「・・・ごっ、5月5日?」
きれいな夕方に染まって振り向いている金時に、「そうだけど」と土方があっさり答える。
「子供の日?」
しつこく聞く金時に、「そうだって」と土方が言う。 そうして金時がとつぜん「うそだ不覚! うそだ! ゼリーどころじゃない!」と交差した腕ごとハンドルに頭を沈めて、パァァーとクラクションが鳴った。 イベントを逃さないことが職業病化してるこいつには、よっぽどショックだったんだろう。
・・・反して、目の前で、やけに光って見える土方は。
金時の様子にちょっとだけまばたきをして、窓の外の車を見た。そのゆるりとしたまぶたの動きさえ、俺の視界にあとを残す。
あー・・・・
「・・・何だあのベンツ。あの形に乗るなら別にベンツじゃなくてもいいと思うよな」
・・・うん、土方、それは余計なお世話だね・・・・・・・・
「誕生日黙ってた人は黙ってて下さい」
そうだね、当日発表はないよね・・・・行き先変えたのか、それ無茶なUターン、土方の髪がめちゃ揺れてる・・・・・・・・・・・・
・・・・・いや
・・・・・・・・・っていうか
ていうか!
現実からぽっかり浮いていた体で、がばっと起き上がる。えっ?
たとえば。
前に、土方と一緒に読んだ少女漫画。
主人公がイギリスだかアメリカだかに行くことになって、相手の男が、会えなくなるという事実を前に初めて自分の気持ちを自覚する最終巻。
貸してくれたバイトの子いわく「ベタだけど要はきっかけだよねー」
(・・・・・・。)
会えなくなるどころじゃなかった土方が今や何でもないみたいに頬杖ついて、 病院帰りの疲れからかふてぶてしいまぶたで確かに変なベンツを見ている様子が、
これでもかというくらい、俺の目に、漫画のキラキラトーンいっぱいで映っている。

あ、なるほど
これはベタだ

「はーん、お前ケーキ食えるのがうれしいんだろ」
妙な気持ちの余韻にひたっていると、こちらを見た土方が意地わるく、でも、ようやくすこし、笑った。
とたん、だんだん顔に熱が集まってくるのが自分でもわかった。土方が「・・・え?」とくちびるを開く。
お互い目を開いたまま見つめ返す。色んな物事が終わった帰りの車内は、夕焼けにつつまれている。
ぬくくなったシャツからすこしだけ優しい、オレンジ色の匂いがした。

まずいこれって、
その空気に触れてるだけで、せつないほどの、
たった、二文字で、言えるやつ




「そ! そうだねええ! 正にケーキのこと考えてたね! ケーキうれしいなあああ!」
いきなりの大声に驚く土方の輪郭だけがくっきり瞳にはりついてくる。 その中で、ぐちゃぐちゃに絡まっていた糸が、するっと一本にほどけるようなこの感覚。
(ウワーーー、)
「金時早く! ケーキ! たんじょびケーキ! ケーキ屋寄って!」
ああ声裏返った。とにかくちょっとの間だけでいいから、一人で落ち着きたい。
「はしゃすぎだよお前。いい年して何テンションあげてんの」
「お前に言われたくないわ! ほら、そこそこそこ! 俺買ってくるから!」
車が完全に止まりきらない内にドアを開けて、片足をおろす。クラクションがすぐ横を通り抜けて髪が舞い上がり、ずず、 と靴裏をすられながら降りると、金時が「危ないなあ」と憎たらしいくらいのんびり顔を出した。
「高杉に報告は?」
「するって!」
「彼女は?」
・・・・・。
金時の方を振り返ったつもりが、窓で閉じ込められた土方の視線に目がいく。
ぴったり透明の向こうから、こちらを見ているそれ。
「・・・・誕生日で二者択一か。そんな選び方正直すぎてこわい」
ケーキ屋に入った瞬間、一気にしゃがみこんだ。
アーー・・・
「大丈夫ですか?」という店員の声を耳に、ゆっくり、目を閉じる。
何この気分。変、変。
あったかいけど、苦しいし、
静かに、熱い。
そういうもので喉がぎゅっといっぱいなんだけど。
ああでも・・・・、あの土方の顔。
(・・・・・疲れてたな。)
血の気もまだ戻ってないし、なんといっても元気がない。
そらそうだ。
(こんな時にしっかりせずして、どうするよ。)
そうやって自分より相手のことを考えてやらずにいられない。そうしたら、 どっどっと鳴っていた心臓は、だんだん強いかたまりになっていく。真っ赤に熱かった鉄がやがて折れない強度を持つみたいに。
この気持ちには、恋の盲目加減やそのもろさと違って、胸のど真ん中に確かな強さがある。
・・・そっか。
はあ、と息を吐いて、膝に手を置き立ち上がった。
なるほどなあ。
ガラスの向こうに並ぶケーキ一つ選ぶことに、真剣。
・・・・・・よかったな、土方。俺、今、お前にしてやれることに関して、全力で、無敵だよ。
瞳を細めて、真っ白なケーキを指さす。まん丸に大きなそれは、幸せの象徴だ。それをお前のために大事に抱えて帰る。要はそういうことなんだ。



「・・・お前ら、それもう寝かせてやれば」
高杉が、顔面を煙でくゆらせながら言う。
「・・・・・」
・・・俺と金時は、完全にテーブルに突っ伏している土方を同時に見下ろした。
あれから、デパートで苺のパックも別に買った。金時がロフトでキャンドルとアロマまで買った。それから、「いや、あとやっぱぬいぐるみ」ともっ回戻った。 何かが振り切れたように色々買いこんだのは、心配した分の反動だ。結局、 小一時間待たされた土方は、玄関の時点でもう、体重をぜんぶこっちにかけていた。
すうすうと安らかな寝息が聞こえる。
囲んでるアロマが狭苦しそう。でかいクマも邪魔。誰だ、たすきなんて買ったの。
「昨日の今日で何させてんだ。金時もついていながら」
「高杉にだけは言われたくないね」
「はーお前落ちたとか言われて無事病院から帰ってきてみ? そらテンションもおかしくなるよ」
テンションおかしいのはそれだけのせいじゃないけど。・・・俺、ふつうだよね?
・・ちら、と目をやった先の高杉は、土方を見て、襟を引っ張り、打撲をのぞいた。
さらり手を離すその指先はやけに淡泊だ。 ひっかかりをなくした川のごとく流れた仕草に、俺はたすきを脱がそうとしていた手を、「高・・」と止めかける。
「仕方ない、部屋まで運ぼう、銀時手伝って」
「ああ、うん・・・」
(あったすきこんがらがった。もういいわ、生きてたら何でも。)
と、土方を寝かせ終えたら、昨夜からの疲れがどっときた。余計なことは考えられない。 ・・・我が家っていいもんだ。外でどんな変化が起ころうと、帰ってくれば安心する。・・・不思議だな。この感じを早く土方にも味わってもらいたい。
「残念。ラッピングまでしてもらったのに。プレゼント」
土方が見てないとなると、金時はもうその箱を床へ雑に放った。ほんとこいつは。
「んなもん買ってたから遅かったのかよ」
「え、待ってた?」
くつ下を脱ぎながら高杉を振り返ると、薬の中身を見ていた。
「待ってなかったわけがあるのか」
高杉にしては珍しいセリフを言いながら、説明書を流し読みしている。
「これあいつに、ある分全部渡すなよ」
「え何で」
「念のため」
高杉は、台所バサミで薬を切り分け出した。昔、そういう女と付き合っていたかのような手際の良さだ。・・・けど別に今しなくたっていいのに。
「ケーキ食おうよー銀時分けてー土方くんも先食っててって言ってたことだしさあ」
金時が、眉間をマッサージしながら、子供みたいに言う。
やれやれ。四角い箱から出した丸いショートケーキ。甘い色した、ろうの匂い。
「え、土方くんハタチ?」
「・・・うわ、ほんとだ、ちょっきし成人・・・」
「5単位のろうそくなかったのか」
3人でろうそくを立てながら、早々にビールを出した。 途中から大声でバカ笑いした気もするけど、土方が起きてくる気配はない。
キャンドルに火をつけた金時の服が燃えたり、それを避けた高杉が足にひっかかってこけたり。色々あったんだけど。 まあ、写真くらい残しとこう。そんで。後で全部説明してやろう。
酔ってテーブルに置いた頭で、土方の部屋のドアを見た目を、閉じた。
5月5日が終わる。・・・・行かなかったなあ、俺。どこにも。お前が起きようと起きまいと。誰も証明してくれなくたっていいけど。
だって誕生日っていうより、リバースデイってやつ 今日はたぶん土方の
ただ、お前にお帰りって言うため。



起きると、脳が凪いでいた。
(・・・・いつ寝たのか、薬ってすごいな)
最後に、金時の車の時計を見た時は、夕方の6時くらいだった。今時計を見ると、同じ6時過ぎだ。
えっ夜? 朝?
「・・・・何だこれ」
ドアを開けようとしてひっかかった何かをのぞくと、でかいクマが倒れている。
リビングでは、坂田がテーブルに頭を転がして、いびきをかいていた。缶ビールの縁に、煙草の灰。 皿にクリームの名残と、苺のヘタ。・・・あのキャンドルの海なに。俺なんで、たすきかけてんの。
「・・・・・・」
その散乱っぷりを見回しながら、坂田の脇にあるコーヒー牛乳を取った。体が、ものすごく糖分を欲してる。
静かな早朝だ。高杉は・・・・・・まだ寝てるのかな
(・・・・・・・。)
ぼんやり、甘すぎる液体で喉を潤した後、タバコをくわえる。ふとライターを見ると、横に四角い機器が転がっていた。
デジカメ?
だらしなく崩れた体勢で煙を吐き出しながら、裏返してみて、また戻す。丸いボタンを押すと電源がついた。
写真だ。
色とりどりのろうそくで埋まったケーキ。 残り少ないスポンジの周りの、汚ったないクリーム。 スポンジが残り少なくても、綺麗なクリームの角。 苺の値段のシール(高っか)。 ダンヒルのライター。火傷したみたいに赤い指。クマの顔のアップ。クマを乗せられて平然と飲んでる高杉。 自分の部屋の前にクマを置いてる金時が、左ななめこっちに向けているピース。 誰かがテーブルに立ち上がった服の皺の手前でピンボケしてる缶ビールのラベルと見覚えある腕時計の手が上下にブレているカオスな景色。
・・・会話が聞こえてきそうな断片に、つい、瞳を細めてしまう。
(・・・・こいつ。)
これを撮ったのが誰かは、唯一映ってない姿で、わかる。
何のために、残したのかということもわかる。
・・・改めて、散らかったテーブルを見渡した。
いつの間にかいびきが止んでる坂田に、ゆっくり目を向ける。
「・・・土方」
もぞり動いて、パーマに突っ込まれる手。まばたきもしない、いつからか起きていた瞳が、厚いまぶたの下から、俺を見た。
「お帰り」
「・・・・・・・・・・ただいま」
答えると、坂田は目を閉じ、ふ・・・と笑って、起き上がった。
「た・・・っだいまで済むかバカ! 今度ばかりは永遠に帰ってこねーかと思ったよ!」
お・・・
「怒らねーって言ったくせに!」
思いきり小突かれた頭を押さえて、でも蹴り返さなかった。