部屋の外で、みんなが何か色々言ってる。 ベルトを締めたにも関わらず、腰周りに空いた隙間を、つい指で計ってみた。 (・・・・どう見ても痩せてるか・・・・) 体は限界をひきずるように、重い。 (・・・ま、そりゃそうだ) ため息をつきながら、シャツに手を通す。 調子が悪いことなんて、とっくに自分でわかってる。 春前に感じた最初の小さなサインに気づいていながら、わざと無視してきただけだ。 窓の外は、緑が濃くなってきた葉からあふれる、春の空。 横目をやって、少しまぶたを薄めた。 ようやく・・・・・一歩、踏み出し始めた。 この体調は、ずっと張りついてきてる昔のせい。 そのせいで動けないのが、もう嫌だ。 ・・・俺は。 ここを、越えて、みたい。 「・・・・・」 ここで、進もうとするのか、また止まるのか。 その二択しか、俺にはない。 そして、その結果を、俺はもう何となく、知っている。 「土方くん、本当に行くの? やだなあ、車出したくないなあ」 リビングに出ると、金時が一番に口を開いた。俺に言われたかねーだろうけど、駄々っ子かアンタは。 結んだ口を崩さないままでいたら、「頑固者」と言われた。俺って元々そうだよ。 「いいけどねー。俺、人送るの趣味だし」 金時が手品みたいにポケットからくるりカギを回す。 それをちらり見た坂田は、 「どんな趣味だよ・・・」 と、つっこみながら、次はこちらをちらりと見やり、今度は宙を見て、何だか、1人探し物でもしているかのような目をしていた。 そうして、3人の視線が何となく、じーっと、ソファーからはみ出している高杉の足へいく。 静止画のようにぴくりともしないのが、すごい。 「やれやれ。ま、自己中は得だってことがよくわかった。そろそろ出ようか?」 「ん・・・何てか、アンタにはいつも送ってもらって、ちょっと悪い、・・・・・、」 言いながら、リビングのドアノブにかけた手。 (あれ。) それが、ふと、脳の信号を無視して勝手に止まった。 ・・・何だ? 不思議な気分で、それを見下ろす。 裏返すと、わずかに汗ばんでもいる。そうして、自分が不安がってることに気づいた。 (・・・・・何を?) 「どしたの?」 「な、んでもない」 金時に言えば押し問答に戻ってしまうだろうから、反射的にリビングのドアを開けた。 勢いが失速しない内に、足を靴へと突っ込む。 「土方」 玄関を開いて外に出た瞬間、ガッ、と音がして、思わず肩を跳ねさせ、振り返った。 視線をやると、坂田が閉まりかかったドアを手で支えている。 「何・・・、」、と口を聞きかけた時、指にくしゃくしゃかかれた銀髪があがった。 「そーの・・・何をどう悩んだって、俺って単純だからさー・・・何つーか色々あんだけど、その・・・・」 9階に吹いた風がその前髪をふわり揺らす。 「お前が帰ってくんの、待ってる」 一つまばたきをした。 そう言う坂田の声は妙に一色だった。他に余計なものはなんにもない。 当の本人が、それ以外に何も言えないことを残念そうにしてるけど。 (・・・・・バカなヤツだな。) だって、自分の瞳が、とたん、透き通った光で浮かびあがるのがわかった。 ・・・そこに映る坂田の光が反射して、それがどんな力を持ってるかをこいつにも教えることができればいいのに、と思う。 「俺らが話してたこと聞こえてた?」 エンジン音の合間に金時の声が聞こえる。まあ、全部つつ抜けだったわけじゃないけど。 「アンタ、俺がいないとこで喋るとぜんぜん違うな」 「バレた」 とっくにわかってるよ、そんなことは。 いいとこだけ見せようと計算するのは、悪いことじゃない。 見え方は違っても、俺だって一緒。 甘えたら楽だろうな、そして、甘えられたらアンタも気持ちいいんだろうなっていう相手側への算段が、頭のどっかにあるはずだ。 感情に任せるより、引き算掛け算する方が、金時は好きなんだろうな。・・・・・誰かとは違って 「・・・・・」 後部座席で、寝転んだ目を開け、反対向きで過ぎてく景色を見た。 ・・・・・なあ、金時。これは例え話なんだけど。 この車で急な坂道を登り出したら、そこにはもう、登りきるか、落ちるかの二つしかない。 ブレーキを踏むタイミングは、さっきにしかなかった。決めた時点で、もう過ぎた。 そして、どれだけ上へあがろうともがいても。この絶不調じゃ、引きずり下ろされるだろうことを、俺、すでにわかってるんだ。 それでも行く、と、決めた俺が、初めてそこから抜け出そうとする覚悟を、持ったこと。 ・・・高杉は、知ってた。 だから、あいつを悪く思わないでやってほしい。言わねえけど。 「・・・でも純粋に、昨日、金時がいてくれてよかったよ」 「あ、そんなこと言っちゃうんだ? 実際俺は行かせたくないわけだし、このままどっか連れ去っちゃうよ。絶好のチャンスでしょ?」 ・・・ま、『本当はそんな気カケラもないくせに』、とは口に出さないでおいてやるよ。 「・・・お前、遅刻すんぞ」 坂田は、ソファーの後ろから、そう言う高杉を見た。爪切りに目を戻す。 「いや、伸びてるから、切ってくだけだよ」 「責任感じてんのか?」 「はー? 俺は保護者じゃねんだし、調子まで面倒みてらんねえよ。たぶんいつかはこういう時が来たんだろうしさー」 「なら、さっさと割り切れよ」 わかっ・・・・てんだけど、言われなくても。いつになく攻撃的だな、こいつ。わざわざ軽く答えてんのに 「・・・どしたの高杉。お前の勘はいつも正しいじゃん」 「何を確かめてーんだ」 「いやそうじゃなくて、お前のために言ってんだけど・・・・・」 指で額をかきながら、ソファーをのぞきこむ。 続きを言おうとして、高杉がくわえている煙草が目に入った。灰が長い。 「高、」 「銀時」 「え、え?」 「携帯気をつけとけよ」 言われて、目だけはテーブルのそれを確認した。 「・・・そしてバイトへ行け、いい加減」 高杉はフィルターを床へはじいて、足を組み、まぶたを閉じた。 テーブルへ歩いていって、携帯を掴む。開いて閉じるをくり返し、ポケットにしまった。それから、土方の部屋のドアへ、少しだけ、まつ毛を上げる。 開きっぱで、無防備。 その背後で、じゃっかん、高杉の揺れている空気がわかる。 (・・・・・・心配だって。そう言えば、いいのに。) ・・・昔からそう。 高杉がそういうものを抱えることは滅多にないけど、万が一のその場合、自分は冷静になった。 そういう時に自分が倒れちゃまずいと、本能で、わかってる。自分だけはしっかりしてないと。 土方が傾く場合だって、同じ。本当に辛い時。引っ張り返してやるだけの力を、持ってなきゃいけない。 ・・・さっき、土方の瞳から返ってきた、自分の光が、それだ。 ややこしく複雑な迷いの中で、意外に、簡単な一直線だった。 (・・・・そうだな。しょせん俺の頭で、何を難しく考えてたんだろう) ・・・俺は。土方が帰ってくるのなら。どんな形でも、何をやってきたとしてもいい。土方がここに帰ってくるのなら。 いつもそうしてシンプルに割り切れれば、何も見失わないんだろうけど。 簡単なことって、難しいな。 擦り切れた革靴の先。 いつの間にか下を向いているからなのか、こんな時だからか。その爪先が、今日は、やけに気になる。 金時の車から降り、そうして足元を見ながらバーに入ろうとしたら、ギター君と呼ばれていた彼とドアでぶつかった。よろけて2歩下がった拍子に、 段から片足が落ちる。 「おっと、土方くん」 「ああ・・・いや・・・悪い」 彼はドアを背中で支えたまま、腕を組んで少し辺りを見回した。 「君が弾くから来たよ今日。銀髪の弟くんは?」 「・・・あーと、坂田なら今日は来ねえけど・・・」 「そう。心配だね」 そして俺のファン発言をさらっと流してくれたね、と言う彼の厚いまつ毛の層を、少々けげんに見上げる。 「・・・心配って、」 「それより、高杉の女知ってんでしょ?」 え? ああ 泥の中みたいに聞こえる声を聞きながら、ぼうと考える。 ええと、誰だっけ? あ、何だ、あの人のことじゃねえか。 ・・・まずいな、変な離人感が浮いてる。 「あいつが、土方くん見たい見たいってうるさくってさ。ママがいいって言うから、 今日ライブ帰りに来ると思うよ」 ・・・ふーん・・・・ 爪なんかを見ながら口の中で答えて、すこし黙った後、視線をドアの木目へあげた。 「・・・バンで来んのかな」 「たぶんそうじゃない?」 ちょっと片方の眉を上げて、不思議そうにした彼が言う。 電話をしてくるらしいその背を見送り、邪魔そうにしている通行人の間をすり抜けた。肩がぶつかって、重心が傾く。 黒い夜の平衡感覚はあいまいだ。靴元から上げて真っ直ぐ店内を見ようとした目は、揺れて、備え付けのはしごにずれた。 店のピアノに指を置いたら。 愛着がわいてきたな、と思った。こんないいピアノに対して、言える立場じゃないけど。 「・・・・・」 それから、弾き始める前に、すこし、暗い足元を見た。 ・・・・土方は、それが何であるかを、もう長い間、ずっと知っていた。 いつでもどこにでもある、自分をひきずりこもうとする影。それと目が合ってしまったら、腐った両手で俺の足を掴んで、肩までずるずると這いのぼってくる、闇。 これに飲まれちゃ、いけない。 そう、飲まれちゃダメだと、いっつも、思ってる。 それでも、考えずにはいられない、この連鎖 (・・・・でもだって、いや、もし、でも。) ・・・やることをやってみても、また同じだったら、どうするんだろう? 越えようとすること自体が、無意味だったら。 そうして、一歩も進んでなんかいないことを、また思い知るだけだったら。 ずっと、前に進めないまま。 「・・・土方くん?」 ママの声に、はっと景色が戻る。見ると、カウンターで心配そうな表情をしている。そのななめ前で、金時の顔が、だいぶこわいけれど、すこし、優しい。 座った位置をなおして、ぐっと、靴を踏みつけた。 少し指を上げ、下ろす。ビル・エヴァンスのメロディーを追いかける。 「・・・・・・」 ・・・前へ? 足元の闇。下ろす度にちらちら見える鍵盤の影。 ピアノが真っ黒。 ・・・・・・・・・前って ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前って、一体、どこを言うんだよ 急に、ずんと重い。 肩が。指が。 だって、俺は今、どこにいて、どっちを向けば、そこが前? 「ちょっと金ちゃん。土方くんが出てくるまでずっと張ってる気?」 ママの声が、下の開いた小窓から、聞こえる。 「当たり前」 金時の問答無用な返しも聞こえた。 ・・・・・ごめん。 実は、トイレに入ったと同時にそこから抜け出して、きたんだけど。 そのままはしごを伝って、その一番上で腰かけ、息をついている。 向かいは、5、6階の窓。 夜でもさわやかな春の風が、ちょっと高く登っただけで、気持ち悪いほど生ぬるい。 「まだかな」 金時が、たぶんトイレにいるはずの俺に言っている。 俺も思う。 ・・・・まだかな。 ・・・本当に、まだかな? だって、もう、疲れたよ俺。 こうして、いつ見えるかわからない地点を目指すのも、ずっとひきずってる足かせの重さも、なにもかもに、疲れた。 春から、しんどいんだ。 でも、何もしなかったなんて悔いだけは残したくなかった。 そう、進もうとは、してみたじゃないか。 もう楽になりたいって、思うのは、ダメなことなのか。 ・・・自ら、それを選ぶことは。 だって、体も心も、だるい、辛い、苦しい、悲しい けど、遠い 関係がない 全部 どうでも、いい。 なあ、もうただ 全てのことから、解放されてえよ。 夜の明かり。止まっては進む車の光。 (・・・・・・あれ。) ぼうと下を見つめていた目が、道路の向こうへ瞳孔と共に一気に開く。 薄暗く、白い、長方形のバン。 思わず立ち上がったら、ピカ、とこちらに気づいて光らせるライトが、同じ。 パッパァーとクラクションをしつこいくらい、鳴らすのが、同じ。 気づいてるっつうのに、って、そう言ったら、 子供みたいに笑った大きな手に、頭を、叩かれた ・・・・・ほんとは、もっと雨の跡だらけで、バンパーが傾いてて、 まあ、お迎えとしては、あの時と、ちょっと違うけど・・・・・・・・・ ・・・「ッ!」 知らず力の抜けかけた、足元がふいに滑る。 (・・・・あ、やべ) (これ、ほんとに、死ぬかも) ずるり足を踏み外したその時、ドアが開いて出てくる人影が目のはしで線になる。 落ちる、スローモーション。 (げ、まずい。けど、仕方ないか・・・) なんて思ってる、放り出された宙の、浮いて真っ白になった頭の中で。とたんに、なにかが、ばっと、強く光った。 遠ざかっていくそれは、たった一つ。 あの時から、この世に、たった一つしかない光。 (・・・あ。) そうか 無限のような体感時間の中で、土方は、もう最後かもしれないそれに向かって手を伸ばした。 「救急車だよ!!」 金時の声が、かすんで聞こえる。 ・・・この景色はどの角度から見るのが正しいんだろう。 にぶい視界で、金時がぐっと目を閉じる。 それは心底怒ってるようで大変悔しそうですごく悲しんでるようでもあった。 ・・・・確か、今。落ちる瞬間、俺は何かをつかんだはずなんだけど。 それが何かをわかる前にぷつと意識が切れた。 坂田は、口を開いて、店の景色が飛んだ無を見た。 「・・・・・・・え?」 高杉に言われた通り、気をつけていた携帯から聞こえてくる、喧騒。 ざわざわとした緊迫感の外音が、伝わってくる。 『聞いてる? 土方くんが、5、6階辺りから落ちた。今、救急車待って・・・来た?』 金時の早口に、全身の血が凍る。 救急車の音、ひどい雑音、ざわついた夜の空気。 「・・・・・・な、に、どういうこと、」 無意識にさまよった視線の先で、転がるペンだけは握った。 「救急病院・・・そうか、わ、かってるよ、すぐ向かうってば!」 ガン、とレジから出る際に足をぶつけて、思いきり転んだ。 放心しているただ事じゃない自分の雰囲気に、手を貸してくれた社員が、深刻そうに何事かと聞いた。 (は、高杉は?) ふるえる指で携帯のボタンを押すが、出ない。 大丈夫だって、なんにも心配ないって。あの直感で、早く言ってほしい。 「はあ、っはあ、はあ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」 金時は、救急病院の狭い廊下の椅子に座っていた。 制服のまま息切れして、状況を聞いた俺を、一瞥する。 「いや、は? 糖分不足? って糖分? それが足んないって・・・・・・・・どゆこと?」 若干パニックになってる自分から目を離した金時は、はあーと、顔を下げて足を組んだ。 それは、俺を見たことで少し落ち着いた感じだった。 「だから、気絶の原因は食事取ってなかったからだろうって。頭はコブもできてないって」 だってでも 「落ち、落ちたって何だよ、電話で言ってたろ、」 「そう見えたらしい。・・・途中の屋根で転がって止まって。俺がのぼって抱えておりてきたよ」 「見えたって誰に」 「・・・つくづくこういう時女ってすごい。高杉の女」 な・・・・んだ・・・・・・とりあえず無事は無事なんだよな よかった・・・・・・ 「ほっとすんのはまだ早い」 金時の声に、額の汗を手の平で押さえながら、目線だけあげる。 体の危険について言ってるんじゃない、ということは俺にだってわかる。 5、6階相当の上から落ちたらしい、と金時は言った。あのバーでピアノを弾くために、そんな状況になることなんてまず考えられない。 本人に聞かなきゃ、わからないけど。 ・・・『落ちる』には、登らなきゃいけない。たぶん、土方の意思で 「・・・土方は?」 「点滴中。寝てる」 「・・・・高杉は? あいつにも連絡、」 「してもないのに、とっくに来てるよ」 驚いて起こした顔を、金時も、ふと、カーテンの方向へやった。 何だか、水のこぼれる音が聞こえる。何やってんだ、あいつ? 「・・・・・高杉」 うなされていた土方の目が、うっすらと現れ、自分を見る。 「・・・・・・・落ちる前に。お前の女たちが見えて、このままだと巻き込むんじゃねーかって思ったら。 数段下のはしごに掴まったよ。結局窓の屋根に助けられて、バカみてー。情けねえヤツって、思ってるだろ」 「・・・・・」 その目のはしで、さっき自分がかけて流れているミネラルウォーターをなぞった。 土方の唇がゆるく、でもしっかりと形を作って開く。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・でも今日。高杉だけが、背中押してくれた。サンキュ」 瞬間、指にすこし、力が入ってしまったことを、お前が気づいてくれなければ、いい。 →過去 →28 ← |