「恋って何かね」
店の裏でビール箱に腰掛けながら呟く。
「幻想だよ」
オッサンが煙を吐きながら、ふっと皮肉に口はしをあげる。
坂田のバイトは、手ごろな値段のイタリア料理店だった。
今はアイドルタイムで客の入りが少ない。
「銀さん、居候の子とはアレからどうなったわけ」
「うっせー」
あのDVDの件では、グラサンを割ってやった。
膝に置いたボードに目を落とす。
「くそ、これじゃ弱いな。だいたい経験者が少ねェよ。俺がディフェンスに入るか・・・」
「恋には強いオフェンスも必要だよ、銀さん」
「今度は頭かち割んぞ」
明日は月2回の定休日だ。隣駅にある同じオーナーの店とでサッカー試合がある。
この前はバレーだった。恒例イベントだ。
「何っか煮え切らない顔してるよ、銀さん。オジサンに話してみ」
「うるせーっつってんだろ、この別居男」
「別っ・・・・」
まったく、一生懸命ポジションを考えている頭を、邪魔してくる。
メンバー表をぼんやり叩いていたボールペンで、ああくそ、とがりがり髪をかいた。

昨日、高杉と土方がリビングでセックスをしていた。別にいつものことだ。 特に気にすることじゃないけど、道具を使っていた。 おおい!とツッコミを入れそうになった。 ただでさえ3P反省してるとこなのに、この俺がまだ使用してないのに、お前がするかよオイイ、と思っていたら、聞いた所によると土方がそれらを探し出してきて、 突然寝込みを襲ったらしい。
あいつ、まだ諦めてないのか。この返り討ち具合は、もういっそアッパレだ。
「ァ、高杉、マジ、ちょ、」
「睡眠時間が足りねェ・・・コーヒー淹れろよ」
「ねえ、ちょっと、かわいそうなことなってるよ土方・・・」
「知るかよ」
高杉はソファーで足を組み、まぶたを撫でている。土方は床に頭をすりつけて震えていた。
「なァ、ア、も、マジ無理、コレ、ンッ・・・」
「それをしようとしたのはてめェだろォが。起こしやがって」
「悪、かった、って、ゥ」
「もう寝込み襲わねェって誓うんだな」
「・・・・ッ、ん、ァ、く、そ、誓うよ、誓うって、なあ、高杉、早っく、コレ、」
両手両足を縛られた不自由な格好で、体をねじって、そんな風に涙目で声を出す。
そうして、屈服したフリして実はまだ形勢逆転をたくらんでいる。そして、どうせ無駄に終わる。バカだ。
それが高杉は楽しそうだ。土方の野望を打ち砕くのが一種の楽しみになってるんじゃないか、アレ。
にしても、土方はそうやって、よく高杉の名前は呼ぶ。
でも、自分の時はあまり呼ばない。てか、呼ばない。
・・・くそう、高杉の奴、あんな俺好みのプレイしやがって。土方が発端とはいえ。
ずるい。
あの二人は本当独特の世界だ。俺は何かに秀でてるわけでもないし、あんな風に求められるわけでもない。 こうして、汚い店裏で何でもない試合のためにメンバー表を必死で作っているくらいだ。


その日、高杉は朝から大学に行ってしまっていたので、土方はバスに乗った。
電器屋でトースターを買うためだ。昨日の高杉とのセックスで、がっちゃんやってしまった。
・・・・思い出したくもないけど。寝込みに負けるってお前・・・・・・
額に手を当てながら適当なものを選んで、大きな袋に入れてもらう。
「・・・・・・・」
バス停まで歩いていると、柔らかい風が前髪を吹いた。
ふう、とまぶたを細める。
市役所のグランドから、わーわー、とかけ声も聞こえてきて、夕方に向かう平和な昼下がりだ。
しばらくそのボールを何となく見ていた土方は、あ、と口だけ開いた。
急に視界がそこへと縮む。
(坂田だ。)
ええ。何やってんだ、そんなとこで。
「おいいい、そっち行ったぞ、死ぬ気で止めろコノヤロー!」
みんなが走る中で、銀髪が跳ねている。
青いゼッケンを着たその体が味方の二人を追い抜いて、スライディングした。
「今のどっこがファウルなんだよ! 審判コラ、こっちこい。例の新人の子紹介してやっから」
坂田が審判らしき男に腕を回し、何か言い聞かせている。
周りのみんなが腰に手を当てて、笑っていた。
試合が終了すると、坂田は、 面倒くさそうな半目をして喋ってるくせに、おじさん達に髪をかきまわされている。後輩らしき若い男に上から水をかけ出し、それがみんなに広がっていく。
「きゃあ! やめてくださいよー!」、と声をあげる女の子が、坂田の腕を、トン・・・、と押しやった。
(あ、あのコ、坂田のこと、好きだ。)
ぼうと、まばたきする。
「どれどれ、ゼッケン脱いでみ、スケてんじゃねェ?・・・・・あー?!」
小学生みたいなことをしていた坂田が、話しながらこちらに目をやり、見開いた。
「土方ァ、何やってんのーこんなとこで」
歩道につっ立っていたこちらに、駆け寄ってくる。
「いや、電器屋の帰り。トースターの」
「あーあー例のな」
「何だその腹立つ目はァ!」
それより、あの子の視線が。ゼッケンを直して、裾に目を落としている。邪魔してしまった。
「土方すこし待っとけよ。俺、車で来てっからさ。もうすぐ帰るし」
「あー、」
「て、ことでさー悪いけど、長谷川さんの車乗ってくんない? ワゴンだし6人いけるだろ」
坂田が振り返って、女の子にそう言った。慌てて、その腕を掴む。
「いや、その子ら送ってけアホ!」
「アホって何だ、バカ」
「俺はバスで帰りてェんだよ!」
坂田は眉を寄せ、頭をかきながら、んだよわかったよ、と言った。女の子の空気がふっと明るくなったのがわかった。 頭をちょっと下げられた。耳裏に手をやりながら、視線だけ返してバス停まで歩く。
バスの窓から通り過ぎる景色を見ていると、クラクションが聞こえた。
クライスラーだ。アホ、何事かと思われてんだろォが。隣に並んでいる。それから、追い抜いていった。


19時を過ぎても、坂田が帰ってこない。もしかしたら、いい感じだ。
「飯くらいはちゃんと一緒に食ってんだろうな・・・」
「食ってきた」
急に声がしてびっくりした。高杉だ。帰ってきたとこらしかった。テーブルの椅子に鞄を置いてるその指に絵の具がついてる。口の中で笑って、ソファーから立ち上がった。
「なァ、絵は進んでんのか」
それを爪の先ではがしてやる。それから、ふ、と、香水の匂いをかぎとった。そういや、前にもあったと思う。ちょっと渋いけど、女がつけてそうな、甘い香り。 例の、ピアノの人かな・・・
「進んでる」
高杉が椅子に座った。伏せてあった、芥川龍之介の小説を手に取っている。 ソファーに戻って、自分は北斗の拳の続きを読む。つい、のめりこんでいると、ブーブー、と携帯が鳴り出した。・・・・長ェ。頭を後ろへひねる。
「高杉?」
「俺じゃねェ」
てことは忘れてった坂田だ。高杉が、テーブルの端で震えているそれをすこし覗き込む。
「・・・・ああ、親父か・・・」
ぼそり呟くのと同時に切れた。
・・・ふーん? 連絡取ってんだろうか。そういう話題は一度も出てこないから、土方は全然知らない。てっきり、どこかの女かと思った。
「なァ、お前らって、彼女とかそういうのいねェの」
高杉が横目でこちらを見て、ページに戻す。
「何だ急に。いたら怒んのか?」
「怒りゃしねェよ。いんのか」
「まァ、そりゃ他の奴ともしてる。銀時だってそうじゃねェの」
お前は?と聞かれるが、何せこっちは二人が相手だ。前までは外出もあまりしてなかった。ぜんぜんしてない。
しかし、それを聞くと、ちょっと気になることがある。
「やらせたりも・・・」
「してねェよ。相手女だぞ」
ああそう、よかった。これで、肯定されたら面目丸潰れだ。いやもう、潰れかけてるけど。
それから、すぐに坂田が帰ってきた。たっだいま〜という声は普通だ。
けど、たまにどこかぼんやりとしてる。ミックスフルーツのパックを持ったまま口に当ててない。
「あの子、どうした」
「はっ、お前何で知ってんの」
坂田が驚いたようにこっちを見た。別に、ちょっと聞いただけなのに。しまった、という顔をしている。 ごまかすように携帯を見て、ふと一瞬無表情になってから、はーとため息をついて話し出した。
「いや・・・飯食って、車二人きりんなるじゃん。その空気がどうもなーって思ってたんだけど。で、マンションの下まで送ったんだけど、 そん時にさあ・・・・・まあ、好きって・・・・・」
「珍しく純粋なはなひだな」
高杉は本についてる紐のしおりを噛みながら、まだ読んでいた。
「そーォなんだよなあー・・・純粋なんだよなあ、珍しく。だから困ってんだよ」
「好みじゃなかったのか」
「いや、ああいうのも好きだけど」
「なら、付き合えばいいだろ」
坂田が急にパックを降ろしてこちらに視線をよこす。・・・何だよ。それから、フタを人差し指でパコンと閉じた。
「じゃー、付き合おうかな」
立ち上がりながら言うその声が強い。まるで、自分へのあてつけみたいに。いきなり何だってんだ。 冷蔵庫へ歩いていく背中を睨んで、もう、漫画に意識を戻す。
「だいたい、俺の何がいいかねェ。あーゆーお洒落系の可愛い子がさァ」
「お前、モテそうだったぜ。男にも女にも。今日ちょっと見てたけど、別に不思議じゃねェよ」
漫画の台詞を読んでるせいで、何となく今日思った感想が自然に出ていた。
坂田のああいうとこ。あれは、ほんと、誰にでもあるもんじゃない。そんなところに自分だって受け入れられてしまった。
ページをめくる。そこに突然影が落ちた。
「・・・土方」
ソファーの背に手がつき、唇が下りてくる。・・・今度は何だ。
舌同士が離れると、膝で馬乗りになってきた。
がばっとシャツをめくられ頭が入ってくる。うわっ
「ふ・・・・ちょ、」
逆はあっても、あの3Pをのぞけば、高杉のいる所で坂田としたことはない。
何か、変な感じがして、嫌だ。
カタ、とテーブルの方ですこし音がすると、ピクリとする。「・・・、締めるなよ」と坂田が言う。
ソファーに完全に顔を埋めて、上下の動きに耐えた。
「土方、俺のこと呼んで」
「ッ、・・・・ッン」
「呼べって」
背中で腕を押さえつけて、どうでもいいそんなことを要求する。冷静になって考えてみろ。実際、 最中に名前なんか呼ばなくねえ? 高杉は呼んでしまうけど、 アレは抵抗だったり、非難だったり、懇願のフリだったりのせいで・・・・・・
「・・・さ、かた」
ソファーで額を擦って搾り出すと、動きが止まり、ゆっくり背中に唇が落ちて、キュゥ、と痛みが走った。痕を残された。
高杉は何故か喉で笑った。
「違ェって! も、俺、付き合う!」、と坂田がいきなり叫び出すが、何が違うんだ。


「へえ、お前、少女漫画も読むのか」
次の昼頃、坂田がリビングで漫画を読みふけっているところに声をかけた。
急に耳元に落としたのが悪かったのか、坂田は、うわあああ!と声をあげた。びびった。後ろに体を引いてるこっちを見て、 坂田が大声を出した口をぱくりと閉じる。その横にはたくさんの漫画が積まれていた。
「や・・・まあ、バイトの子がさ、貸してくれて」
「ふーん。コレの一巻どこだよ」
「あ? お前も読むの?」
「暇なんだよ。もーピアノは当分いい。つって、いつもすぐ弾くんだけどよ」
言いながら、ソファーの下に転がって、目のきらきらした女が表紙の一巻から読み始めた。坂田はソファーの上で降ろしていた足を、 さり気なくあげた。

「・・・・女って、本当にこんだけ下心ナシで男見てんのか? 本当に?」
「お前の趣味、誰?」
「あーこの髭」
「ウっソ、何がいいの。俺、このカールの子ォ」
結局土方は、坂田より真剣に読み込んでしまって、 「何でそこで、そうとるんだよ! バカかお前は・・・バカだお前は・・・」と漫画に向かってツッコんでいた。それを横目で見ながら、坂田は顎をかいた。 少女漫画なんか借りてきたのは、恋なんて言われたせいだ。 漫画で読んでみればすこしはわかるかと思った恋愛は、結局全然わからなかった。
やっぱり、あの子可愛いな、と思った。
俺には寄ってこないタイプなのが、また逆に興味を引く。
土方と違って、素直でいいじゃん?
最終巻で涙目になっている土方を見ながら、トトロを思い出す。そうだ。ただ、ギャップに落ちる、というのは共感できる、と思った。
けど、俺は、土方には恋はしていない。
・・・・・・よし、俺は、あの子に、賭けるぞ。
ぎゅう、と格好よく拳を作っていると、土方が、ちーんとティッシュで鼻をかみにいった。あー・・・、と声を出しながら、放り投げたそれをゴミ箱からポコっと外して、 這いながら拾いに行っている。
まったく、いろいろ台無しだ。
「恋ってそういうちょっとしたことで冷めてくんだぜ。気をつけろよ」
言ってやると、
「てめェも寝るときパンツん中両手入れてんじゃねーよ」
と返された。
・・・・くそう、いつ見たお前。