土方のピアノが、とうとう901号室にきた。
これでもう、完全に土方の場所になった気がした。
その黒と白は、それくらい力強くて優しい存在感をしている。
防音加工もしてもらって、おかげで土方の部屋に窓はなくなったが、気にした様子はなかった。
これからは、いつでも触れる。
その嬉しさと引き締まりだけに、支配されてる。
「なあ、何か弾けよ」
ソファーに寝転びながら、ドアの開いてる土方の部屋に呼びかける。
「命令すんな」
「てめェ、誰がそのピアノ運んでやったと思ってんだ!」
「運送業者だろォが!」
「ああそうだよ! あの人たちめっちゃ頑張ってた!」
「てめー何も貢献してねェだろ!」
「アホか、俺はご苦労さんつってちゃんとお茶出したわ!」
「お茶て・・・・」、という言葉と共に聞こえてきたのは、 今までで一番お上品というか優等生というか、そんな感じの早い粒の揃った曲だった。
「今の何?」
「ソナチネ1の9番」
「ふーん、そういうのも弾くんだ。ジャズは?」
「今はとにかく簡単に指慣らしてから。つーかうるせェお前」
そう言って、本当にクラシックばかり弾いていた。高杉は画材を全部大学に持って行っていて、最近帰りが遅い。 相変わらずの二人だった。
まあ、自分と土方も相変わらずだ。
一ヶ月前には、あんな言葉を言って、あんな抱擁してたとはとても思えない。
はーよかった、一時はどうなることかと思ったぜ・・・・・・
そう思う半面、自分は、芸術的なことなんて何もできねェなァ、とも思う。
(・・・にしても、つまんねー曲。)
せっかく、うちにピアノがきた第一日目なのに・・・と面白くなさそうにしていた自分に呆れてか、知ってるメロディーが聞こえてきた。
暑い陽射しのような音が明るいのに、夏休みの最後みたいにどっか切ない。
「あー! 何だっけソレえ!」
「Summer」
「サマー? あっあー! 思い出した、『菊次郎の夏』ー!」
「何か、観てーな。借りてこいよ」
「あー俺はいいわ親子モンは」

坂田の声に、土方は曲を弾きながらつい黙った。
(そういや、義理の親父がいるって言ってたっけ・・・会ったりしてんだろうか)
剥げたメーカーの名前を見ながら、ぼうと指でメロディーをなぞる。
土方は、親が生きてた中学までクラシックを習っていた。ジャズにはまってからは、ずっと独学だ。 始めると一直線なところがあるので、真剣だったが、趣味だった。とり憑かれたようにのめり込み出したのは、あの春からだ。
坂田が山崎に何を聞いたのかは知らない。けど、何となくすこしは知ってることはわかってる。
自分は、まだ話せない。
「・・・・・」
思っていると、体温を感じた。
・・・何故、こいつは音色でわかるのだろう。
こういうのが、高杉にはないところだ。
「・・・・おい、坂田」
ピアノ前の椅子に座っているこちらの体を、後ろから抱きしめてくる銀髪を振り返る。
「・・・ッ」
そして、手があやしく動き出すのに、(・・・コラ)、と眉をしかめた。
土方と坂田はあれから、高杉が機嫌を損ねたわけを聞いた。坂田にはやはりてんで理解できない理由だった。土方は、「・・・俺も、逆の立場だったら嫌だ」、といって納得した。 けど、坂田は言い聞かされはしても、むすりとしてた。 坂田は、土方のあの目や姿にも欲情してしまう。結局、よしわかった、そういう時は高杉の隙をみて襲えばいいんだな、という独自の結論にいきついた。

「めろ、って・・・・あいつ、帰ってきたら、」
後ろからボタンをまさぐり、うなじに舌を這わせる自分から土方が身をよじる。
服は乱れて、右肩がはみ出している。
その台詞に、耳へと唇をあげながら息を吐いた。
「・・・・・何か、昼ドラみてーですげェ興奮する・・・」
坂田は、あの家出騒動から一度も土方を抱いていない。なのに、昨晩、高杉の部屋から、すごい物音と土方の声が聞こえてきた。 「ア! 高杉、てめ、反省してたんじゃ、ッあ」、ガタガタタタ、ダン、とか何とか、 しばらくバタバタいってた音がしずまり出して、やがて土方の、・・・うう、という喘ぎで満たされた。 うっわ、ずうずうしい奴、ずりィよ高杉、 元はといえばあいつが3P誘ったのが悪かったのに!と思いながらベッドに入った。
「アレは俺が襲ったンッ、だよ」
土方の魂胆は、『悪かった』なんて謝ってきた今なら俺がやれるかもしれない、というそれだった。(無理だったけど)
「何で、俺を襲ってくれなかったわけ」
「んで、俺がてめェなんか・・・・・。・・・ァ」
シーツを握った土方の拳に力が入り、皺ができる。
んん、ん、とベッドに押し付けられている土方の口から声がもれる。
土方は高杉とのセックスより、自分の時の方がずっと甘い啼き方をすると思う。 その代わり、自分はあんなに土方が相手を欲しがるそれはできない。土方はぞんぶん高杉の体を欲求する。食いたがる。 自分の血の一部にしたがる。
俺は食われるなんて御免だ。こちらに身を任せてれば、いい。
気にせず啼いてろ。俺の存在全部で満たしてやる。
そんなセックスだ。


変な関係だった。
一体何がどうしてこんなことになったのか、とは思えど、文句を言う理由も土方には見当たらない。
土方だって、高杉には前より強く惹かれてる。
・・・・まあ、坂田のことも何だか、受け入れ始めてはいる。
どっちのセックスの方が、ということもない。
けど、この感情は今のところ恋愛みたいな「好き」じゃない。
そういうところは、まだ、よく、わからない。


「・・・・・・・ん、高杉・・・?」
ソファーでうたた寝していると、近づいてくる足音がした。帰ってきたんだろうか。つい、北斗の拳なんか読んでしまっていた。くそ、砂漠の夢を見た。 漫画をのけ、起き上がろうとする。
「あ?」
そこで、初めて知らない人の気配に気づいた。何か犬目の男。女にモテそうな顔はしてるが、とても軽そうな印象を受ける。 彼は、ソファーに手をついてまじまじとこちらを見下ろしていた。
「ねー、お前が高杉の噛み跡の主? もっとすげーの予想してたよ俺。結構、細っそいじゃん」
・・・俺は動物園のライオンじゃねェぞ。眉を寄せて、顎を掴まれたその手を掴む。
「わ、反抗的。坂田にもやらせてんでしょ? 二人相手ってどんな感じなわけ? 結構続いてるよね、てことはイイんだー都合いい相手だねーお前」
男が眉を下げて笑う。悪気がある感じでは全くない。ごくたまにこういう奴いるよな、と頭のはしで思うけど、言われたことは侮辱だ。それでも、 合ってるといえば合ってる・・・・・
口を開きかけた所で、ドン、と坂田の足がソファーの背についた。一瞬、びっくりした。
「てめー何やってんだ、帰れ」
「高杉にレコードをさ」
「じゃあ高杉の部屋行っとけよ」
坂田が男の手を掴んでいると、高杉がリビングに入ってきた。
「コレだろ」
「さんきゅ、マジ愛してる!」
レコードを受け取った相手はジャケットに大げさなキスをしてそのまま家から出て行った。見送ってきた高杉が帰って来るなり、坂田が睨む。
「アレ、うちに入れんのやめろよ」
「あー?」
「軽いんだよ。ろくなこと言わねェし」
「てめェみたいだな」
「あのな! 土方にちょっかいかけてんだよ!」
「ますますお前じゃねェか」
高杉が、ソファーで中途半端に起き上がっている自分にちょっと目をやって、坂田を見た。だから何だ、という顔だ。
「お前、あいつのドラム褒めてなかったか。言動に悪気はねーよ」
「そー・・・だけど、さー! ・・・・・・高杉、ちょっと、こっち来い」
ぐしゃぐしゃと頭をかき回した坂田は、高杉に腕をまわして、リビングを出て行った。


高杉の部屋で、ベッドに座った坂田はまだ髪をかいていた。
「あのよォー、俺らってただでさえ悪名高いじゃん。土方が、何言われるかくらい想像つくだろ」
「あー」
「だから、ああいうのは土方に会わせんな。他ならいいけどよ。てめェのピアノの女でもよ。 いや、待てギターはゲイっぽいしな・・・・とにかく家出はもうごめんなんだよ」
「あー」
「あーて聞いてんの、お前!」
坂田が苛々と顔をあげる。高杉は仕舞っていたレコードからこちらへすこし首を傾けた。 こないだはあんなに機嫌悪くしたくせに、今回はぜんぜん興味ない。それを見てため息をつく。
「・・・俺は時々、お前がわかんねェよ高杉」
「俺もわかんねェぜ。何をそんな心配してんだ」
「何って・・・・」
口を開いたまま止まる。奇妙な置物たちと目が合う。毎回思うけどマジ何なのこいつら。人を馬鹿にしてるとしか思えないんだけど。 ちょ、見て、はしっこの奴なんかちょっと腹立つ笑い方してない?
「・・・お前は平気なわけ? あいつが傷つけられても?」
「そんなもん経験だろ。てめェだって女とられた時、バカみてェにギター弾きまくって上達したじゃねェか」
「やめてくんないいい! 古傷なんだけどソレ!」
何か自分を見下してる気がするそのはしっこの置物を引っつかんで、床に投げた。
高杉が腰に手を当てて、急にこちらを見つめた。何か観察されてる。い、いきなり、何。
「俺はよォ、てめェは俺ん時と同じように土方のことも面倒みてく気になったんだと思ってたぜ。・・・恋でもしてんのか?」
はっ?
思わず、口を開いたまま固まった。いや何で、俺があんなガキに。
そりゃ、もう、お前と同じくらい憎たらしく入り込まれてしまった。抱えていくしかない。
高杉と土方は自分にとって、結構同じだ。性欲以外。
恋て、お前。


「あ、坂田、てめェこっち来い」
リビングに戻ると、ちょうど土方が部屋から顔を出した。
「何ィ、お兄ちゃんもう寝たいんだけど・・・」
ぺたぺた、と中に踏み入れる。土方はドアを閉めて、ピアノの前に座った。
それから彼が弾き出した曲は、ちょっと面白くて風変わりで、けどどこかスタイルのいいメロディーだった。 へえ、格好いいじゃん。
「お前の・・・クライスラーのイメージ」
「・・・え」
「久々に楽譜におこしてみてェな。5線ノートどこやったっけ」
・・・てことは、俺の曲? それ。
ノートを探し出す土方を見つめて、ピアノに目をやる。
「・・・・・・・」
部屋を出て、後ろ手でドアを閉めた。
それから、突然目元が赤くなって、額に手を当てた。あー・・・と、ソファーに倒れこむ。
そんな自分を、高杉がコップを口につけながら、上から無言で見下ろしてきた。
や、違うって。
「てか、ちょっ、冷たい、冷たい!」
コップの下から水滴が落ちてきている。高杉はわざとこちらの顔に当たるよう、その位置を調節してきた。
・・・こいっつ、腹立つ。
でも、違うっての。マジ。
そういうのは、もっとドキドキしてきゅんとするもんじゃん?
そんなのは俺、土方に抱いてねェよ。お前もだろ。
「・・・・ちょッ、いい加減にしろ!」
続く冷たさにがばり起き上がると、高杉はコップの縁を噛んで、「ひっととかめいはゆなんはやめよよ」と言った。
・・・・・うん、ごめん。ぜんっぜん、聞きとれん。



嫉妬とか迷惑なんはやめろよ まとめ&新章