次の日土方は、坂田の踵落としで起こされた。

「あ、悪ィー悪ィーお兄ちゃん朝はいっつもこうやってここ座るからァーつい癖でえ」
「・・・・・一発は一発・・・」
わざとらしいそいつを思い切り蹴りつけて、いつの間にか掛けてもらっていたらしい毛布を退ける。
何か飲んでいたらしい坂田は、盛大に咳き込んでいた。そのまま窒息でもすればいい。
額を押さえたまま、手探りで煙草を探す。チ、そうだないんだった。
「何、お前低血圧な感じ? ひ弱ですねー」
「・・・・・・高杉は」
掠れた声で聞くと、坂田はすこしこちらを見てからカップを置き、「あー大学」、と答えた。
「あ、あとお前の部屋さー大事なモンばっか置いてるから。勝手に捨てたらベランダで洗濯物と一緒に吊る・・・・・・・・・・・ 高杉にされて、マジシャレになんねえと思った、アレ・・・・・」
何一人でブルーになってんだ、アホか。でも想像すると、確かにちょっとこわい。何せここは、9階だ。
リビングの端にある開けっ放しのドアを見た。立ち上がって、そうと覗き込んでみる。
そこは物置きみたいになっていた。ほとんど使い切った絵の具のチューブ。散乱したプラモデルの部品。 「リングにかけろ」とか「北斗の拳」とか、大変な漫画の量。しかも全部床に置きっ放し。大事そうなものが全然見当たらない。
げ、何か踏んだ、と思ったら『京都大好き!』という薄っぺらい旅行本だった。心底どうでもいい。
足からはがして、ふー、と一つ息をつく。どうせ他にやることもないのだ。土方は片方ずつ腕まくりをした。


漫画を元々あった棚に収納し、入りきらなかった分は壁側に並べ、ゴミを袋に詰めればそれだけで、大方は片付いた。
あとは。
「・・・・・」
どうすればいいのかわからずに残った幾つかのキャンバスを手に取った。どの方向から見るのが正しいのか全くわからない絵だ。
そういえば、高杉が大きな文房具用品らしきものを買っていた。彼が描いたんだろうか。
じ、と長い間見つめていると、入り口に坂田がもたれかける気配がした。
「お前さ、高杉に惚れちゃった? けど、本当にあいつのこと、っつうか俺らのことわかってる?」
ズズ、とカップの中身をすする音がする。
「言っとくけど、俺達は連れ込んだ女と3Pとかするよ。高杉がいらなくなった奴をやるだけやって放り出すこともあるしさ。 俺もあいつも性別に拘らないタイプだから、男だって例外じゃないんだぜ。特に高杉は気分で動く人間だからさァ。お前がいつ捨てられるのか楽しみだよ」
黙って聞いていた土方は両手で前に掲げていたキャンバスをゆっくり床に横たえた。立ち上がり、坂田の方へ緩慢に歩みを進める。
それから鼻先が当たる距離で見た。
「そういうつもりで連れ込んだんなら、それで俺は別に構わねえよ。今までだってそうしてきたし、いつだって相手にしていい」
坂田はしばらくこちらを見下すような冷えた目で見ていたが、やがて、っはー、と大量の息を吐き出し、髪の毛をぐしゃぐしゃかいた。
「・・・一応、手ェ出すなっつわれたからな」
ぼそり、とやはり面白くなさそうにそう言う。
すこし目を開いてから、ふん、と離れた。
「よかったぜ。天パ相手じゃ勃つか心配だったからな」
「こんの居候猫が〜ッどうせなら二度と勃たねーよう去勢してやろうか!」
「てめーがしやがれ! どうせろくに役にも立ってねェんだろ!」
「あっ俺って結構モテんだぜ! どっかから捨てられてきたてめーとは違いますー!」
「・・・・・」
「・・・え、おい? いや今のは何てェか売り言葉にかいこと、」
俯いたこちらをのぞきこむようにしてきた坂田の顎へ思い切り頭突きをかましてやった。
がァ!と唸ってのけぞる。はん、ザマーミロ。
「か、わいくね〜〜・・・ッ・・・」
当たり前だろ。


煙草がなくて苛々する。ソファーに座って、テーブル上で目に付いた『宇宙日記』なんかに目を通していると、 坂田がバタバタとし出し、玄関の方へ足音がいった。
何だ、と聞くと、夕飯の買いモン、という。
「って、高杉に、言っといて」
そこだけ強調して、坂田は上着をはおりながら出て行った。
ついディスカバリー号の写真にのめり込んでページが終わろうとする頃に、玄関の開く音がする。
ろう下をのぞくと、壁に手をついて黒い頭が靴を脱いでいた。
「・・・お帰り」
「あー」
ろう下の途中にいるこちらへ高杉が歩み寄ってきて、頭を肩に預ける。
髪の感触に、ぞくり、とまた血の動く音がした。獣が獲物を前にした時のような、静かな高揚感。
草陰からじっと見守る。初めて見た時から、欲しいと思ったのだ。
手に入れてやる。
「久々に疲れたぜ。肩こった。目ェ痛え。コーヒー飲みてェ」
「・・・・淹れようか」
「わかんのか?」
「あー・・・ん、たぶん」
首筋に鼻を埋められて、土方は今すぐにでも食ってやりたい息を殺し返事もいちいち遅れた。
台所に置いてあるコーヒーメーカーは豆から挽くものだった。
洒落たバターケースといい、壁にかかった美術画の額といいここは何でも無駄に凝っている。
適当に豆を放り込んで、ボタンを押す。とりあえず、コーヒーらしき液体が出てきた。
「まずッ!」
一口飲んでみて、思わず口を離す。自分でこんなものを生み出してしまったことが信じられない。
高杉は後ろからそのカップを取りソファーに腰掛け躊躇もなく飲んだ。
「あっ、おい、すげー・・苦ェぞ・・・」
「ああ、一気に目が覚めた」
表情一つ変えずにそんなことを言う。ああ、もう駄目だ。
煙草のない苛々も手伝って、欲が増幅する。
高杉からカップを取り上げテーブルに置くと、ソファーに膝で乗り上げた。そのせいで上半身を後ろへすこし倒した高杉がこちらを見上げている。
細めた目で、面白そうに。
「あのアホが言ってたぜ。お前らバイだって。なら、俺とだってやれるだろ」
「まァな」
自分のシャツのボタンに手をかける。それから、昨日も風呂に入ってなかったことに気づいた。
「シャワー浴びてきた方がいいか・・・」
独り言のつもりで呟き、退こうとした手首を掴まれた。
「面倒くせェこと言うなよ」
舌が手首の裏から指先へと這う。ふ、と声をもらして上から睨んだ。狩りの眼になる。
肩に手をかけ押し倒し、襟をひっぱってあらわになった首元にかぷり噛み付く。けれど、髪を引かれて首筋を舐め上げられ、主導権が高杉に移ったまま続行した。
仕方ないので、指だけで高杉の腰に手を這わせる。
顎を手の平で押し上げられ、唇が移動していく。鎖骨に歯を思い切り立てられるとまつ毛が震えて、思わず目を閉じるところだった。
「ちょ、待った」
「誘ったのはてめーだ」
いや確かにそうだったんだが
シャツをたくしあげられ、横腹やヘソの周辺、胸へと舌が這い上がってくる。
は、と乱れてしまう息で高杉の綺麗な髪を見下ろした。
指を伸ばして、さらりとした感触に滑らせる。
「お、れが、ヤリたい」
「俺もだ。つーことで諦めろ」
やばい、このままじゃ流される。どこの匠だこいつ。俺だっていくつか技術はあるが、こいつの舌使いはいっそ変態だ。
「た、高杉。俺、やっぱ風呂入りてェ。久々に、は、熱い湯感じてェんだ」
「・・・・」
「・・・・ァ!」
「しゃーねェなァ」

風呂場はラブホのごとく広かった。肌を噛みながら、脱衣所で互いの服を性急に脱がし合う。
「何の痕だ、これ」
高杉が、ふと手を止めこちらの左腹に目線を落とした。
「あー別に。別れるっつったら男に刺されたヤツだよ」
答えると、高杉はまばたきをしてから、クハハ!と体まで屈めて心底楽しそうな笑い方をした。
「最高だなァ、お前」、とまで言う。何がだよ。
このでか風呂には、ジャグジー機能もついているらしい。
そんな説明は後でいいし。高杉がコックをひねるのも待てずに後ろからこちらを向かせる。
熱いシャワーを頭から浴びながら、動物のように舌を絡め合い、噛み付き合い、壁を背にさせられたり、したりしながらもつれ合った。
したたる湯ごとあらゆる肌を舐め取ると、弱りところばかりに食いつかれる。
本当に肉すら食う気で獣のように攻めた。こんなに獰猛に欲しくなる気分はひどく久しぶりだった。
けれど、向こうの牙もでかくて気まぐれで、時々見かけによらず繊細だ。
翻弄される。
は、は、は
肺から押し出される荒い息がシャワーの音の合間に響き合う。
いつの間にかこちらの方が先に余りある快感に溺れ腰が立たなくなったのをいいことに、高杉が上に乗り上げ片膝を担ぎ上げた。
く、と涙目になっている瞳を最後の意地で上にあげる。
その、勝ち誇った、そして、当たり前だ、という俺様な顔。 ぞくりぞくりとした感覚が背骨を駆け上ってくる。
もう不満の言葉も出ない。あるのは快楽の声だけだ。
う、イイ、とまで口で言わされ、最後まで散々啼かされた。弱肉強食、負けたものは仕方ない。だけど次はみてろよこのヤロー・・・・


「邪魔猫のお相手お疲れー夕飯できてんぜ。チンジャオロースと卵スープと、よっとビール」
「ふん」
「ご不満?」
頬杖をついて、高杉の首元のいくつもの噛み跡や鬱血を指でなぞる。
高杉にここまでしたヤツは初めてだ。
中学や高校の頃の3つ上はでかい。喧嘩の傷の面倒も、荒れた時のそれも、ずっと俺がみてきてやった。ずっと。
「いや気に入った」
「・・・ふうーん」
「何だ、妬いてんのかァ?」
・・・そうかもね。ただ、今までどんな奴を相手にしてきたって、俺たちは互いの性生活に口出しなんかしてこなかったろ。
長い付き合いの分だけわいた複雑な愛着。ブラコンの気分だ。


「つうか、お前らどっちもどっちをやりすぎでしょうよ」
ふらふらと風呂場から出てきた土方の首や鎖骨も目にした坂田が呆れたように言った。
「・・・くそ、のぼせた・・・高杉お前その体でどんな体力してんだよ」
風呂上りのほかほか加減は漂わせているが、平然と食事をしている高杉を横目で見た土方は、向かいに座る。
そのななめ前で、坂田は、ぶっ、とビールを噴出した口を手で押さえた。
土方がマヨネーズを飯の上から、ニュルニュルとかけ出すのを凝視する。
「ちょ、それ何、何プレイ?! どっからの電波受けてんの?!」
「あ? 好きだからかけてんだよ」
「うそォ・・・・・・こいつの味覚、超謎」
坂田が口元をぬぐうのも忘れて絶句した。高杉の箸もちょっと止まっている。
みんな同じ反応をするので土方はもう慣れたが、「マジかけすぎ」、と坂田はまだ言う。
「だいたい、よォっく聞こえたぜ、お前の喘ぎ声。自重って言葉も知らないらしいな」
「ああそう。抜くなよそれで」
「抜けるか。そんでそれは俺が作った飯だ、有り難味を込めていただきますって言え」
「俺が作った時は、てめーも言うんだな?」
「あー言う言う」
「ウソつけ、だいたいお前は顔全体がウソくさいんだよ!」
「うわ、うさんくさいとは言われたことあるけど、ウソくさいって何ソレ。てめーは全体が、全体がな、こう、あ、エロいんだよ」
「褒め言葉だよ、バーカ」
「アバズレっつってんだよ、てめェのが壮大なバーカ!」
お互い箸を止めたまま睨み合う。バチバチと火花の散る音が聞こえてきそうだった。
高杉はまったくもって我関せずで、もう食後の一服をふかしていた。
「そういや、土方お前何吸ってんだ」
「あ? あー普段はJPS」
別に何でも吸うけど。高杉のは、赤のウィンストンだ。
「買い行くか」
「え。あ・・・行く」
足が勝手に浮きだった。
「そのついでに俺のマイセンも買ってきてー」
「てめーは自分で買いに行け」
ぴしゃりと土方が言うと、あーもほんっと生意気、高杉頼むよーと言って坂田は青梗菜を口に入れた。


下の駐車場にクライスラーが停まっている。やっぱり他とはどこか違うスタイルが目を惹く。
「アレって、あいつの? それとも、兼用か」
「俺のはその横」
「ああ、シーマ?」
銀色のクライスラーの隣には、真っ黒な日産のシーマセダンが置いてあった。艶光りする綺麗なボディだ。フロントにはシンボルマークが突き立っている。
「アンタって、何でも日本産が好きなのか」
ウィンストンといいシーマといい。笑うと高杉は、別にこだわってるわけじゃねェ、と角を曲がった。
それにしても、どちらの車もその歳で買えるような値段じゃない。
こいつらに金銭感覚というものはあるんだろうか。
売り切れになるまで、次々に千円札を入れる高杉とぼこぼこ落ちてくるJPSに、口を半開きにしながら、土方はぼんやり思った。
腕にそれらを抱えて、あ、と思い出したことを口にする。
「高杉、俺の部屋に置いてるあのキャンバスよ、アレどうすりゃいい?」
一瞬、間が空いた。不思議に思っていると、
「ああ、捨てろ」
と簡単に言う。・・・もったいなくねえの。思ったけれど何故か口には出せなかった。


帰ると、坂田は部屋にひっこんでいるらしかった。
「アホの部屋どっち」
高杉が顎で示す。
そっちか。何が何でもトイレや何かと間違って入るまい。
それからノックもなしにドアを開けて、「オラ、マイセンだ!」と漫画を読んでいる横顔に1つずつ投げつけた。
「てんめー、いつか絶対泣かす!!」
と返ってきた声は、思い切り閉めたドアで遮ってやった。
うるさい奴がいなくてちょうどよかった。スーパーでマヨと一緒に買い与えられた歯ブラシで磨いて、自分の部屋にはベッドという家具がないし、今夜もソファーで寝ようと腰掛ける。
体格が似ているということで、服やパジャマは仕方なく坂田のを借りていた。
「土方、こっち来い」
「ん」
言われて素直に高杉の方まで歩いていくと、坂田のとは反対側のドアが開けられる。
レコードや、大学の資料や、奇妙な置物たちが目に付く。一通り見回しても、・・・やっぱ、奇妙な置物たち、相当気になる。何だこいつらは。
「その内ベッド買ってやるよ。それまではここで寝ろ」
「ここって、アンタのベッド」
「不都合でもあんのかよ」
じゃ、遠慮なく、と潜り込んで窓側に向けて丸まった。高杉の体も入ってきて、肩に額らしきものが乗ったかと思うと肌を噛まれる。
「寝にくいぜ」
頭を高杉の方に反ると、
「俺の好きにする」
子供みたいなことを言って、高杉はやがて寝息を立て始めた。
(なら、捨てる時もそんな風に捨てるんだろうな)
冷めた頭で思っているのに、体温の心地よさに胸に何かがじわり染み出してくる。
こんな風に寝たのはいつぶりだろう。
考えかけて、ふっと視界が暗くなり、頭を押さえた。
・・・ゆっくり、呼吸しろ。自分に言い聞かせる。
目線をあげると、何をかたどったのかまったく不明の置物たちと目が合ってちょっと笑えた。
(・・・ふ、何だよ、お前ら)
強張った表情が戻ってくる。激しいセックスで疲れていたせいもある。
2日目の夜もぐっすり眠れそうで逆に不安になった。
温かいだなんて思ってしまうと、後が辛い。 けれど、人の体温はまぎれもなくそうで、今ほんのひと時だけ、と体をくっつけているうちに眠りについた。
次の朝、入ってきた坂田に「いつまで高杉にくっついてんだ、離れろこのエロ猫!」とチョップをくらって大喧嘩になるまでは、実に安らかだった。