散乱してるゴミ箱の中身、2mくらい飛んだ体。
(・・・えーと・・・)
土方は落ちそうになっていた煙草のフィルターを指にはさみなおした。

周りを見ると、腰を引かせた男が退散するところだった。
それは、どうでもいい。面倒くさかったし、ちょうどよかった。
(・・・でも何で突然ぶっとばす必要が?)
「あーお前・・・いつ来たんだ」
とりあえず、銀髪に視線を戻す。
今日の土方には、集中力がない。不眠続きで、疲れている。
頭がどっか浮いてるみたいだ。


「・・・あの男、坂田の知り合いか?」
殴ったことにぽかんとしていた坂田は、とんだ勘違いに顔をあげた。
「ッはあ?! 誰が! お前も何あんなのに口説かれてんだよ!」
土方が、自分の勢いにまばたきをする。
あっしまった。
何で怒られてんの俺、という顔は、俺の今の行動の、理由を知りたがってる。まあ、当たり前だった。
ああ、何て言い訳しようコレ。
「あ、あー・・・そうじゃなくて。今のは、つい・・・・」
つい・・・何だ。
あんな男にあんな声をかけられて、触られたのが我慢できずに、気がついたら殴っちゃって?
・・・言えるかバカ。
土方から目線を外して、夜の暗がりへ転がったゴミ箱を見た。
・・・このパターンは、よーく知ってる。
俺は、自分を上手く操縦できるタイプじゃない。内に押し込めていたって、突然、勝手に、表へ飛び出る。何て、いい例だ。
抑えた期間が長くなるほど、その反動はいつも計り知れないのもわかってる。
地面につま先をぶつけながら、気が遠くなりそうなため息をついた。
(はー・・・ちょっと、冷静に考えてみようか俺)
これから先、何回もこういうことになりながら、その度に、はぐらかして、立ち入っちゃいけねえ、と。
そんな我慢を、俺ができると、よくも思えたもんだ。
トントン、トンと靴の先が音をたてる。
我慢は、しんどい。でも、怖い。関係を壊したくない。守りたい。傷つきたくない。囲いたい。
権利が、欲しい。
(・・・線の向こうの。)
・・・・・あ、面倒くさい

「坂田?」
路地の間から、狭い夜、小さな信号が、ぱたと青になった。
「! ・・・」
景色が何かに遮られたと思ったら、こっちへ踏み出してきた坂田の影がひどく近くにかぶさっている。
(なんだ?)
突然、俺の肩を、壁に押し付けて。
「・・・殴って何が悪いんだよ。お前のプライベートがどうとか線引きとかもう知らねーよ俺」
・・・はあ?
意味のわからない発言に、まつ毛をあげる。
「金なんかあの男より今の俺のが出せるし。5万で買えるなら俺が買うっつうの。7万お釣りがくるわ」
「何の話・・・つか、腕、」
痛ェ
「隙みせてるから、誰でも寄ってくんだよ。どこまでがわざとなんだお前」
(・・・おい、説教かよ)
いつかの、『淫乱』って、そう言い捨てた坂田が思い浮かぶ。
だいたい、こいつの怒りは、いっつもタイミングがわかんねェ。ああまたか、と思う。
だけど、今の坂田の喉は、一瞬だけ。
わずかに、飲み込む息をためらって。
伸びてきた片手に、何をされるのかとつい身構えた頭が、ゆっくり、引き寄せられた。
「・・・・そういうお前を、誰にもよこさず、俺のにしたいって・・・そういう権利。欲しがっちゃ、いけねえの?」
坂田の猫っ毛が、自分の前髪に、くしゃり重なる。
え。
ぽかんと目を上げると、体勢で見えにくい坂田のまぶたは伏せられていた。
ほんのちょっと、ふてくされたような、眉の寄せ方で。
(・・・え、いやっ、なんて?)
目の前の視線がこちらへ遠慮がちにすべる。 そうして、自分を映した瞬間、その瞳の奥がゆるく揺れ、やがてどこか真面目な光を結ぶ。
「・・・・・」
路地向こうに、プアン、と通り過ぎる一瞬の車のライト。
照らされて右側だけ光った銀の前髪が傾いたと思ったら、くちびるが触れた。
(っ、・・・・)
そうしたいのをすごく耐えていたみたいな。
でも静かに。なのに熱い。そんな重なり方をして、すこし開いた口内に息が混ざり、角度が深くなる。
俺のことを確かめる。
そこから、感触以外の、何かが、流れ込んでくる。
自分の指先が、その熱にぴくと跳ねる。
「ふ、・・・」
何も言わない坂田の、腰の服を無意識に掴んだ。
柔らかい髪の感触。
不覚にも、血の脈打った耳がドキドキと鳴って痛い。



「あははは! 高杉のことかわいいって?」
土方くんって、ほんと高杉に盲目だよねー お前みたいな自己中をそんな風に思えるなんてさあ
珍しく笑い声をあげた金時が勝手に、こちらの分までコーヒーを淹れ、ハイと置いた。
「つか、土方今いねえぞ。何の用だ」
そのマグカップを引き寄せ、本を開く。銀時が留守なのをいいことにのびのびとテーブルの向いに座っている金時は頬杖をついて、ふ、と笑んだ。
「知ってるよ。照れなくてもいいじゃん。土方くんのことノロけといてさ」
誰が照れてんだよ。つか惚気けてねェし。
半目で文字を追いながら、「・・・・」、曲げたくちびるで煙草を揺らす。
土方が俺に抱く感情の特殊さは、俺が一番知ってる。
単に何か変わった、って言ってんだよ。
土方が俺を見る感じが。
これまで俺の中の一点だけを、引き出したがって噛みつき離さないようにだけしてたあいつが、 ふざけるようになった、悪態もつくようになった。遠慮がなくなった。
いつも強烈に俺を欲しがる瞳に、深み、みたいなものが混じり出した。
「・・・・・」
カップの中身、丸く傾くコーヒーに目を落とす。
・・・悪く思ってるわけじゃない。
けど、接しにくくて、少し、戸惑う。そういった全体的な感情をどう形容するのかというと、難しい。
難しかったから、眉が寄った。
難しいながらに、とりあえずベッドに敷いてやったら、あいつ・・・・・どんな顔してたんだか。
「こないだのこと怒ってる?」
「泣かせた内に入んのかよアレ」
「よかった。銀時、閉店まで打つって言ってたけど、絶対そろそろ動くと思うんだよね」
ああ、そんなこったろうと思った。
一番外面のいい金時が一番タチ悪い、と、銀時がたまに言う。(まあ間違ってはねェ、だからどうってわけでもねェけど)、 あくまで甘いまつ毛を落としながらコーヒーを飲む金時へ目をあげ、ぱたん閉じた本の上に肘をついた。
「お前が欲しいのは土方か?」
「どうして?」
「銀時は意外に純だぞ」
「フ、知ったこっちゃないね。俺さあ、欲しいもんって滅多に見つかんないんだよねえ。 その分そんなの見つけた時は絶対手元に置いときたいよねえ」
そうか。
「・・・・」
淹れてもらった熱いコーヒーに口をつける。
なあ金時、そんなお前の本当の本性を、俺は知ってるぜ。
時計に目をやると夜の10時半。パチ屋ももうすぐ閉まる。それでも銀時が帰ってこないなら、こいつの言うように何かやらかしてるんだろうが。
「てゆうか、リビングがコレでよく暮らせんね」、と立ち上がった金時がつま先で避けるのは、 半分以上できあがったパズル。周りでバラバラ散らばっている、残りの、ピース。
「さあって、じゃ俺もそろそろ行くよ」
「どこに」
「土方くんが銀時にほだされちゃったら俺困るもん。適度に泣きついとかないと」
華麗にパズルを避けながら、ジャケットを肩に持つ金時へ、横目をやった。
「あのママに惚れられてんじゃなかったのか」
土方の立場を悪くしたくないとか、言ってたくせに。
「何言ってんの、そんなの半分営業だよ。まあ嫉妬するフリくらいはされるかも」
なーんて
とかなんとか。
玄関で靴を履いている金時の、余裕な色気が笑みになる。
なーんて、じゃねーよ。
お前の目論見なんて関係ねえが。銀時が今、何やってんだかも、知らねえが。
あいつのピアノを邪魔するようなことがあったら、それだけはいただけない。



「・・・あ、あのよ、坂田・・・」
まだ静まらない心臓。やけに長い間抱きしめられた後、ふっとできた隙間へ夜の空気が入った。 妙に、寒い背中が心もとない。
(こんな頭が回ってない時に・・・・)
考えている内に、坂田が、返事を待つことができなかった、あるいは、したくなかった、ように、変な間で口を開く。
「・・・・・土方、お前、ちゃんと考えたことある?」
「・・・・お前のことをか」
「高杉のことも、金時も。あいつらだって、お前にとって何なんだよ。ずっと今のままいるわけ?」
その言葉に、ガツーン、と脳天を殴られた感覚。
(それ、は・・・・)
だって、そんなの今まで散々好きにやってきて。
それが当たり前だったじゃないか。
お前だって、そうだったじゃないか。人の事言える立場かよ。
そう言うと、
「・・・俺はちゃんと一歩踏み出たもん」
するり離れる坂田の手。何だか焦燥感のようなものを覚えて、無意識に目で追ってしまう。
(・・・つか、結局、言いたいことは何だったんだよ?)
互いに曖昧な距離で、互いに何も言えず、
そうしていると、ゆっくり誰かの足音が近づいてきた。
「あれ? 土方くんと銀時じゃない?」
声の方へ坂田が視線をやる。顔をあげるより先に、坂田が、「おっ前」と呆れを通り越したように言った。
目線の先の地面で、革靴が止まる。顔をあげた先に、金髪が夜によく溶けた。
「お取り込み中お邪魔しちゃうね。ちょっと土方くんこっち貸して」
「・・・・てめーここには来ないんじゃなかったのかオイ」
貸してって、俺はボールペンじゃねえんだぞ
「土方くん、突き飛ばして来ていいんだよ。それとももう銀時のになっちゃった?」
「まずお前のもんじゃねェだろがァ! つか突き飛ばしていいって俺にも人権があんだよ!」
俺にもあるだろ!
俺に選ばせろよ。いや、仮に俺が今どっちかを選んだとして、何が起きるのか知らねーけど。泉から女神でも出てくんのか。金と銀だけに。
(・・・ダメだ、俺。)
・・・・・・あのよ。全部ひっくるめて、後でも、いいかな。
ピアノも残ってる。ややこしいこと考えてる暇も精神的余裕も、ねえんだ、俺。本当。
「おいバカ兄弟、はた迷惑はそこら辺にしとけ」
バン、と開いた裏口のドアから高杉の明らかに蹴り開けた名残の足が見えた。心底面倒くさそうな顔をタバコの煙が覆っている。
「高杉!」
お前ってやつは、何てタイミングで出てくるんだ。後光さえ見えそうだ。ていうかいつの間にお前まで来てたんだ。ちらと見降ろされ、灰がトンと落とされた。
「ママが呼んでんぞ、早くピアノ弾けお前は」
「お、おう」
高杉を通り過ぎて、店内へ戻る。あたたかい空気にあたって、・・・・・そうだな、とにかく、ピアノ、と自分の指を見た。


長い6曲が終わって、休憩。
ようやく2日目が終わりそうだ。・・・散々な出来だったが。
ふう、と息をついて、狭い従業員室(というより物置)のドアノブへかけた手を、後ろから誰かに柔らかく重ね握られた。
(・・・坂田、か?)
と、若干、緊張しながら、振り向いてみて、
「金、時」
心配そうに首を傾けている色男に目をまたたく。
「土方くん・・・さっきは本当ごめん。しんどいのも知らずに・・・迷惑だったよね」
しゅん、としぼんだ空気。つい、「や、別にそんなこと、」と、こっちを焦らせる。
「つうかそのー・・・・兄弟喧嘩でもしてんの」
「まあ、ある意味そうなるのかなあ」
そうやって終始憂いの表情で、「あーと、とりあえず、入る?」、いとも簡単にドアを開けさせるんだな。
スイッチを探して手をさまよわせていると、金時の腕に当った。
「あ、悪ィ」
にこりと笑んでくる、もういつもの華。 暗がりでもわかるくちびるの輪郭に瞳がぼうとなる。
ていうか、たぶん、スイッチ・・・・金時の背中の後ろにあると思うんだが・・・・
「土方くん、銀時のこと好きなの?」
「・・・どうして」
仕方がないから、ライターを擦って、とりえあず煙草に火をつけた。傾いたソファーに、疲れた体を沈める。
「じゃあ、俺のことは?」
金時が近づいてくるごとに、濃くなる光と影。曖昧だからこそよく浮かびあがる艶。肘起きに乗せた手で前髪をかきあげ、額を押さえたままそれを見た。
「・・・・・心臓が持たねェよ。アンタには・・・」
「嫌われたわけじゃないんだ?」
・・・んなことあるわけない。
「投げやりな色気」、と少し笑う金時の言葉。もう今はどうにでも好きにしてくれ、そんな目をしている自覚はあった。
気だるいまぶたの下から見上げていると、右手を引かれ、ライターがカンカンと床に落ちていった。
ソファーの背に手がつかれる音、くちびるが降りてくる。
「、・・・・」
そういう瞬間、心底疲れてるのに、どくどくと鳴り出す心臓を、どんな他の相手にだって知らない。ってことを、きっとどうせ、アンタは知ってんだろう。
見つめられるだけで急激に胸を一杯にさせられ、触れられる前から、は、と押し出されそうな息を。
そういうの、坂田には、ない。そうは言える。けど
「ん・・・・・、ン、」
(『欲しがっちゃいけねえの』って)
滑らかに、巧くて、なぞる舌に、切なく眉が寄る。
そのままシャツのボタンを外すきれいな指。
そこにあるのは、期待と、初恋みたいな高鳴り、アンタの艶やかなそれに満たしてほしいと願う、落ちる雫みたいにキラリとしたときめきたち。
「店の暗い部屋ですんのって、なんか燃えるね」
「ッ・・・、ァ」
ギシ、と鳴る古いソファー。
歯と舌の間で彼の指をはさんだまま、口端から唾液が流れた。
「・・・ほんといつも煽るよソレ、まじで。ッあ、噛んだら痛い」
「ッん、」
だって。
『濱マイクのオープニングでしょ?』
『EGO-WRAPPIN'のPV思い出すよ』
壁の向こうから、聞こえる会話。この感じじゃ、こっちの音も漏れるんじゃないか。
たぶんカウンターに座ってんだろう、坂田の声。フ、誰と喋ってんだか・・・
「・・・ッ、あ!」
背中がのけぞる。あげた太ももを引き寄せられた瞬間、奥の変なところに当って、金時の服を思いきり掴んだ。
前髪が散る。
汗ばんだそれを金時の指がかきわけ、小悪魔みたいな笑みでこちらの耳元にくちびるを落とした。
「今の。聞こえたんじゃない?」
「く、ン、いく・・・」
暗い中でも、さらさらと流れるきれいな髪艶に、見惚れてしまう息できつく目を閉じた。
(・・・誰にも渡さない権利。それを欲しがるって、つまりはどういう意味だろう・・・)


「土方くん」
ママが手招きをする。
「合意の上なの? 金ちゃんのあの力じゃ、びくともしないでしょ?」
金時は勝手知ったる我が家というか、我が物顔というか、そんな感じで歩いてきて、ふふん、とカウンターに肘をついた。
「何、ママ、ヤキモチ?」
「違うわ、忠告よ。金ちゃんがうちの子片っ端からあの部屋で食っ、」
「てかママしばらく見ない間に、どうしたの? すっげ綺麗んなった」
「言われ慣れてるわよ」
「一年見ない間に見違えたよ。あー、惜っしいことしたんだなァ俺・・・」
「ッもー金ちゃん!」
カウンターで頬杖をついていたママは平手でバシィと金時の肩を叩いた。 流石の金時も、うめき声こそ出さなかったが、椅子から思いきり体が落ちかけていた。
しかし、ママにモロバレってことは、カウンターにいた人達にもバレてんだろうか。
帰る支度をしていると、グラスを持った坂田とふと目が合った。
目線の先で、「・・・・」、何か言いたそうにすこし開くくちびる。けど、ゆっくりと、それた。
・・・・・・な、んだよ
「土方、お前また走んねェと終電なくなんぞ、置いてくぜ」
ドアの方から高杉の声が聞こえて、えっ、と全部吹っ飛ぶ。急いでジャケットをカウンターからひきずった。

「・・・どうだった」
「リズムが安定してねェ、集中力が足りねェ」
「だろうな・・・」
「銀時に告白でもされたか」
電車の中で飲んでいた缶コーヒーが、ガツッと歯に当った。
「ッつ・・・・いや・・・告白とかじゃねェと思うけど・・・お前、どう思う?」
「あいつなりに色々あって至った結果だろ」
いや、そういうことを聞いたんじゃなかったんだけど・・・お前がどう思うって聞いたんだけど
「炊き込みご飯でも炊いてやるか」
「・・・赤飯的な意味で?」
「俺は赤飯は嫌いだ」
じゃあソレお前が食べたいだけの、ただの炊き込みご飯だろ
「・・・・・」
静まりかえった車内から、外に過ぎてく灯りを見る。
「あんま気にすんな」
景色をぼうと見送っていると、高杉が足を組んで言った。
とにかく弾けよ
「てめーはそれでいいんだよ」
ガタンガタンという合間に聞こえる高杉の言葉。
「・・・・・」
『早くピアノ弾けお前は』
ぶっきらぼうに投げかけられたあの台詞で、さあとバカみたいに晴れた胸の内を高杉は、知ってんだろうか。
お前はそうやって、いっつも、何にも考えてないように口をついて出たみたいな淡泊な言葉で、俺の奥に潜んでるものを引きずりだすんだ。 己以外の、なんにも持たないで。
「・・・高杉」
「なんだ」
「お前が一番厄介だな」
チラ、とこちらへ目をやった高杉は、そのまま妙に自分を見た。反論でも返ってくるかと思ったら、何だか思慮深く黙り、あちらへ向けて頬杖をついただけだった。
「よく言われる」
・・・何か一人で考えてんな、と思ったけど、高杉の脳内なんてわかるわけがない、自分も高杉の隣に座ったまま、静かな窓の外の春を見た。