんで・・・」
「・・・ああ、ごめん」
額を指でかきながら、握り締めて体温が移ったライターを置く。
「俺、今日は帰りますね」
「あ、あーうん。えっ、雨だけど、大丈夫? 原付」
「これ持ってきてるんで」
彼が、ツナギ型のカッパを抱えている。 さっきの土方とのそれと俺の様子に、気を遣ってくれてるんだろうな、と思って、まあ思っただけで、首裏に手をあてながら玄関まで送った。
とりあえず、自分も風呂に入る。熱いシャワーに打たれながら、考えるのは土方のことばかりだ。 そして結局行き着くのが、いやほんとまさかね、という確認と、・・・いやありえるか?、という疑問。
(・・・・くっそ、とにかく、本人だよ、本人)
土方に聞くのが早い。あんな別れ方で放っとくのもアレだし。 バスタオルを肩からかぶり、携帯を拾って、土方にかけた。変に緊張する。 早く出ろ、いや出なくてもいいかも・・・・と思っている内に7回目のコールで聞こえてきたのは、高杉の声だった。
「へ? 俺、間違った?」
「いや土方の携帯」
「・・・・何でお前が出るわけー」
一瞬開いていた目を、半分垂らす。
「てめーの、名前だったから」
不自然な息の間をあけて、高杉が口端で笑んでいるような顔が浮かぶ声で答える。もや、としたものが腹から湧き上がってきた。 それはひどく形容しがたい、とにかく面白くないものだ。何で、高杉と土方が絡むと、何に、何故、気に食わないのか自分でもいまだ、よく理解できない。 疎外感では、たぶん、ない。あの夢の最後が浮かんで沈む。
「土方は」
「あー・・・?」
すこし掠れたそれ。すこしの雑音。その間に、ふ、という土方の吐息が聞こえた気がした。
「・・・・あー今手が放せねーってよ」
可笑しそうに言う。
「まァ、また後でかけてこいよ」
そのまま、ブツと切れた携帯を見て、眉を寄せた。
蕎麦屋で、高杉とはやっていない、と答えた土方に、えーうそ、と返したものの、何となく本当だろうなと思っていた。 知り合ってからここまできてしていないなら、たぶんそういう関係になるような二人ではないんだろうなと思っていた。
でも、今の感じって。何か、何か・・・セックスっぽいもの、してんじゃないの、明らかに。
(んだよ、オイ)
ぼふ、とベッドに座ると携帯がはねた。さっきうちにきた土方の様子から、こいつもさっきまで誰かと寝てたのかな、とは思った。 ただ、普通に思っただけだった。お互い精が出ますね〜くらいの。なのに、相手が高杉となると、 何で焦燥感みたいなものがわいてくるのか、非常に不思議だ。
(・・・俺のこと。好きなのかと、一瞬、思った。・・・・何だ。)
俺の前では急にしおらしい様子見せておいて、今頃高杉とよろしくしてるのか。
・・・・・いや何だソレ。
「・・・え何ソレおい!」
考えてる内に、唐突で大きな独り言とともに起き上がった。
それから、しんとした部屋の中に自分でも結構びっくりした。がりがりと頭をかいた手を止め、 そうして気がついたら、目に入った家の鍵と財布を乱暴に掴んで、玄関に向かっていた。 何だか靴につっこんだ足が暴走しそうな苛々の理由がわからない。わからないことだらけだ。唯一わかっているのは、あんな風にうちに来ておいて、 今高杉といる土方が無性に気に入らないということだけだった。