名前は書ける。漢字で書ける。
だが、ここの住所って何だっけ 証明写真って何で要んの
・・・今、平成何年なわけ?

土方には、学がない。理論の応用や判断のスピードなんかはずば抜けているが、ぜんぶピアノに出るので、本人も周りも気づいてない。

履歴書を前に、土方は早くも挫折地点に立っていた。



「おい坂田、うちって新聞あったか・・・・」
履歴書を片手にリビングへ入ったら、坂田がフリースにくるまり寝転んでいて、その周りを携帯と充電器とチョコフレークと幽遊白書全巻とティッシュ が囲んでいた。マイスペースが築かれてる。「俺明日から2連休、うっわ何しよ〜」と言ってた結果、漫画を読み返して徹夜したらしい。 馬鹿じゃねえの。
「んー・・・新聞・・・・・高杉が取ってる・・・・・」
寝返りをうつのを横目で蔑んでからテーブルを見ると、確かにマグカップに敷かれてる。
一面の見出しに『例年より3割減』。その文字が脳に入ってこない。
(活字がキツイ・・・)
春に入ってから。・・・これはきてるな。
少しこめかみを押さえていると、坂田が「土方ーァー」とやけに間延びして呼んでくる。・・・そんな先生いたな。
「・・・んだよ」
「そんな切羽詰まってねえでさー、お前もちょっと寝ろって・・・」
すこし振り返ると、坂田が虎柄のブランケットを山状に空けて自分を誘っていた。 お前はどこのグラビアアイドルだ。
「来いって、フリースあったけーぞー、すげーぞフリース、略してスゲース」
・・・別にそこまで寒くねェし
「金時のこと教えてやろうかなーと思ってんだけどなあ〜」
・・・・あ、やっぱちょっと寒いかも
しかし男二人の体を包むには明らかに狭い。嫌な顔をしてそろーり足だけ入れたところで、いきなり体ごと引っ張り込まれた。
「いッ・・・・てっめ、腕つった!」
「ッだ、暴れんな馬鹿、俺がはみ出んじゃん!」
「、離せ」
「あ〜〜ったかァー・・・」
まだ寝ぼけてる坂田に完全に抱きこまれ、諦めた息を鼻から盛大に吐く。・・・ふー、ったく。
「で」、強くうながすと、坂田は閉じたまぶたをこすりながら口だけ開いた。
「んん金時ってさあ・・・昔から恋愛事に、ほんとは興味ないんだよね・・・そりゃモテたけどさ・・・・ どこかいっつも冷めてるあいつが己の人生を賭けられるのは、 そのために本当に必要としてるのは、そういうもんじゃ、ないんだよ、たぶん」
「・・・・・・」
言葉が途切れたので、坂田の胸にくっついていた頭を上げてみたら「ん?」と眠柔らかい声で言われた。
いやおい、それだけかよ。
何が言いたいんだよ。
・・・・・でも、ふうーん・・・・
坂田と密着したまま、今聞いたことを考えているところに、すり、と足が寄って来る。
抱き込んでいた手が背中をわずかにすべる。
近距離の寝ぐせがついた銀髪の下で、ふやけた目が開いて合った。
「・・・・・なあ、しねえ?」
「気分じゃねえ・・・」
「俺はムラムラきちゃってんだよ。いいじゃん・・・フェラでいいから」
「・・・いいからって、」
ブランケットの中へと頭を下げられ、・・・・仕方ねェなァ、金時の話もまあ一応聞いたし・・・、スウェットの前を下ろし口に含む。
音を立て喉を使うと、「、ふ」と言う。それと同時に玄関の音がした。
高杉?
「へえ珍しい絵だなお前ら、気色悪」
「ん、あと3分・・・」
もう大学から帰ってきたのか。 はっと、坂田と2人でもぞもぞしている図が客観的に浮かぶ。うわほんとだ、気色悪。 何があと3分だ、早くイけよこの野郎
・・・こいつにこういう手使うのは何か嫌だったけどこの際しゃーねェ。
唾液の引いた舌をやらしく出して、坂田を見上げる。
「・・・な、早く飲ませろよ」 お前の
坂田は、一瞬ものすごく、ぽか、といった感じで口を開いた。
んん、と首を伸ばしてくちびるを押し付けねだる。髪を掴む手に力が入り、ゴクと飲み干した。
「はー・・・高杉お前って何かバイトしたことあんの」
ブランケットのせいでぼさぼさになった頭をかきながら聞いてみた。
「ねえ」
「ね、え・・・いや、お前らしいけどよ」
「それより、アレは放っといていいのか」
あ?
振り返ると、坂田が座り込んだまま下を向いて額を手で押さえていた。
・・・何だあいつ。
「・・・・・お前ソープ譲になれば・・・」
「ああーそれもありか」
「バッカ、冗談だよ」
「つかお前、ほんのり赤、」
「はああ? 赤くなってねェし! 何が?」
坂田は突然大声になって、首をひねりちぎりそうな勢いであちらの方を向いた。
・・・大丈夫かアレ。ゴキッつったけど。



「あいつのバイト情報誌見たか。ガソスタに丸ついてたぞ」
高杉がコーヒー豆を開けながら、淡泊に報告する。
・・・元気よく、らっしゃーせー!と言う土方。全く想像できん。
「あと、駅前のラーメン屋」
「はい醤油一丁ー!」って大声で言えんのか、色々わかってんのかあいつ。
「銀時、お前何か紹介してやれよ。このままだと絶対妙な方向突っ走るぜ」
「何で俺ー」
「顔だけは広いじゃねェか。あいつの出来そうな事1つくらいあんだろ」
・・・・はー
1つくらいっていうか、今のところあいつの出来ることなんか、1つしかねえじゃん。
・・・痛い首をさすりながら、さっきの土方を浮かべた。
「〜〜〜ああああーーくそっ!」
跳ね起きて、ガシガシ両手で頭を掻きむしってみる。
高杉が横目で見て来たので、こちらも横目を向け、 ・・・お前フェラでいったの最短何分? 聞いてみたら、んなもん計ったことねェ、と半目で返された。
「・・・・土方ァー」
部屋をのぞくと、土方はベッドから3分の1ほど体が落ちた状態で寝ていた。 眉間にくっきり皺を寄せてるけど、寝息が聞こえる。やけに寝苦しそうだ。
開いている口の中を指でなぞり、舐めてみると精液の味がする。
このくちびるで俺のを飲むんだ・・・改めて考えてみると妙にくるよね、性欲以外の何かも妙に煽られた、とか思っていたら、 土方が急にバチッと両目を開いた。
「ッお、起きた? やっ、お前に話があってさー」
土方が片目を手で覆いながら、ぼんやりこちらを見る。
「何お前大丈夫?」
「・・・・ああ。話?」
「いいバイト教えてやるけど。明日」
は、と口だけで形を作った土方は一度まばたきをした。それから、明らかに、いやお前がァ?という瞳でこちらを疑った。・・・しっつれいな奴



「ピアノ弾くから土方飯いらねーって・・・うわお前、ヨーグルトに納豆混ぜんなよ」
左手の和音
「どう食おうが俺の自由だろが」
マイナー
「目の前でそやって食われると、かわいそうな気持ちになっちゃう」
「うるせえ黙れ」
登って
「絶対まずいだろ、いっだ、蹴んなよ、ッちょ、痛ったいって、あれ誰か来た? ・・・痛い!」
グリッサンド
・・・・・・ふー。
曲だけは知ってる歌をアレンジしてみて、一度指を離す。 悪くはない。ないけど、俺のアレンジってパターン化してるよな・・・いろいろ影響受けてるのは仕方ないとしても・・・・ もっとこう・・・・あー・・・・
駄目だ。今浮かびそうな感じじゃ全然ない。
腕を組んでいると、ドンドンとノックの音がした。
ピアノ前に座ったまま、物干し竿を伸ばしてドアを開ける。最近編み出した技だ。
キィィ、と坂田の面白くなさそうな顔が半分だけ見える。
「金時来るって」
金時? また?
「ここはァ土方くんの家でもあるわけでしょォ? じゃあ土方くんに会いに来た俺を拒むってことはァ、土方くんをここの一員として認めないってわけェ?」
とか何とかたぶん金時の台詞を真似した坂田はリビングに戻り、「ッあー腹立つゥ!」とガタン椅子をひく音がした。
金時か・・・
まあいいや。もっと模索するついでにもっ回頭から。
「あ、来たなお前こっからは入んなよ、ここは俺の家でもあんだからな!」
「まァたそんな子供みたいに・・・・えっ、何かエヴァ聞こえない?」
金時も一応趣味でちょっとテンション上がんだな、と思う。
「綺麗。好き」
早い足音がしたかと思うと、後ろから金時に抱きしめられた。
擦り付けられる髪の毛に、片目をつむる。こういう愛情表現を見せてくるのは金時だけでくすぐったい。
けど、前よりそれに慣れた。それもこれも、
「最近しょっちゅう会ってねェ?」
「いいでしょ、土方くんに会える暇があるなら会いたいもん」
「俺はたいがい暇だろ・・・・」
自分の肩を抱く金時の腕に目を落とす。変に早るセックスや、ホテルでの別人みたいな姿。
いつもの笑みで顎を上向けられ、近づく細い金髪の束にまぶたを閉じた。
・・・音なく人差し指で鍵盤を下ろす。
何だろう・・・・・・何ていうか・・・生き急いでる
よくわかんないけど そんな風に・・・見えるよ、お前
金時は、夜用事がある、と言って(何の、とは、土方には何となく聞けない)、 銀時に、ヨーグルトに納豆を混ぜるってどう思う、という話をしつこく聞かされ、「食った方が早ェ」という高杉に試食させられ、 そこは流石というか何というか、一瞬片目を細めかけてにっこり「美味いよ」と言ってみせた。・・・立派だ。



「土方、飯食え」
次の日、昼過ぎまで寝ていると、高杉がスプーンを片手にドアを蹴り開けてきた。
「いらねー・・・・」
「うるせー寒天パパだぞ」
少しの間、はん?となってから、遅れて、吹き出す。
「これお前が作ったのか? か、寒天パパで?」
「何笑ってんだ」
だって、このどでかい長方形に寒天パパの材料を流し込んで、固める高杉、すっげェ見てみたかった。
じゃあ、と大きな白いはしっこにスプーンを差し込む。
「・・・・・味しねェ」
「するだろ。ヨーグルト味」
え。拳で口を押さえて、・・・ななめ下へ目をやる。
高杉はもう結構な量を平らげていて、 自分と同じで今頃起きて来た坂田はそれを口いっぱいモグモグしておいて呆れていた。
「なんなのお前ヨーグルトはまってんの?」
「美味いだろ」
「・・・それはパパの力だろ! あ、土方、支度しろよ。仕事紹介するから」
言われて、ちょっと黙る。正直不安しかない。断ろうかとも思ったが、高杉が、銀時の顔の広さに間違いはない、と、言ったから。
「5分な、5分以上遅れたら置いてくからな!」
「てっめェも起きたばっかだろうが!」
右のすねを蹴ると、坂田は大げさなくらい体を折り曲げて痛がった。「おっ前、高杉とおんなじとこ蹴んのな・・・・」右目だけちょっと涙目だ。

電車に乗ると、坂田は両手で吊り革を占領した。
「お前さー目標金額とかあるわけ? 月どれくらい稼ぎたいとか」
おっ・・・それ、それは、だな・・・・
「やっぱ全然考えてねーよこいつ。まーじゃあちょうどいいけど」
「ちょうどいいって、どういうバイトなんだよ」
坂田が吊り革に体重を預けたまま、ちょっとだけこちらを見、髪をかきながらまた前の窓に戻した。
え、何だよ。まさかそんな言いにくいくらい変なバイトじゃないだろうな。
「知り合いのバー。あー今度イベントでジャズ週間やんだけ、ど・・・」
ジャズ?
「まあ、だから、何つうか・・・その間だけ、ピアノ弾かねえ?って話」

「・・・ピアノ?」
「ん? ゴホ、うんまあそー。だいたい夜8時から0時まで、休憩はさんで、6千円ぐらい」
「・・・・・・」
ピアノを弾いて、給料が、もらえる。
「まー、お前見た目はいいから、あのママ絶対気に入ると思うよ」
まだ閉店しているバーの、木造模様の小さなドアを坂田が開ける。
奥から、綺麗なカーディガンを羽織った何歳だか全くわからない人が出て来た。坂田を見て、ああ、とかすれた声でタバコをはじき、 こちらに目をやってとつぜん表情スイッチが入る。
「これが例の彼? かーわいい! 何でもっと早く連れてこないの、ねえ? それで本当にピアノ弾けちゃうの、 だって会社通すとお金かかるじゃない。ぼやいてたら、いい子がいるって言うから。銀ちゃんが言うから間違いないのよ」
「ベラベラ喋んなよ・・・」
坂田が睨むのも無視して、彼が自分に向かって強く頷く。
「アンタ合格」
早い。弾いてもないのに。
「接客スイッチ入れなくていいよ。言っとくけど本当にピアノだけだぞ。他のことやらすなよ」
「ちょっとした手伝いも?」
「・・触られたりすんじゃねえの」
「やっだ、ちょっと何、この子銀ちゃんの、」
「違っげーよ!」
「ふうーん、心配なら店で飲んでれば。売上貢献して」
「おっま、せっかく紹介してやってんのに、帰るもう」
「やだやだやだやだわかったわかった」
坂田の腕にすがりついているママらしき人を見、店内をちょっと見渡す。
(・・・・要するにゲイバーか)
それから、まだ運ばれてきたばっかりみたいに端っこに置かれているグランドピアノ。
近くまで寄り、鍵盤の一つに指を乗せると、ボーン、と中で跳ねる。黒い屋根の下に音を出す瞬間が見える。
すげえ。
メロディーを弾いてみれば、ピアノの音が空気に直に伝わってくる。重厚でしっかりした風格ある鍵盤。
「・・・何、あの子、どこで見つけてきたの。ああしてると見惚れちゃうね」
「俺じゃねえよ」
「あー複雑ね」
「・・・何がだよ!」
「やだやだやだやだ帰んないで」
まださっきと同じやり取りをしてる二人の元に戻ると、二人とも同時にこちらを見た。
「気に入った。弾きたい。えっと、働かせて下さい」
「だから、合格だってば」
ママは坂田の腕を引っ張ったまま笑った。

帰りの電車で、坂田に礼を言わなくては、と思うが、これがなかなか言えない。
けど、
「まさかピアノ弾けるなんて思ってなかったから・・・、」
と切り出そうとすれば、坂田は坂田で、 何故か照れているように恥ずかしそうに、ああうん、と早口にまとめてしまう。 何だか居心地悪そうに目が泳いでいた。
かと思えば目線をすこし落としてぼうとする。
そうして絶対起きてるくせに、途中でこちらの肩に頭を預けてきたけど、疲れてんのかもしれないし、まあ礼を言わない代わりにそれくらい、いい、と 何も言わずそのままでいた。
家に着くと、高杉がエプロンをして例のどでかい容器で今度はグレープ味の寒天パパを作っていた。