坂田が待ってる



土方の手。
すり傷のある体温が、俺の髪を何度かゆるくかきまぜる。何かを半分、分け与えるみたいに。 俺たちは、夜を登ってくエレベーターの光の中でもたれて、互いを見ていた。
「こういう日があるから、俺、夜すきだよ」
土方の指が、鏡をなぞる。
ややえろい。
・・・・急激に眠気を感じて、すこし目を閉じた。

不良と女が入り混じって エロビデオ、流れる中、タバコの煙。
笑い声、盗品、ヘンな匂い。

「・・・・小5の頃」
同級生が不良の兄を持っていた。 彼の家に行くと、いつもバカがたむろしている。俺は、家出のたびにそこにいる。そのグループの中に、中2の銀時がいた。 俺は親の金で、彼らに貢献する。「ダセーからやめろよ」と銀時は言うが、何がダサいのか正直(未だに)わからない。 銀時だってただ、金時の後輩たちにかわいがられているだけだ。それは人の金と同じだと言ったら、ボコボコにされた。 さすがに銀時も途中で体格差に我に返っていたが、おかげで俺もだいぶ暴れた記憶。
後ろめたいのであろう。Tシャツが鼻血で染まってる俺を、銀時が豪邸に泊めてくれる。 なんで家出すんの。親との交渉手段。頭ったまいいなぁと兄の金時が言う。絵が飾ってある。筆致が盛り上がった、マジのやつ。それを見るたび何かが解放される。 記憶の中でだけ、うつくしい。
いくつか兄弟と過ごす煙たい夜。金時のバイク、金時の女。銀時のため息は、意外とやわらかい。 グループでは、鬱屈した不良が俺に当たる。反抗すると、更に倍。 喧騒がやんで、目をあけたら、いつの間にか、銀時だけが、立っている。

『・・・俺、抜っけよっと。高杉どうする』


「何だそれ、合コンの口説き文句みたいな言葉だなぁ・・・・」
そう言う土方の目に、光があつまっていた。

・・・・・・・・・本当だな・・・・・・














「・・・・」

「・・・・・」


朝、8時。


(・・・・・・・・。)


「・・・おはよう」
口につけてたコップを下ろして、言う。
土方はまだ起きてこないから、すこし小さめ。
高杉はまぶたをかきながら、寝起きのしかめた目で俺に気づいて、ああと言った。
・・・いや、昨日の土方の電話からして、帰ってくるんだなとは思ってたんだけどね。
ついその足が向く先を警戒してると、そのまま入ってくる。
リビングに。
・・・うん。浴槽じゃなくてよかったよ。


「ああじゃねーよ、お前ら昨日いつ帰ってきたの?」
俺は、焼のりを箸で、缶からティッシュみたいに引き抜きつつ、息をついた。
こっちに向かって、床の陽の線を踏んでくる、高杉のはだし。
「海苔のフタ、すぐ閉めろよ」
「いつも言ってんだろ、せめてケータイの電源くらいは・・・」
「こっちもいつも言ってる」
テーブルを通りすぎるついでに、高杉がフタを閉めていく。見慣れた背中だ。肩からななめに光の川ができてて、小さなほこりが平和に舞ってる。
(・・・アレ、うちって昨日もこんなだっけ?)
って錯覚するくらい。
「てめえが死角で寝てるから、土方つまづいてたぜ」
事件続きに振り回された俺の目もスルーして、そんなこと言いながら、ヨーグルトと一緒に戻ってくる。
いつも通りだわ・・・・・
俺は、長い息を吐き終わって、白米の上にのりを寝かせた。
・・・まあ、昨夜、何があったのか、すげえ・・・気になるとこだけど。めったにつかない寝ぐせが、つむじあたりで一回転してるのも、わりと気になる。
(熟睡したのかよ。)
でも、ホント気づかなかったな。昨日、土方の電話があったときすでに飲んでたから、何度か落ちかける意識に、あーやべえなと思ったのは覚えてんだけど。 がばっと目が覚めると、すでにさんさん射す朝日にリビングが染まってたし・・・・・・・・・・・って、あれ?
「俺、起きたときソファーだったよ」
「乗せてやったんだよ、俺と土方が」
「どうりで、浮遊感ある夢みたと思った・・・・・・」
額を手で押さえる。俺をよっこら運ぶ2人か。
「・・・・・」
「何、笑ってんだ」

茶を注ぎ、透ける春の光を見た。
・・・・起きたとき、すぐそこの土方の部屋をのぞいて、寝てることに安心した。高杉もちゃんと部屋に帰ってきてた。 俺は、2人を確認してから、台所で。水道の音が朝っぽいと思った。すこし冷たい。シンクのコップから、水がこぼれはじめる。 気づけば、ぼうとしてる。蛇口を閉めて、このなつかしさと切なさは何だろうと思った。
(・・・だって。)
ちょっと前まで、泣きたくなる感覚なんか、なかった。高杉と俺を生かすのに必死で、刹那的で、それはぜんぶなつかしく、人生はその思い出だけで生きていけるほど。
(いや)
・・・・最近あった。この泣きたいような気持ちはなにかと。電車で、病院の帰り道で、隣にいたとき。・・・・土方の。
茶があふれ返る。
高杉のスプーンに光が反射していて、俺の瞳は急に真面目になってそれを見つめた。
「高杉。あのな」
向かいで、ん、と視線があがるのがわかる。
俺は、布巾を握りしめて『な』の形でくちびるを開いたまま、目を合わせた。案外、こんな時にすっと、 ひたむきな声が出るもんだなと、ひと事みたいに。
「俺、お前に、話しときたいことがある」
「ほう」
「・・・・・・ようなないような」
「どっちだ」
「いやそのぉ・・・・お前昨日土方と何かあった」
「何かって」
「こう何か生まれた」
「は?」
「だから愛とか!」
俺は半ばやけくそになって、テーブルに布巾を叩きつけた。もう金時の洗脳のまんまだ。
瞳孔を開いてこっちを見上げていた高杉は、言葉の意味を飲みこんだと同時にはじかれるように爆笑した。 なにこれ、めっちゃウケてる。
・・・・恥ずかしさで真っ赤になって、子ウサギみたいに震えてるこっちのことも考えろよ
「ぎ、銀時お前、」
「もういー! 恥ずい、やめよう!」
「・・・・今度は、俺に何を説きだしたのかと思ったぜ」
高杉が、ふうと椅子に片足をあげたままちょっと落ちつく。それから、昨夜の雨を思い出すみたいに、目線が動いた。
「・・・・何かあったっつーか、あれは・・・・・・」
「んっ?」
「知ってたような気もするし、晴天の霹靂のような気もする」
「・・・・・・・・・えっ」
な・・・なんか、すごい言葉だな。とつぜん朝がとうめいになるような神秘さがあると思う。
「・・・土方に何か言われた?」
「言葉で確認したわけじゃない」
・・・・あー・・・・・ハイ。お前らには、それがあるんだった。それって、俺に理解できることじゃないんだよなぁ・・・・。 高杉が満足ならいい。うれしい。俺も。それが土台にないと、俺の幸福もありえないような気もするし・・・・・・
「何だ。お前の話したいこと」
「う・・・・えーと・・・・・・」
いざとなると、喉が詰まって、じゃっかん俯く。1分経過しようというところで、
ガチャッ
とドアがひらいて、寝起きの土方が出てきた。
「・・・・・・・・・・・薬ヤベエ」
まだ半分、目、あいてない。あと、そのセリフがヤバいけど。・・・あれ、久しぶりに朝3人そろったな。


ぼたっと、放られる俺の財布。
眠剤で頭が重たいらしい土方は、カエルみたいに両手をテーブルにくっつけ座っていた。
「えっ、千円しか残ってないんですけど」
「何でだと思う? 元から入ってねえからだよ」
・・・・・ッ、腹立つ、本当に病人なのこいつ。ていうか、真ん中のさくらんぼなに 大量すぎない
人のため息も無視して、2人は、黙々と食ってる。
俺の目の前で、皿へ伸びては引っ込む2つの手。
(リスか。)
・・・一瞬そうやって会話がやむと、ぼけっとした朝の空気をかんじる。
心配してた2人が、こうやってふつうに並んでると、・・・和むな。なんだろ。どう間違っても、癒し系じゃないけど。 ほっとする気持ちが、実感をともなうっていうか
俺たちは、なにかの儀式のように3人でそれを囲んでいた。
「まあ財布だけじゃなくってさ。迎えに行きたいなら、そう言ってくれればよかったのに」
俺も、口に入れた実から軸を取ってると、土方がちょっと間をためてからこっちを見る。・・・・そういう様子をみると、じゃっかん罪悪感はあるんだな。 8割、うっせーよって目だが。
「・・・お前がキャパオーバーかと思って、気ィ遣った」
「ウソつけ」
「それに、高杉がダークサイドに堕ちなくてよかったろ」
「いや堕ちるとこだったの?」
俺はちょっとむせた。高杉が無言の半目で土方を見る。
「てか、どういう種類のダークよ?」
「だからこう・・・芸術のために人の尊厳を踏みにじることもいとわない世界の方へひとりで行って最終的にいっぱい狂う、俺は死ぬ」
さくらんぼをくわえた俺の口が、半開きになった。
「いっぱい・・・」
と高杉がくり返す。
・・・確かにその言葉のチョイスは気になるけど、内容の方をツッコめよ スゲーこと言ってない? ・・・あれっ、もしかしてそこまで冗談じゃねえのかな。
「怖いよ! やだよ! しかも最後に何をさらっと付け足した!」
「まあ、一回夢で見ただけ」
「だって、現実にそんなヤツいる?」
土方はまばたきした後、もういい・・・、と手を振った。 話が通じないことをバカにしてんのかな、と思ったけど、どっちかというと、そのバカさ加減にほっとしたような顔だ。
果物は土方の土産だという。 財布の中身が千円で合ってることを思い出した俺は、ふと伸ばしてた手を止めた。
「えっこのさくらんぼって、お前の奢り?」
「いやこれはお前の小銭で買った」
てめえ、感動返せ。



そうして土方は、これから2週間寝込むのだが。
(言わんこっちゃない。)

さくらんぼを食べ終わった後、直前まで、ピアノを弾いていた。土方は見かけによらず、とんでもなくきれいな曲も弾く。 濡れてもかまわない、春の雨。あの悲しみとやさしさに似てる。
高杉は、これ以上変な置き物増やしてどうすんのか知らないけど、リビングでちいさな像をたくさん着色してるし、 よくみると意外なことに奇妙でかわいい。
俺は台所で、2人の音と色にはさまれたまま、
(・・・な なんだこの空間すげえな。)
と、今さら、ちょっと、引いた。
だって、なあ。俺は、ギターはモテありきだったし。漫画は読むけど描こうと思わない。何かを生み出したいと思う気持ちがあんまりない。 あんまり、というのは、出来たらすげーな〜とは思うからだ。ま、そういうことに労力さこうって気には1ミリもならないんだよね。
翌日、土方が無理に起きかけるたび、布団に戻してくるむ。
「何回もサナギにするなよ・・・」
とか言うので、思わず、熱い何かがこみあげるとこだった。ぐっと飲みこんで、布団をぽんぽん叩く。
・・・そうそう、みんなそうだよ。だから、ゆっくり休んで、治せ。
俺だって、何も言いたいこと言えねーよ、お前がこんな状態じゃ・・・・
そうやって、髪をゆるくかきまわしてると、布団越しにこっちを見る土方の瞳がうすく光に満ちた。・・・う、やめろよ。さすがにいま襲う勇気ないよ俺。 なにその目?
そこで、ついに体力がなくなったのか、観念したのか、ほぼ死んだように伏せった土方は、大方病気のせいだ。 でも、高杉まで2日寝込んだのはびっくりした。2人ともあの夜、よっぽど精神エネルギーを使ったのかもしれない。何にかは知らんが。 俺は、バイトと家事に明け暮れながら、「アーティスト2人の家事代行か!」とたまに我に返る。
(・・・けど、まあ)
嫌いじゃないんだよな。人の面倒みるのって。
「じゃあ、銀さん、うちの引っ越し手伝ってよ」
「金くれるならいいよ」
「すげえストレート」
長谷川さんの家具を、友達の軽トラに乗せて、いつしか土方が自分の得意分野を確認していたことを思い出し、春と夏のあいだの空をみた。 ・・・人の用事手伝うって悪くないよな。ていうか俺、得意かも。だって、ほとんどそんな人生だ、高杉のせいで。
「・・・・・こういう方が向いてんのかなぁ・・・」
高杉と土方に、おせっかいはさんざん焼いてるわけだし・・・・・
(・・・・・・・・つーか、だから・・・・)
「お兄ちゃん止まりなのかもな・・・・・・俺ってずっと・・・・・・・・」
ぼんやり頬杖をつく軽トラの中で、ラジオがかかっている。
夢を見て・・・
君の運命の
凄い予感を
俺の瞳はふうと外の景色に浮かんでいって、春が終わる風を吸いこんだ。 ・・・大げさで可笑しい。 でも、確かにそんなもんかも。たいがい人の凄い予感なんて、ほんとはこれくらいちっぽけな、すこしその気になれるとき。 ふ、と息をつく隣で、長谷川さんが「あ、次右右」と言うその向こうに、本日も夕焼けがくる。