寝床を貸してくれるんなら誰でもいいんだ。 そう言って擦り寄った渋い小説家は妻子持ちで、仕事用に借りてるマンションに3ヶ月は置いてくれたけど、 出版社側の人間に脅され金を受け取って追い出されてやった。 おかげでホテルに住めてたその手切れ金も、もうない。 一部はその頃押しかけていた男が持って行った。 前のヤツには二股かけられて捨てられたし、その前は、まあ、思い出したくもない。 腹の古傷が痛む。 (こりゃ雨がくんな・・・) まだ夕方なのに曇天をぶら下げ出した空を見上げて、けど、ため息は出なかった。 17からの2年間、ずっと人の家に転がり込んで生きている。 あれから、自分に居場所なんかない。どこをどう歩いているのかも、いまいちわかっていない。 ここに居ると山崎が捜しにきそうな直感が働いたので、歩道橋の上から重い腰をあげた。 ピッポウ、ピッポウ 交差点を人が歩いていく。みんな何かに向かって。家に、仕事に、或いは恋人のところに。 だからと行って行く当てもない自分を悲しくなど思わないし、自由だともおおよそ感じない。 これだけの他人が存在する街中で、ただ、一人生きている。 それだけだ。 屋上駐車場に、銀のクライスラーが入ってくる。 「おい高杉、早めに帰って来いよ。30分過ぎたら帰ってんぞ」 「あー」 助手席から出て歩き出す彼を、坂田は横目で見送った。一度席にもたれて、ふと、またドアを開ける。 「あっ、それとまた変っな寄り道して、変っな置物買ってくんなよ!」 「あーあー」 (あーあー? ったくぜんっぜん聞いてねーよ、あいつ) 高杉が画材屋に用があると自分に車を出させる時は、2時間は余裕で待たされる。 一度付き合ってみたことはあるけれど、退屈すぎて10分で飽きた。 「言っとくけど今回は本当に帰ってんかんな! ロッキーの再放送逃したらタダじゃおかねェ!」 叫びながら、ブッブー、とクラクションを鳴らすと、入り口まで行きかけていた高杉がわざわざ戻ってきてヘッドライトあたりを容赦なく蹴った。 ま・・・ったく、行儀の悪い。坂田はそれをいくらでも甘んじて受けてきた。昔から。ずっと。喧嘩になって骨折したこともあるけど。 「ッはー、甘やかしすぎかねえ・・・」 どさり倒した椅子に背をあずけて、暇になった足先でCDを押し込みエリック・ドルフィーを流す。 次の音を裏切って変に魅了するこのメロディーは高杉にちょっと似ている、と思う。 土方は音楽のある店が好きだ。DVDコーナーがあればなお良い。 悠長に食事する金もないので、大きなショッピングモールにゆるゆると入って、CD屋の中にいた。 DVDを取っては裏返し、取っては裏返しする。 監督、演出、キャストの名前。ああ、この監督またこいつ使ってる。 そんなものを読んでいるだけで無駄に時間は過ぎた。そういやこれ観たかったんだ、とは思うけど出た瞬間には忘れてる。 まあ、それでいいとあきらめるのはもう癖だ。どうせゆっくり観れもしねえんだし。 体をひるがえすと、隣に楽器屋があるのが見えた。つい、ふらりと足を踏み入れてしまう。 並んだギターやアンプや周辺機器。 真ん中で大きなKORGのキーボードが黒を主張していた。 へえ、ずっしりとしてるくせに、綺麗だな。 近づくと、真っ白な鍵盤が指を誘う。 「・・・・・」 薬指を乗せてみると、機械的な音がボーンと反応する。 それに本能が従い、信号が命令するまま早弾きした。初めは破綻、けど指がどんどん感覚を思い出す。 重量な和音の羅列、マイナー調。右指がシャープとフラットを足早に登って下る。 10本のそれを酷使して、複雑な音を滑らかに叩き弾く。 集中に脳を持っていかれているところで、何だかギャラリーができ始めた。 うっとうしいな・・・思っていると、 「・・・ジャズか」 急に雑音の中で、静かに浮き立つ単語が聞こえた。思わず、目がその主を探す。 人だかりの向こうに踵を返す、やけに強く目を惹きつけていく黒髪の男をとらえる。そぞろな視界の中で彼の輪郭だけが、際立っている。 けれど、すぐに景色のあちらへ埋もれてしまう。 (あ・・・・) 軽い喪失感が、何故かすこし胸のあたりをさらっていった。・・・・・らしくないな。 気がそがれて、スッと指を離しその場を立ち去ると傍聴者たちの名残惜しそうな空気が背後に伝わってきたが、 じゃあ代わりに泊めてくれよ、とは流石にこんな場所では聞きやしない。 出口の喫煙所でポケットから煙草を出して舌打ちする。さっきで最後の一本だった。 これから、どうするかな。バーまで行って誰か探すのも面倒くせェし・・・・ ガタリ (・・・あ?) ぐしゃりソフトケースを握りつぶしていると、派手な柄シャツが灰皿をはさんで隣にきた。 え、あっ、こいつ。 艶のながれる黒髪。妙に色のある雰囲気をあたりにまき散らした。 脇にでかい袋を抱えた男。 さっき、目を惹いた奴だ。 「アンタ・・・」 勝手に声が出た。何故かは知らない、ただ、隣にいるだけで体中の血がぞくと沸く。 何だろう、珍しい。 思いながら目で追っていると、視線が交差した。 「あァ、お前」 ドキリとした今。さっきの声だ。 「何」 「いや、すげえ曲弾いてる奴がいると思ったら、ずいぶんやる気ねェ顔してんだな」 男が唇のはしをあげる。 癖のあるそれと、ああ、やっぱり、声が独特でいいと思う。同じくらい顔もいいけど。 「・・・否定はしねえよ、捨てられたばっかだし。疲れてんだ」 「楽器屋ではそうは見えなかったぜ。何か降臨してた」 「はァ・・・何がだよ」 「芸術の奥にある孤独だよ。お前、知ってんだろ、そういうの」 変なヤツだ。初対面の相手にいきなりそんなことを言う。哲学者か。 つい、じいっと見つめた。 伏せるまぶたのはしから、煙草を持つ指の先まで、魅力をたたえた空気。 妖しくて、暗くて、どこか凶暴な。 「・・・・・・アンタ、魅惑の塊みたいだな・・・」 「お前もな」 自然と漏れた感想へ、こちらを見もせずに間髪入れずにそう返してくる。煙草の灰を落とす、簡単さで。 「へえ?」 壁にもたれたまま、くちびるで笑って彼を見すえた。 深い紫の瞳が自分を見た。 意識を飲み込まれそうになる色と奥行きだ。不安を感じるのに、踏み入れたくなる。 見続けていると、男がすこし首を傾けた。うわ、それだけで色が散る・・・・・ 「お前よォ」 見とれている内に指が伸ばされ、髪の中に入ってきた。いきなりのスキンシップに驚いたが、すう、と目を薄めてしまい無意識に頭をそちらに預けてしまう。 「何をそんなに物欲しそうな目ェしてんだよ。寝床か、煙草か?」 アンタ、は入ってないのか、目を閉じて聞いてみた。 「欲しいのかよ」 「どれも。ついでに飯」 「ま、いいぜ。うちには同居人が一人いるがよ。気にするか」 は。 ジュ、と吸っていた煙草を捨てて男が出口へ歩いていくのを、ぽかん、と目を開いて見た。 やけに気になるから、ちょっとは期待した。確かに。だけど、てんで相手にされないと思っていた。まさかのまさかの展開だ。 あっけにとられて眺めていると、彼が肩越しにすこしだけ振り返る。 「捨てられてんだろお前。なら、俺が持って帰ってやるよ、来いよ」 まるでとても面白い物を見つけたみたいに口はしをつり上げて、そんなことを普通に言う。 しかも、こんな一般的な場所で。大丈夫かこいつ? 余ほどの奇怪さを持ち合わせているのか、酔狂なのか。どっちでもありそうだ。 まだ現実感のわかない自分を、アレだ、と車の場所らしき所まで誘導する間も、腰にはおろか体に触れてこない。むしろ、余計なことは面倒そう。 なのに、変だ。決して距離は近くなどないのに、体の皮膚ごと引っ張られる。 目が惹かれてしまう。 足が勝手について行きたがる。 何にしたって、他に行く所は土方になかった。 クライスラーだ。へえ300C・・・呟いた自分を男がふっと見た。 「外車好きか」 「そういうわけじゃねェけど。このリアのデザインが好きだ」 そう言うと、男はふうんと車を眺めた。 そこに急に、別の声が割り込んでくる。 「あってめ−高杉、今回ばかりは俺でもキレんぞ・・・・・ってアレ、今度は何拾ってきたのそれ」 「何だろな、捨て猫」 「はァ?! いや変な貯金箱くらいまでは予想してたけど、俺が待ってる間にナンパァ?!」 「うるせー俺の勝手だ」 「お前の勝手は昔から何でもいきすぎんだよ!」 文房具の袋と一緒に、後部座席に入れられる。文句を言いつつ、どこかもうそれを受け入れる甘さを含んだ声でそう言う運転席の銀髪の男。 振り向いてくる瞳と目が合う。 (あ、こいつとは気が合わねェな。) もう第一印象でお互いまぶたをしかめ、お互い思った。 まさか、これが同居人か? おいおい仲良くやってく自信ぜんぜんねえぞ。 黒髪の男がドアを閉める前に、のぞきこんでくる。 「てめー名前は。いくつ」 「ああ、土方。19。アンタは?」 「高杉。20。コレは、坂田銀時。23歳、フリーター。ろくでなし」 ・・・こいつ4つも上かよ。 ああ確かにろくでなしっぽい、と思ったのが顔に出たのかミラーの中で坂田は眉を寄せた。 この状況を明らかに面白くない、といっている。 俺らのテリトリーに入ってくるなと言わんばかりの雄猫だ。 「ほんとに拾って帰んの? 俺らん家に?」 「あー」 土方は、まだ外にいる高杉の髪を見た。綺麗だ。目が合うと血が脈打つ。 そんな自分たちを坂田が横目でちらと見て、機嫌の悪そうな声をした。 「あのさあ、お兄ちゃんにも権利あると思うんだけど」 「ああ? 何の」 「こいつを家に入れるかどうかを決める、」 「ねーよんなもん」 ゴス、と助手席のドアを開けて蹴りを突き入れた高杉に、あ、いったァ〜と声を出した坂田はそのまますこしアクセルを踏んだ。 てめー俺がまだ乗ってねェだろが! と数cm進んだ車に足を取られたまま、高杉は本気で怒鳴っていた。そりゃそうだ。 車の中では、ジャズが流れていた。 クライスラーといい、この選曲といい。(ふーん)、と思う。 前の座席に座っている高杉と坂田が交わす会話で、ずいぶん付き合いの長いことが 伺い知れた。 内容もそうだが、喋りの間、とか、全体の空気とか。そういうものが二人のことを物語っている。 その間坂田は時々、チラ、とミラーからこちらを見据えて、意地悪そうな笑みをした。 知るか、頬杖をついて窓の外を見る。お前らの絆なんて、俺には関係のないことだ。 そんなものは、すっかり昔に、俺は、なくした。 行き着いたマンションは、かなり背が高くて大きなものだった。 厳重なオートロックが付いていて、一階に立派なロビーまである。 「お前らって、結構金持ちなのか・・・」 「あっ、ふんだくるだけふんだくって逃げる気だこいつ。やっぱやめよーぜー」 前を向いたまま、坂田のすねを思いきり蹴った。 「別に親が持ってるだけだ。銀時の親父なんかでっけェとこの社長だぜ」 「義、理だけどねー」 坂田が足を押さえながら、涙目で睨んでくる。 エレベーター中でのそんな会話にふうん、と答え、ろう下で高杉に肩を寄せた。 「なあ、煙草くれよ」 「部屋まで待てねーのかよ」 躾が大変そうねー、と頭の後ろで両腕を組んでいる坂田は無視する。 高杉が胸ポケットから出して振ったタバコを、頭を屈めてぱくりと口でくわえた。 「あー火がねえ。おい銀時、火」 「火」 後ろの坂田に向けて、くわえた煙草を揺らす。 坂田は心底気に入らないという表情で、渋々ポケットから出したライターを擦った。 先端に火を点ける間、じっと睨みあげてやる。 坂田も細めた目で見下ろしてきた。 それから、部屋に鍵を差し込んで、まだ渋った。 「なあ、本当にうち入れんの? 一緒に住むことになるわけ?」 「部屋一個余ってんだろ」 「そういう問題じゃなくてさー」 「いいから、早く開けやがれ」 「ああーッ! 畜生ロッキー忘れたてめーらのせいだ、あーっ泣きたい!」 うわっ、いきなりうるせェこいつ。やっぱ絶対嫌なタイプだ。 玄関からリビングに続いていく、そのろう下を挟んで2つ部屋があった。そして、リビングにドアが1つ。 どうやら自分があてがわれる部屋はリビングに面したそこのようで、高杉がドアを開けて、「・・・まァ住めねェことはねえ・・・こともねえな」と気になる発言をした。 とにかく今日はどっと疲れた。 リビングにどんと置かれた気持ち良さそうな大きなソファーへ、睡魔に導かれるまま倒れこむと、坂田が、あー!と声をあげる。 本っ・・当、いちいちうるさいヤツだな。 「お前、遠慮って言葉知ってるかな? そこ俺のお気に入り! 居候の分際で取ってんじゃねーよ」 「てめェには関係ねー・・・・俺は高杉についてきたんだよ・・・・」 「腹立つウゥゥこの子! 殴っていい? ねえ、殴っていい?」 「高杉に聞けよ・・・・」 「お、へーえ、じゃ高杉がいいっつったらお前は何でもさせるんだ」 こちらに馬乗りになった坂田が、バンと両手を横につく。 「手ェ出すなよ、銀時」 高杉の一言で坂田は、む、と口を閉じ納得していなさそうな顔をしながらもソファーから降りた。最後に睨んでいくことも忘れない。 ふふん、と得意げになってまぶたを閉じた。 妙な一日だ。何故だか気になって仕方のない高杉と、それにもれなくついてくる気に入らない坂田。 ハワイ旅行と、粗品のティッシュだ。 そんな二人で住んでいるという、自分には十分すぎる居場所を与えられた。 ・・・まァそれもいつまで続くかわからないが。 明日のことは、明日のことだ・・・・・ 一気に眠気が押し寄せてくる。いけない。 何せ初日だ。セックスもせずに寝てしまってはこれから寝床を借りていく立場ですこし悪い。 無意識にそう思って、う、と体を起こそうとすると冷たい指が、押し返した。それから、まぶたをなぞる。冷えてるようで人肌並みの体温がある。 「寝てろ」 高杉のじんと響く声。それを最後に(正確には坂田の「そしてもう二度と目覚めんな」という台詞で)土方は本当に久しぶりに深い夢の中へと落ちていけた。 ここが、今日から、俺の仮の居どこになる。 同居人は二人とも癖があって、ちょっと賑やかそうなのが問題だが、文句は言うまい。・・・・まあ、とりあえず坂田以外には。 → ← 2008. |