※リク。 兄の土方は金魂の土方です 次男というのは損なものだと、十四郎はいつでも思っている。 4人兄弟の末っ子ともなる友人は、「得だよ、気が楽だし、 適当に放っておいてくれるし、甘えられるしね」、と指折り数えるけれど、土方のような男を兄に持つ自分は、 兄の知り合いに会えば必ず、 「かっわいー!」 まず、それだ。子供と大人の間であいまいに難しい高校生の男にとっては、屈辱以外の何でもない。 金時なんて、がばりと抱きしめこちらの頭に顎をすりつけた。 その時、彼の首元から香ったヤニの混じるあまったるい香水の匂いを、目に残った夜のライトと一緒に今でもよく覚えている。 気がついたら、23も24も過ぎていた、と兄は言う。そんなもんだろ、と何の感慨もなさそうに灰を落としてそう言う。 じゃあ、大人って何なんだ。ハタチを過ぎたら? 自立できたら? 一体いつから、 一般的に大人とそう指されようになるのだろう。 「暑い、誰か何とかしてくれ、このだるさ」 「つうか、何で窓開けてんだよ」 「風?」 「バッカ、クーラー入ってんだろー!」 後ろの会話を聞きながら、十四郎は明るく広がっている学校のグランドを眺めた。 面積にしてみればサッカーと野球をするには十分な地ではあるけれど、自分が毎日毎日半日以上も閉じこめられる空間にしては、すこし狭い気だってする。 その中で自分も含め、若くて、ふてぶてしく、脆くも強い感性がざわざわひしめき合っているのだ。 そこから背伸びをしたい、わけじゃない。 だけど、寮の鬱陶しい規則には辟易しているし、いつでも煙草が吸えないのは辛い、夜こっそり抜け出すのも、 人に会いに行くだけで何故こんな苦労をしなければいけないのかと、最近面倒になってきた。 そしてその相手である先生に、子ども扱いをされるのが一番嫌いだった。 ブブブ、とポケットの中で携帯が震えてとりだす。 『ごめん、今日は用事が出来た。次に埋め合わせさせて欲しい』 一目で読んで、すぐ閉じる。 フンと、机に両足の裏をつけて椅子の前足をぐううとあげていると、バランスが後ろへ崩れ、ドタン大きな音と共に床で背を打った。 「うっわびっ・・くったー!」、「に、やってんだよ土方ー」、 じいんと痛い体の外でいつものクラスメイトの声が見慣れた天井の蛍光灯を回っている。 両目を閉じると、何だどうしたー土方、先生の学校用の声がよく聞こえて、意味もなく急に悔しくなった。 「やるねー十四郎くん」 一度、一緒に食事をした時、金時に送ってもらった車の中で恋愛のことを聞かれたから、本当のことを淡白に話すと、 同じくらい平たんな笑い声が返ってきた。後ろの座席では、鉄麻明けでだるそうに横たわっている兄が寝返りをうっていた。 「どうせ、すぐに終わる関係だから」 「ふーん。ま、高校の先生とって考えれば、俺もそれは妥当な予測だと思うけどね」 無駄のないハンドルさばきをしながら、金時はピアスの穴あたりを骨ばった指でかいた。 眠そうなまぶたの下のくぼみが薄ぼんやりと浮き上がっていた。 後ろの兄は目の下にひどいくまができていて、年季の入った腕時計が手首で揺れていた。 こんな大人にはなりたくねェよな、と本心で思うその裏にある、確かな憧れ、 それはまるでトランプのカードみたいにすこしの拍子でパタリ表返ってはまた裏返る。 もし、自分が金時や兄のような大人の男だったなら? 『わかった』なんてメール以上のものが返せるのだろうか。 自由が手に入るのだろうか。(そして、 彼らのようにそれを持て余したりも、するんだろうか) 「お、何だ、誰の彼氏だ」 「ここらの制服じゃねえよな、あれ」 目にその銀色が入ってきたのは、ふくらむカーテンを手でのけていたそんな時だった。 思わず、きらりとしたまぶしさから手首で額を覆ったが、 影の中から見たそれは単なる人の髪の毛だった。校門に寄りかかっているどこかの高校の制服を着た彼は、 いつの間にか訪れていた放課後の中、帰っていく生徒の波に何か話しかけられている。じと眺めてしまったのは、髪の雰囲気を一瞬金時かと見間違えたからだ。 しばらくして、部活の靴を持ったクラスメイトが教室の入り口からキョロと顔をのぞかせた。 「あ、いた土方。呼んでる、校門」 「誰が」 「知らね。なんか、銀髪のヤツ」 そんな髪色に覚えはない。首を傾けて、肩を回す。 彼氏、彼氏、と連呼していた一人が急に黙って、こちらをじっと見た。変に本気にしている。 違ェよ、アホか! 十四郎は呆れた息を吐いて、半目で鞄を机からひきずった。 「うっそ、ちょ、かわいッ・・・」 銀髪は、校門まで歩いてきたこちらに視線で気づくなり、両手でばっと口をおさえてもごもご言った。 何べんも聞いてきた台詞である。どうやら、この男も兄を知っているらしい。 「お前、金時の弟か」 「あ、わかる?」 「似すぎだよ。銀髪って、何かの冗談みてえだな」 カリと鼻の頭をかいてそう言うと、銀髪はくちびるを開き、何かを思い出したようにふ、と笑った。 周りの色がゆるく溶けていくような、味のある笑みだった。 「何が可笑しんだよ」 「いや、本当、似てる。俺、まんま銀時っつうんだよ」 その彼の弟がわざわざここまで何をしに来たのかは知らないが、近くで見ればそっちだって金時のミニチュアに他ならない。 銀髪の方は金時と比べてかわいいというより、大熊、小熊みたいだ。ただ、こちらの方が親しみやすそうではあるけれど、 兄同士が知り合いだからって、弟まで仲良くする必要は別にないのだ。 「で?」 顎をあげて、用件を促す。ぼうーとこちらを眺めていた銀髪は我にかえったように、え、と目をあげた。早々に寮へひきあげていく生徒達が、 みんなこちらをふり返っていく。 「え、でって?」 「俺に何か用か」 「・・・・あー・・・・・ヤベ考えてなかった・・・」 「あ?」 「や、いや、じゃさ、付き合ってくんない?」 「・・・何に」 「ま、そりゃそーなるな・・・じゃここ来る途中見た海行きてえ。一回、浜辺で貝殻拾ってみたかったんだよ俺」 貝殻、頭の中でくり返す。 「・・・子供みてえ」 返事も待たずに勝手に歩き出した背中を突っ立ったまま見送りながらつぶやくと、兄貴らからすりゃ、そりゃァ子供だよ、と何でもないような声が返ってきた。 十四郎は、その声の持つ水槽に沈んだビー玉みたいなきらめきに、すこしだけ、眉を寄せた。それから一度校舎をふり返り、 何でこういう日に限って用事がなくなるんだよ、とため息をつきながら鞄をかつぎなおしてゆっくり後に続いた。 ここの海は、どこかの観光場所みたいなエメラルドブルーなんかには染まらない。夏前にはいつでも深く濃い青色をしていて、 浜の砂はじゃりじゃりと一粒一粒が大きく裸足には痛いはずだった。 「なんで、割れてんのばっか?」 それでも、銀時は一人立ってはしゃがみ歩いてはしゃがみしながら、本当の子供のように薄い貝殻をいちいち太陽に透かしていた。 彼の放ったそれが、キラと波の白い泡に飲まれる。十四郎は、すこし離れた盛り上がっている浜に腰を降ろして、 何やってんだろな俺・・・と思いながらそれを眺めていた。 「お前も、こっち来て手伝えよ」 「濡れるし、砂入んだろ」 「はーあー・・・すましちゃって」 「ああ?」 銀時が膝までまくったズボンの下で裸足から海水を飛ばしながら、こちらへ歩いてくる。濡れた足跡が浜にぺたぺたと残った。意外に大きくて、 毎日好きに遊んでそうな形と並び方をしていた。 「金時に弟ってどんなヤツって聞いたらさ、大人びてるって言ってたけど何だろな」 「何だろなって、何だよ」 「中途半端じゃねえ。高校生は高校生らしく、割り切ろうよ」 「別に・・俺は・・・・・・あ、てめやめろ!」 立っている銀時の両手から落ちてくる塩水に目をしかめていると、それらで頭をはさまれ海水と砂だらけにされた。 後ろ手をついて避けながら、蹴ると笑って身を引く。濡れた砂が襟中や首に張りつき、払ってみると手についたそれで更に広がった。くそう。 本当、何やってるんだ。 「な、かけっこしようぜ。言っとくけど、俺短距離やってるから、結構速いよ」 「やらねェよ」 「自信ねえんだ」 「・・・・」 「ハンデやってもいいけど」 「いらねェ。上等だ、線引けよ」 立ち上がって、浜に二人並び、銀時がつま先で引いた線前に片足を出す。 つい真剣に、もう片方を曲げて砂を蹴る用意をする。 向こうの方に、散歩中の犬や、水着を着た子供達とその親なんかがちらほらと見えている。何度も通りかかって目にした景色だけれど、 (・・・結構、広かったんだな、ここ) あちらまで続く浜辺を見据えてみて、初めて頭のはしでそんなことをすこし思った。 銀時は、言葉の通り速かった。 水色と浜の間に、真っ直ぐ速く、あっというまに溶けていった。 (!) それは、この勝負事や彼や海のことをちょっとバカにしていた自分の気持ちをいっぺんに吹き去った。 連れ立って歩いているカップルが顔を向けても気にしない、 砂を踏みしめ前へ前へ、波の反射に照らされ進んでいく。全身から若い匂いをふりまきながら、一直線に潮風をきって走っていく。 そのシルエットは大人の金時に似ていて、まるで似ていない、体の輪郭からほとばしるエネルギー量が違うのだ。 遠ざかるその背中や足は力強さに覆われているようで、思わず細めた目の中に鮮やかにやきつく景色だった。 途中で追い抜きかけたが、ゴールをどこ、と定めていなかったせいで、かけっこはあやふやなまま自分が砂に足を取られ転んで終わった。 銀時も、そのわずか後ろで石でも踏んだのか、いってえ、とか何とか声をあげていた。 「っはー、皮むけた・・・」 「・・・」 もう完全に砂だらけになってしまった体で半身起き上がってふり返ると、銀時は寝転んでいた。視界の隅で、海面が細かい光をいくつもたたえている。 あおむけになっている砂まみれの銀髪が、太陽でぴかぴかと光るものだから、急に何だか胸奥がつんとした。 遅刻しそうで寮の廊下を走った後とは、違う汗が鎖骨を流れていく。 足元で、ざあんと音をたてて波が寄せる。 靴がずぶ濡れになってしまったが、つめたくて、気持ちがいい。 自分も、背中を浜につけて、上を見た。広い水色だ。いつもの空なのに、その大きさは妙に自分を小さくさせて両目を閉じた。 体からごっそり体力が出て行った代わりに、今は不思議とその自分の小ささをあるがままに受け入れられる。 しばらくして、ざり、と音が聞こえ、閉じているまぶたの上から影がかぶさる。 落ちてきたくちびるは、砂の感触がした。 「・・・お前、兄貴が好きなんだろ」 「一目惚れだったよ。圧倒された。すごい感覚だったよ」 言いながら、そのくちびるがこちらのくちびるに付いた砂をなぞり、食む。 それがどこか上の空だったらきっとすぐに避けもしたけれど、そのキスは確かに自分の上唇の裏や横から塩辛さと一緒に伝わってきた。 「でも、一緒にいたいとか、そういう純粋なもんじゃねえんだ。上手く言えねえけど、強烈に飲まれて、欲しくて、どこまでも強い衝動なんだよ。 俺が土方に抱くのは」 「俺も土方なんだがな」 言うと、銀時は笑った。まつ毛の間に入った砂を砂のついた指でぬぐわれ、ちくと痛い。 「お前は、見てると、抱きしめたくなる」 「さっき、中途半端っつったろうが」 「バっカ、そこがいいんだろ。大人の手前で、どっか冷めてて、でも敏感でさ。危ういって魅力的じゃん」 大人というものについて考えていることまで雰囲気でわかるものだろうか、 もしかしたら、兄に焦がれたらしい銀時もそういう経験をしたのかもしれないな、 ぼんやり思う。起き上がって、目から砂を出しながら銀時を見ると、一瞬目を開いた彼に思い切り顔をそむけられた。両肩が震えている。 「てめ、何だよ」 「ま、眉毛・・・まゆ、砂眉毛、」 言われて、前髪ごとばさばさと払ってから、まだ寝転んでいる銀髪を踏みつけると、いよいよ大声をあげて笑い出した。 ざらざらしている汗をかいた襟を引っ張りながら、青春みてえ、一人腹をおさえてくの字になっている彼を夕方の中に見下ろす。 胸の中では、何かがぽっかり空間を空けた気がした。 ちょうど、脳裏に残ったあの銀時が駆けていく姿分くらい。 それは、虚しさなどの負からくるものではなく、何かの重みが落ちた後のような気分のいい軽さだった。 「ッあー、すげえ砂。これで電車乗ったら、ひんしゅく買うだろなー」 前を歩いている銀時の茶色い背中を見て、そりゃそうだろな、と思っていると携帯が鳴った。 先生からの電話だ。大方用事が思ったより早く終わったのだろうが、なんだか億劫でポケットへ再び入れる。 「出ねえの?」 「ああ。どうせ、セックスしかしねえし」 ふり返った銀時は、まるで長年の恋人に振られでもしたかのような表情をしていた。 思わず、可哀想になってしまうくらいの眉の下がり方だった。 「・・・いや、別に、恋人ってわけでもねえよ」 ついした言い訳に、銀時がさっと隣に並んでくる。わざとなのか無意識なのか金時からの癖移りなのか、耳にくちびるが近い。 「俺となら、セックス以外にも色々楽しいことがあると思うよ」 「以外って何だよ、何で俺とお前が寝るんだ」 「いいじゃん、とりあえず俺はお前に会いたいし」 とりあえずって何だよ、とか何とか返しながらガードレール横の歩道のない道路を歩く。 初めは、何でこいつが俺の高校知ってんだ、と一番に兄や金時を問い詰めてやろうと思っていたけれど、まあいいか、という気になっている。 携帯と下の名前と休みに入る日にちを半ば無理矢理に聞き出した銀時は、砂だらけの制服のまま別れ際に、あー青春っていいね、と腕を伸ばした。 何があったらそこまで恥ずかしげもなく大っぴらにできるようになるものかと疑うが、まあ、青春は短いからこそ価値なのだ。 言葉でそう言われたわけでも、特とした事件があったわけでもないけれど、今日、何となく悟った。 そういえば、時に彼らへ憧れているこちら側へと、大人たちもすこしまぶしそうに視線を向けるのだった。 そうだったな・・・と思い返しながら、電話したら出ろよ、絶対出てよ、と手をあげている夕陽に赤い銀髪を(答えず)見送った。 (どこからが大人だなんて、誰にでも当てはまる定義はない。)(その時がいつにしろ、まだ、もう少し、先でもいいのかもしれない。) 十四郎は 水を含んで重たくなった靴を脱ぎ、波の残った足裏を踏んだ。 →オマケ更に続き ← 2007.7.26. |