ガーーガガーー、と、何かがうるさい。

(・・・・・・・。)

ぼんやりケーキの角が目に映り、浮き上がりかけた意識がまた落ちる。

人の気配が通りすぎては、消えていく。
泡みたいな、人通りだ。
(・・・・・。)
見送っていると、その1つがぽうと灯り自分を呼んでいるような気がした。
「・・・・・坂田・・・?」
やわらかい影がそこで立ち止まる。
夢の外でガーーガーー鳴ってた音が一瞬やんで、「なに?」とやけに現実的な返事が聞こえる。
そばで止まった影はこちらへ伸びて、俺の右手にすこし懐かしそうな空気をした。
坂田みたいなソレからにじむ空気が、あたりを埋めてく。
世界に満ちてあふれる。こぼれそう。
そこで初めて、自分が右手を握っていることに気がついた。
(・・・あ、そうだ)、と思う。
あの夜。落ちた時に、掴んだんだった。
幻だったみたいな輝き。
光というにはあまりに強烈で、美しい。
唯一無二の。
・・・・・開いてみると、それは、俺の手から離れて閃光になりぱっと過激に散った。

あれっ、どこ行った?

瞬間、投げ出した手の平の感覚がだだっぴろい宇宙のようなところにとんで、ばちっとまばたきをしたら、
「あ起こした?」
掃除機をかけてる坂田がいるいつものリビングの景色に、余韻だけが取り残された。




「・・・逆に、掃除機で起きねーと思ったのかよ」
「だって絶対高杉が怒るもんこの散らかり方。お前の体調も面倒くさいけど俺は高杉の機嫌も面倒くさい」
「面倒くさいのかよ」
「寝るならベッドでちゃんと寝ろ」
ソファーに置かれたでかいクマ。頭を乗せたら、もん、としたふくらみが気持ちいい。
こんなの誰が何のために買って来たんだ。心底、謎だ。
「ああ、金時だよ。そこにプレゼントも転がってるよ」
坂田が顎でさした平べったい箱を取り、一度裏返してみる。 派手なラッピングをはがすと、ビキニタイプの下着が出てきた。
「・・・・・」
見なかったことにして、手のひらに目を落とす。
テーブルから持ってきたコーヒーに口をつけないでいると、坂田が「貸してみ」と後ろからマグカップを取り上げた。
「・・・何?」
「ハチミツと練乳」
「げ」
「俺がコーヒー飲めないって言ったら、昔、金時がこうしてたよ」
そう言う坂田から渋々受け取ったカップからは、甘い匂いがした。 兄弟の思い出が伝染するのかなんなのか、ちょっと泣きたくなる味だと思った。
「・・・お前は、そういや彼女に何あげたんだよ」
またガーガー鳴り出した音で、返事が聞こえない。掃除機終わったんじゃないのか。すこし首を起こして坂田の後ろ姿を見た。・・・え? 何か言ってる?
「何だ、何て?」
「・・・・れた」
「え? 何て?」
「ッうるっさいなあ、別れたんだよ!」
ガチッとスイッチを切って、坂田が勢いよくコンセントを引っ張った。はあ、へえー・・・誕生日だったのに? ・・・てか、別れたってのに何でそんなむずがゆそうな顔してんだお前。
「・・・土方、やめて」
「え、何を?」
「クマとたわむれながらじっとこっち見るなよ! 暇なら高杉呼んできて!」
たわむれてねーし。お前が寝るならちゃんと寝ろって言ったんじゃねえか。いきなり理不尽だ。
・・・・・。
「どうした?」
「・・・いや」
起き上がろうとして、痛む肩に思わずしばらくじっとした。
・・・きゅ、と握っていた右手を、ゆっくり、ひらく。
あの夜と。夢の手の中。
・・・『高杉呼んできて』か。
高杉。
・・・・・高杉。
指の内側が、めくれた皮と摩擦の傷でひきつっている。脳内の蜃気楼みたいな光に手を伸ばすがまま自分をこの世に支えた痕だ。
・・・・・・・・高杉?
ぽつ、と動いた自分のくちびるの音が、手のひらに落ちた。



あーちょっと雨降り出してんじゃん・・・腹立つわーこのクマ腹立つわー、何寝言で坂田とか呼んでんだよあいつ腹立つわー、丸々と愛らしいそれにぼすっと拳を入れてから、 ベランダの戸を開ける。
腕にかけた洗濯物をリビングに入れていると、土方が戻ってきた。
「高杉は?」
「・・・・・」
土方の右目がこちらに上がる。それから、何かを思い返すみたいにゆるく動かしている手に目線がそれた。
「・・・・ちょっとだけ。言いにくいんだけどよ」
「何」
「たぶん・・・俺に会いたくないんじゃねえかなあいつ」
「高杉がそう言ったの? はあじゃあ俺が行くよ」
「そうじゃなくて・・・いないっていうか」
「ていうか?」
「ていうか、いない」
「え、いない?」
いない?
・・・俺たちが起きたのは朝の6時過ぎだ。玄関の音なんか聞こえてない。・・・てことは、何だ。あんな朝っぱらの時点であいつもうどっか行ってたってこと?
「・・・あいつ・・・帰ってこねえんじゃねーかな、たぶん」
「そんな、一応救急にも一番乗りで来てたじゃん。昨日は待ってたんだし。たぶんって何」
「・・・・・・・」
(えっ何この空気・・・) 自分の髪をゆっくり手で混ぜる。テーブルのはしの、薬の袋。
ぼんやりと、イヤな予感。
・・・昨日、土方が無事帰ってきたことを確認したら。その後はなんだかどこかに行ってしまいそうだった気配を思い出す。
・・・いやまさかな。
たぶん、急に欲しかった本を思いついたとかそんなんだ。そしたら、手に入るまで街中の本屋をはしごするヤツだ。
「アマゾンでいいのに」
携帯を持って、リビングを出てから、高杉の名前を押してみた。 電源が切れててつながらない。仕切り直す気持ちでピアノの彼女にかけたら、連絡が遅いと怒られた。
「大丈夫だったのか聞きたかったのにみんなぜんぜんつながらなかった」
「あっ・・・」
「心配したんだからね」
「ごめん、アンタがあの現場で金時に知らせてくれたって・・・」
礼を言おうとしたら、いつの間にか後ろにいた土方が、すっと俺の手から携帯を取る。
「ありがとう」
そう言う土方の横顔は、すこしだけ伏せられたまつ毛がきれいだった。「バカ!」と彼女の声がもれて、 土方がおもいきり耳を離す。そして、困ったように俺を見た。
その顔に、一気に不安が形になってもちあがる。土方は自暴自棄になっているわけでも、悲観的になっているわけでもなさそうだ。 単純にさみしそうだった。もし土方に勘だと言われたら、ちょっと反論の自信がない。
・・・まいったな。




結局その日、うっすらとした予感通り、高杉は帰って来なかった。
こんなことは何度もあったが、今回ばかりはなんか変だ。
俺はトイレで声に出して、「マジかあのバカァーーー」と言い、土方は終始無言だった。 次の日、先回りして大学でつかまえてやろうと思ったら、まあ、高杉は来てなかった。駐車場をのぞくと、まあ、シーマもない。
土方の事件の次は、高杉の家出だ。勘弁しろよぉ。
「・・・土方、飯は?」
「・・・・・・」
「薬飲んだ?」
「・・・・・・」
何を考えてんだかずっとソファーでうつ伏せの土方に、正直お手上げだ。
あのなあ、もう俺だって。立て続けに起こる出来事にくたくただってのに
長男って役回りは大変だな。いや、弟だけど俺も。
「・・・よし。とりあえずはお前だ。来い」
「・・・、痛、なに、」
土方の軽い体をひっぱって、洗面所へつれていく。
「ちょ、何だよ!」
シンクに向かって上半身を押さえつけられた土方が、ようやく抗議し始めた。 かまわず掴んだまま、蛇口の頭をひっぱりノズルを伸ばす。
「まずは頭洗ってやるよ。体はその後」
「なッ、いい! よせ!」
「先生も言ってたろ。完治には協ー力が必要だって」
問答無用で水を出すと、土方が「ぐっ」と声をあげた。 冷たさにひるんでいる内に、そこにあった手洗い用の液体せっけんのフタを外し、中身をぶっかける。
「おま・・・・」
シンクに突っ込まれた頭から、どろりそれをかぶった土方は、すこし呆れたように動きを止めた。
「・・・・・・人一人押さえて、その手際・・・お前も散々喧嘩してきたな」
「それが、お前らにはほんと役立つよ」
「俺のキューティクルが死んだら、てめーのせい・・・」
おかげですこし大人しくなった土方が、ぐしゃぐしゃにされる髪をそのままこちらへ任せた。
下を向いている土方の目は見えないし、何を思ってるのか知りゃしないけど。ときどき、どうしようもなくうずくまりたくなる時。 ・・・お前に触れる他人の手のひらがあることを、ちゃんとわかってくれればそれでいい。
それが一つ目だ。



次は、気が進まないけど仕方ない。
風呂から出てきた土方の、まだ濡れてる頭。タオルを広げかけて、
「いだッ!」
背後から蹴りをくらう。
・・・来たな。
「お兄ちゃんが参上したよ」
「なんで、うちの奴らはみんな足癖ワリんだよ」
背中から足を振り落としてやると、雨に濡れた金時は、回していた車のカギをぱしと握り少々驚いた顔をした。
「うちの奴ら?」
「高杉も土方もすぐ蹴る」
「へえ、俺もそこのくくり?」
「兄貴なんだからそうだろ」
と俺に言われた金時は、はあ〜と感心したように抜けた声を出した後、拳を口にあてた。何笑ってんだ。
「そんで、お前が俺を呼ぶなんて、隕石でも落ちた?」
金時は勝手にもっと大きなバスタオルを持ってきて、土方の髪をくしゃくしゃ包んだ。
「・・・・それがさ、高杉の、」
「あ断る」
「おっ前、大人げねーぞ! 最後まで聞けよ!」
金時と高杉。この2人はべつに仲が悪いわけじゃない。互いに簡単じゃないだけだ。 俺を抜きに何を話してるのかは知らないけど、そんな時間があることも知ってる。
土方が家出した時だって、高杉の性質を人一倍早く見抜いていたのは金時だ。 その言葉は軽々しく見えて、いつだって、的を得てるのだ。
坂田は、腕を組んだ。
「金時。お前は頭がいい。・・・無駄に。使い道はズレてるし・・・ひねくれてる」
「ほめてんの? けなしてんの?」
坂田は、「とにかく」、と腕をといた。
「高杉が帰ってこねーんだよ」
「だから?」
「わかってんだぞ、お前は大事なことを知ってるくせによーく知らないフリするんだ昔っから」
「根に持つなあ・・・」
金時の視線が、ふ、と土方の方へ揺れた。 そうだ。よく見てみろ。顔をあげない土方がさっきからどんだけ黙りこんでるか。ちょっとすごいぞこれ。
「・・・土方くん、もしかして、自分のせいだと思ってる?」
「・・・・・・」
土方は何も言わないけれど、坂田は思わず(・・・それ以外にないよなあやっぱり)と、首を傾けた。
こんなタイミングで何かあったとしたら、まあ土方のことに決まってる。
「病院に10分もいなかった奴のことなんか、気にすることないよ」
「まあ高杉は病院嫌いだし、骨折った時も脱走してのん気にそば屋できつねうどん食ってたくらいだから、なんつーか、」
「そば屋で何でうどん?」
「いや今言いたいのはそこじゃなくて」
ぴ、と金時に手のひらをつきだす。
しかし、浴槽に座っていたことをどう説明したらいいのか、首をかいた。金時の厳しい横目が俺にすべる。
「余計に不安あおるんじゃないの」
「だって」
はあ、とあきらめのような息を吐いた金時は、片膝に頬杖をついた。
「・・・ねえ、土方くん」
金時は、タオル越しの土方を静かに見た。 その瞳は、甘すぎず、淡泊すぎず事実を語る色をしていた。
「俺が駅まで君を探しに行った時、高杉に聞いたって言ったよね。あの時、インターホンで高杉にね。『手ェ出していいかなあ?』って俺、確認したの」
「えっ」
と声を出したのは俺で、つい、金時を振り返る。ちょっと待て。 そんなことがあったのか。もしかして、そっから始まったのか、お前ら。聞いてねえぞ、高杉のヤツ。
色々詰問したいことはあったけど、金時の顔が柔らかくて、口を閉じた。
「ベタに『泣かすなよ』って言われた。俺、笑っちゃったよ。『泣かせたらどうなるの?』って。お前を殴る、とか、 銀時が怒るとか、まあそういう言葉を待ってたよ。そしたら、高杉のヤツ真面目にちょっと黙ってね」
『・・・・・・・俺が困る』
土方の背中に置かれている金時の時計が光っていた。
坂田の頭に、その時の会話が、ふわり、風で吹いた。
高杉がどう困るのかは知らないけど、たぶん悪い答えではない気がした。
「・・・土方?」
すこしのぞくと、手のひらからまぶたがあがった。リビングの明かりで、瞳に景色の線が入る。
それから、俺を見た。
ずっと黙っていたその目は、宇宙にちかりとふる星を思い出したみたいなまばたきをしてから、 俺に向かってなにかあったかいものでも見るようにゆるくなった。
「・・・髪、まじで痛い。バカ」
「えっ?」
「バカ」
すこしまぶしそうな土方が、自分でタオルをひっ掴み頭を拭く。俺がハンドソープで洗ったせいでバッサバサの髪のまま立ち上がった土方は、 首をかしげて一度目を閉じた。
「・・・うん」
うん、と。1人で何に納得したのか、傾けた顔で冷蔵庫に貼ってあるピザのチラシを見る。それから、 金時へと視線が移った。
ときどき、土方は目に全ての力が凝縮されてんじゃないかというような視線で語る。言葉はなく、静かで、強い。 金時は一瞬、その瞳を受け、う、と長いまつ毛をまたたかせた。


「・・・土方くん。あんな一直線に見られたら、まいる」
「あんたのそういうとこ嫌いじゃないよ」
「自覚ないかもしれないけど、君、目力の圧すごいよ」
金時がため息と一緒に前髪をかきあげ、ちらと坂田を盗み見た。 俺が突然夕飯はピザ食いたいと言い出したせいで、は?と面くらっていた坂田は、「食欲が出たならいいけどさァ」とメニューを見ながら電話をかけている。 金時の横目がこちらに戻る。
「・・・そんなプレッシャーかけられても、俺は本当に知らないんだよ。そりゃ高杉が出てくのは見たけど」
「・・・・・・」
「あ〜〜やだその目ェ」
「金時」
じっと目が合った末、金時はふざけるのをやめていつもの調子で髪をかいた。
「・・・ねえもうほんと何となくだよ。何となくだけど、高杉の彼女に連絡した時にさ、一回で出なかったから。普段なら気にならないんだけど、あ、 高杉、いるんじゃないかな、と思っただけだよ。そういうの、わかる時あるでしょ」
「あるな・・・」
「何で俺が知ってると思ったの」
「高杉の話を聞かせてくれるくらいだから、まだ切り札があるんだろうなと思って」
「まあ銀時が昔、高杉が帰ってこないのは、女か喧嘩だって愚痴ってたしね」
小声で話してるせいで、そのいつかを思い出しているようなまぶたが綺麗に近い。 坂田が「えサイズ? あれハーフ&ハーフにすんだっけ?」と通話口をふさいで振り返る。
「お前の好きにしていいよ」
と答えると、
「ああそれセックスん時言われたいね」
と金時が頬杖をついてうなずいた。
「ピザっつったらさ、外食よりテンション上がったもんだよね」
「バイト先で嫌ってほど見るけど、まあそうかな」
「ね? 子供の時はでっかいコーラなんて特別だったよ。煙草とか酒より、そういうの思い出すと大人になったなって思っちゃうんだよね」
「ウソくさ! 大人のさみしげな感傷で気ィ引こうったって無駄だ。高杉探す方が株上がるぞ」
「やだね」
2人がテーブルで話している間に、俺は放り出されている坂田の財布をのぞいた。インターホンが鳴って、 ピザを受け取るため坂田が「はいはいー」と腰をあげるのと一緒に立ち上がる。廊下まで出たところで金時に呼びとめられて、一度、振り返った。
「土方くん、ケーキ食った?」
「食ったよ、すげェ甘かった」
坂田に玄関までついていって、その手から財布を取った。 「ピザ代いくら?」と聞くと、「クーポン使って4千円ちょっとだと思うけど・・・何?」といぶかしみ始めた坂田に五千円札を抜いて渡し、 財布を自分のポケットにねじ込み傘をつかむ。 「え何ちょっと、待てお前!」と言っている坂田と、宅配に来た店員の間をすり抜けた。 「待てコラ土方! いえはいクーポンあります!」という声が後ろで聞こえる。


「行っちゃったねえ〜」
「行っちゃったね〜〜じゃねーよ! バカ! あいつ病人だぞ!」
土方のシャツの裾が、白くひらっと消える。あっのやろ、こんな時だけ。
ピザのやり取りを金時に任せて、 エレベーターの前まで来た時には、おりた後だった。・・・そういや、前にもこんなこと、あった。土方の家出ん時。 あの時と違って、土方が、誰かを迎えに行こうとしてる。
・・・しかし、病人はぬいぐるみと一緒にゼリー食ってるもんだよ。 間違っても、がっつりピザ頼んだ挙句、他人の財布をスったりしない。
「これで高杉と一緒に帰ってくればハッピーじゃん」
「そんなこと言ってる場合じゃねーよ、」
「そうかな?」
底があたたかいピザを俺の手の平に乗せて、金色の髪が中身をすこしのぞきこむ。金時はパイナップルをつまんでいやに伏し目で俺を見た。・・・な、なに
「案外、高杉と再会した瞬間、劇的な愛が生まれるかもよ」
「・・・・・・愛って」
「土方くんのあんなこともあった後だし、映画なら結ばれるとこでしょ」
「映画ならな・・・」
ため息を吐いて、廊下を戻る。
(・・・・・そりゃ・・・)
高杉と土方の間には、引力がある。本当はどこかで、連れて帰ってきてくれるんじゃねえかな、と思うくらいには。 でもそれは、2人がお互いを「好き」だからとかそういうんじゃ・・・ない。
「でも万が一そうなったら、お前ってどうすんの」
金時が指をなめながら、俺を追い抜いていく。
「例えば、土方くんが高杉を選んでお前じゃないって言ったらさ?」
顔をあげると、金時がドアを開けた先のリビングが目の前に広がった。
そりゃ別に・・・
考えたことがなかったわけじゃないさ。それは。
「考えろ」と、俺から土方に言ったこともあるよ。
そんなこともひっくるめてこの家は建ってる。
けど。・・・そうだな。
「・・・・・・」
土方の部屋の入り口に、ゆっくり、手をかけた。
受け入れるのに面倒くさい時間のかかったベッド。本棚にきっちり並んだ俺の漫画。運ばれてきたピアノ。
ちゃんと帰ってきた白いシャツの体を思い浮かべ、瞳が細くゆるんだ。 部屋の縁に、頭をトンとつける。
・・・「お前」。
「お前だ」、と。
あいつが。
いつもここで寝たり起きたりリビングに出てきて、「坂田」、と呼んだり。ピアノを弾いてるあの男が。
・・・もし。言ったら・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・言わなかったら?
「・・・・・・」
俺の目の前で、土方の部屋にはいつものタバコのにおいが残ってる。 金時がすでに勝手にピザを食べてるリビングに、引っ張られるような足を返した。