失態を忘れるために酒を飲んでた坂田が、家に帰ってきたのは昼の3時過ぎだった。
(・・・・やけに、静かだな・・・・)
玄関には土方の靴があったんだけど。
「・・・・土方・・・?」
部屋をのぞくと、ベッドで横向きになってる体。
(珍しい、まだ寝てんのか。)
携帯の時計に目を移し、
「おーい・・・起きなくていいのお前」
遠慮がちに声をかけると同時に電話が鳴った。見ると、金時だ。何っだよ・・・・あ、待て、そういや履歴残ってたっけ?

「土方くんどう?」
外からなのか雑音がひどい。・・・もう俺は完全に土方くんに関わってますけど的な感じが、なんか腹立つな。
「どうって、あいつまだ寝てるけど」
やかんを傾けながら、土方の部屋へちらり目をやる。
「じゃあくれぐれも起こさないで。しばらくゆっくり休むように言えよ」
「・・・あのなあ、だからさ、」
「お前の意見は聞かない。夕方には俺もそっち行くから」
「え、ちょっと、」
「聞かないっつってんでしょ。また後で」
あっ・・・切れた携帯をしばらく見てから、ソファーへ放り投げた。
「感じわっる」
どっかと椅子に座り、足を乗せる。
まだ昨日のことで怒ってんのか。
(つうか、こっちにも都合があるわけでさあ、明日、いよいよ彼女の誕生日だし)
宙を見ながら茶を飲んでいると、キイ、と土方の部屋が10cmだけ開いた。
「・・・ここどこだ」
「・・・うわ何お前! こわい!」
ドアの間から這いずり出てこようとする土方に、体を引く。
茶ァこぼれたじゃねーか。ゾンビかお前は。
・・・・・・・しかし・・・
ドアの間で止まっている土方を見ながら、コップを置いた。
・・・ちょっとおかしいぞ、この状態。ふざけてるようには見えねーし
「お前まだ寝てたら?」
「・・・今何時」
「3時25分」
え、と土方の髪が揺れる。
「とりあえずお前、一回、部屋に」
「10分って言ったじゃねーか、何で一日経ってんだよ!」
「ちょ、いいから大人しく戻りなさい、あっ、痛ッ」
思いきりよじる土方の半身を抱えてひきずり、ベッドまで戻した。・・・ひっかかれた所が、ピンクの線になったのを見る。
「・・・金時も寝て休めって言ってたぜ」
言うのも癪だけど。土方は、「・・・俺は昨日、そういうつもりじゃ・・・」、 まだ何か言いたそうにした後、・・・ぼすん、とふてくされたようにあちらを向いた。
ドアを閉めて、つい口に手をやる。
・・・・・・びっくりした。そういえば、最近、やけにぼうとしてるとこや、寝苦しそうにしてるとこは見たことあったな。 でも、ここまではっきり調子が悪そうなのを目にしたのは初めてだ。



高杉が大学から帰ってきたのは、15分後だった。
「・・・あのよ高杉、土方のことなんだけど」
リビングに俺しかいない状況を見て、ほんの一瞬だけ見渡した高杉も変だと気づいたはずのくせに。
時計を外した腕を少し回しながら、「何だ」と淡泊に言う。
「何かおかしい気がすんだよね。体調なのかはわかんねーけどさ」
「寝てんのか?」
「今はたぶん・・・」
「今は?」
高杉が、俺が飲んでた茶に口をつける。
「いや起きようとしてきたから、俺が無理にベッドまで・・・、」
「無理に」
「うん、だからもっ回部屋に戻したんだって」
俺がいぶかしむと、高杉は腕時計をテーブルに放った。
「銀時、あいつがどうしたいのか聞いてこい」
「えっ? てかまず、何で俺?」
「俺が行っても意味ねんだよ、早く行け」
あ、痛った! 蹴ることないじゃんよ。つか今状況話したばっかじゃん、聞いてたのかこいつ
「・・・土方ァー」
ベッドの上の体は、こちらに背を向けたままだ。
呼ばれた土方は、折った腕を額につけて、のろりこちらを振り返った。
「そのー、お前どうしてえの? ピアノ弾きてえの?」
土方の顔を半分隠していた腕が下りる。
あらわになったまぶたは見開いていて、一度まばたきをした後は、瞳に真剣な色が見えた。
その様子に、口が半分閉じるのを忘れた。
「弾く」
上半身を起こした土方に、「あー・・・」と言葉を繋いで、部屋に置いてあるピアノを見る。
「別に焦らなくてもよ・・・ここでも弾けんじゃん」
「そういうことじゃねえんだよ」
いやだから、そうじゃないなら、弾かなくていいじゃん・・・、と続けようと思った言葉は高杉の蹴りに阻まれた。
どっ・・・うでもいいけどお前こないだから俺のこと蹴りすぎだからな
睨んだ先の高杉が、テーブルの方へ戻る。
「なら用意しろよ」
高杉の声の方へ土方は少しの間目を向け、重たそうな手をつっている白シャツへ伸ばした。
こうなるともう止められない。それがわかるから、土方には何も言わないけど、さあ・・・・・金時に何て言おう



「・・・ほんとにいいのかねえ、休ませてないで」
閉まってる土方の部屋からは、かすかに物音が聞こえてくる。
キッチンの高杉は無言で煙草を吸っているだけだ。ため息をつき、何となく携帯の角を、コン・・・コン、とテーブルにぶつけた。
「ほら、金時の言うことも、俺もわからなくはねーんだけどでも・・・」
急に、玄関の開く音が聞こえて、高杉と一緒に顔をあげる。
え?
鍵持ってんのは俺と高杉と土方だけで、3人ともここいんだけど
「土方くんは」
外の空気をつれてきた金時が、背広から脱いだ片手でネクタイをゆるめながら入ってきた。
「てめ、何で」
「土方くんの鍵。俺が昨日寝てるとこから失敬した」
ぽん、と投げられるそれを両手でキャッチする。穴や線の溝を手の中でこすりながら、耳の下をかく。
「それがー土方は、まあ何つったらいいか・・・」
土方の部屋へ視線をやると、背広を椅子の背にかけた金時が、緩慢な動きでこちらを見た。
高杉の方からジュッと煙草の消える音がする。
「・・・何。まさか、行くんじゃないよね」
「いや・・・実はそのまさかなんだけど」
「何考えてんの」
切り返した金時の足が、ふと、ゆっくり止まる。いつの間にか高杉がその進行方向の先に立ち上がりかけていて、 (うわっ)、思わず自分も少しテーブルから腰を浮かす。(あっの、怖いもの知らず)
「高杉、言いたかないけど、最近のお前はかわいくないよ」
「確かに言われたくない」
「・・・いい加減にしてよお前」
身長差で見下ろす金時の目。
たぶん土方のことじゃない。金時は前から、高杉は自分に持ってないものを持っていて、自分に勝つ部分があると思ってる。
そこを気に入っているし、少しの対抗心が、密かにある。と思う、知らんが。
自分も、ガタッと反射的に立ち上がった。
「高杉は、あの子の体調は承知の上なの?」
「関係ねえ」
何かあればすぐ動こうと思っていたのに、金時のタイミングの早さは予想を越えていて、高杉の顔が右に反った。
「・・・なあ、喧嘩すんならあっち行こうぜ」
乱れた髪で、高杉が楽しそうにくちびるをあげる。
(おい、お前ら、土方のこと口実にしてるだろ!)
一回くらい、やり合ってみたいのはわからんでもないが。
お前らがそんなことして、無事で済むか。時を考えろバカ!
ばりっと引きはがした二人の肩を押さえる。ほんと、損な役回り。
「高杉、脱線すんな。金時、お前これ以上高杉に手ェ出したら俺も黙ってねえし」
シャツを掴んでる金時と、掴まれて面白そうな高杉が、どちらもこちらに視線をよこす。
そりゃ、金時の言い分も、俺はわかるよ。
けど、高杉だって一応、思考回路を持ってるわけでさ。ただその経緯を言わないだけで。
こんなの、俺が言えた立場じゃないけど、
「高杉お前、ちゃんと言葉にして言えよ。いっつも一人で自己完結して行動するからみんなわかんねーんだよ。 そんなお前でいいとは思うけど、たまには俺だって知りてえよ、お前の頭ん中」
2人の体を押し離して、ため息をついた。
押されて揺れながらも、全く納得のいってない金時の視線が高杉に残っている。
自分の提案に不服そうな高杉は、横を向いたまま切れたくちびるを舐めた。


「じゃあ、聞くけど」
キッチンにもたれた金時が、少し顔を後ろへ反って傾いてる。
見下ろす角度が、一層高い。俺は身長一緒なのに、マウントポジション取られてる気分。
「お前は何であの様子を無視できるの。見てわからないほど馬鹿じゃないんだったら、聞かせてよ」
ソファー前に立ってる高杉の目がキッチンへ動き、またななめ下に戻った。
(・・・言えってば、高杉。そういうの口に出す奴じゃないのは、よく知ってるよ。でも、そのせいで一回こじれたろ。アレ思い出してみろよ。 ・・・いや思い出したくないな)
こちらへもわずかに視線を向けた高杉は、・・・ふーーーん、と鼻から煙を盛大に吐いた。
「あいつは俺に弱みを見せねえ。しんどい時にわざわざ俺がいるせいで、強がらせてどうすんだ」
「・・・質問の答えになってない」
と、金時は少し目を薄めた。
弱みねェ・・・しんどいとこ。俺にはどうだろう。
ふとした時に滲み出るソレを俺が勝手に拾うだけなんだろうか。
「そんで、その一部は俺が昨日見たよ。土方くんは、お前に知られたくないだろうから言わないけど、限界きてるのはおかげでわかったよ」
「じゃあ、そうなんだろ」
「なら、今の状態をどうさせんの。休養することが土方くんのためだと俺は思うよ」
相変わらず、子供扱いな調子だけど、きっと本当にそう思ってるんだろうことを金時が口にする。
高杉は目線をどこか宙にやったままだ。
それからしばらくして、フッ、だか、ク、だか、高杉が息だけで笑うのが聞こえた。
何が可笑しいのか、金時も自分も高杉に目をやる。
煙が漂う向こうで、また、まぶたが静かに伏せられた。
いつも多くを言わない口が開く。
「土方が何でそこまで頑なにピアノを弾きてえと思うのか、そっちを考えたことがてめーにはあるか。 並大抵の覚悟じゃねーよ。その先にしかねえもんがあるんだろう、単なる音楽の話じゃねえさ。 あいつがそうまでして望むものを奪う権利がお前にあんのか。他人が勝手な判断すると。本人、後悔するぞ。一生」
最後の方は、独り言みたいな低い息。
それから、ソファーに沈み、床へ足を投げ出した。
「・・・が、俺はやり方を知らねえ。そこはお前らが勝手にすればいい話じゃねーか」
・・・・・高杉。
最後は投げっぱかよ。自分の考えは突き通すから、お前らもそれに添え、かよ。自己中なお前らしいよ。
金時は高杉を見つめた。
俺も見つめた。高杉への見解はともかく、何を考えてるのかは、わかった。
『土方のしたいようにさせてやれ』
と、たぶん簡単に言えば、そういうことだ。


金時が車の鍵を持って、キーケースを揺らす。高杉は横目でそれを見た。
「お前今日も行くのか」
「そりゃあね」
テーブルをはさんで、金時はふーと鼻息をつく。
結局一歩引いたけれど、まだ少し不服そうではある。
高杉は、血の固まった口端を煙草をはさんだ指でかいていた。
「でもさー、それ、お前らの関係だからこそ生まれる結論でしょ。 俺は、高杉みたいな感覚の察知はなくても、恋されてる自信があるもん。愛情注ぎたい気持ちがあんの」
「悪かったな、なくて」
「銀時は? 土方くん送ってくつもりだけどお前乗ってく?」
まだ考え事をしていた自分は、へっと目をあげた。
「いや、俺は今日無理」
言いかけた瞬間、金時が、はあ?という顔をする。
高杉が、「・・・こいつは、」と視線をあげた。
「ここぞという時だけ馬鹿力」
「ああ、一番こわいタイプ」
金時の言葉をぼんやり聞きながら、土方の部屋を見た。

・・・・・俺は。

どうすることが正しいのかなんて知らない。
進まないと折れるという時、もし自分が同じ立場だったら、止められることを心底恨む。何があっても踏みだしてやる。
土方に何かあったら、嫌だ、というのはエゴでしかないともそりゃ思う。
俺は干渉してしまうタイプだから。
土方のこととなると、そんなに上手く考えられないんだよ。

そう。

土方が抱えるものを。
金時も高杉も何となく気づいてはいると思う。
けど、何とも言えないピアノの音色を知ってるのは、きっと、俺しかいない。
二人とも予想してなかったはずだ。
俺もできていなかったから。
土方に深く食い込んでいるものが、どういうものかを察し切れてなんかなかった。
まあ、そんなことは結局のところ、誰にも無理だったんだとは思う。



〜2009.11.