坂田が目を覚ますと、もう11時だった。月曜だから高杉は朝から大学だろう。
今までなら、それが普通だ。なんにも問題はない。
それが、最近変わってしまった。
・・・・土方は。
耳を澄ますと、かすかに物音が聞こえる。
「はー・・・」
あいつと二人きりかよ。せっかくのバイト休みで外にも出たくねえってのに。
最悪ゥ・・・、意識して口に出す。それから、パンっと膝を打って立ち上がった。
まあ、なるべく、関わらないようにすればいいのだ。簡単なことだ。
なのに、それが、そうもいかなかった。

もうまず、がしがしと頭をかいて洗面所へ向かう途中で、ソファーに座っている土方が前世からの天敵でも睨んでいるようなすごい形相をして宙を見ていた。 足を止めて、すこし目を見張らずにはいられない。何か、彼の周辺がどす黒く渦巻いている。
・・・・朝・・っぱらから、何苛々してんの、こいつ。いや、昼だけど。
手には、テレビに向けられたリモコンを握っていて、画面は真っ黒だ。
何かを見て、とっさに切った、という感じだった。
リモコンを取り上げ、スイッチを入れてみた。やっているのは、ただのニュースだ。
ソファーの横から、黒い頭を見下ろす。
綺麗な前髪に、そういえば、と思って口を開いたのが悪かった。
「お前さ、額に縫い痕あるだろ」
ぴくりと今やっと自分に気づいたように、髪を揺らしてこちらを見た土方の瞳には、ものすごく凶暴な力が射していた。
思わず目を開いて唇の端をあげてしまうような。要するに、喧嘩の血をうずかせる視線だ。
これは、苛々しているレベルじゃ到底ない。まあ、こいつにも色々あるんだろうが俺に当てないで欲しい。
「・・・だから何だよ」
「悪かったな。別に詮索なんかするつもりはねーよ。興味がねえし。俺だって高校ん頃バイク事、」
「うるせー今話しかけんな!」
ガ、と胸倉を掴まれ、同時に膝を入れられた。一瞬まぶたがくっついたみたいに開かない。喉もだ。
ものすごい重量だった。
ちょっ、これ完全な八つ当たりじゃね? せっかく人が、悪かったな、とまで言ってんのによ。
しかし正直、色気を散らしてふらふらしている態度に、油断していた。こいつ相当、喧嘩慣れしてる。
だけど、ちょうどよかった。どうやって追い出そうか悶々してたところだ。
暴力で捻じ伏せてやればいい。二度と歯向かってこれなくなるほど、痛めつければいいのだ。
自分から、出て行くくらい。
「一発は一発・・・ゲホ、つったよなてめェも」
「やんのか?」
顎をあげて見下ろしてくる土方の顔は別人みたいだった。隠しもしない狂気が、瞳から笑みからだだ漏れだ。・・・お前、 そんな表情もできるのか。
ほらみろ、とんだジャジャ馬じゃねえか。
高杉に見せてやりたい。いや、見たら喜ぶな。絶対、喜ぶ。内緒にしとこう。
髪を掴んで、膝に足裏を叩きつけると、ぐっ、と喉奥で声を出し土方が体を折る。 その顔に拳を入れ、倒れかけた体を許さず首を引っ張りあげた。
「お前、昨日は高杉とヤった? 案外もう飽きられたんじゃねーの」
昔の眼で、土方の首元を絞めた両手に力を入れる。
だけど、この劣勢で土方は、恐怖や迷いの色を全く見せない。ハン、と血を垂らした鼻で挑発すらした。
俺は何にも、屈しない。
そう、強い瞳がいっている。つい、唇をすこし開いて見返した。
「俺と高杉はセックス以外の何かでも惹かれ合ってるよ。恋愛感情とかそんなモンじゃない。よくわかんねェけどもっと深い根底の部分に 刺激されるんだ。一番関係ねーのはてめーじゃねェか」
カッと手から意識が離れたわずかな隙を決して逃さず、体当たりで倒された。えらい根性だ。
馬乗りになった土方が唇を舐めて、こちらを見下す。
・・・・駄目だ、こいつは力じゃ征服できないタイプだ。セックスに軽いからと思ってたら大間違いだった。
「そんなに追い出したいかよ、俺を?」
「・・・ああ、心底」
「俺があいつに何かするとでも思ってんのかよ。それともただの高杉の親気分か?」
土方が、唇を歪めて笑う。
白い肌に、自分が殴った痕がよく映える赤みを差している。

あー・・・・いよいよ、まずい。
案の定、土方はふっと怪訝そうな眉をし、すこしだけ下に目をやって、ばっとこちらを見た。

「し・・・んじらんねェ! 何でこの状況で勃つんだてめー!」
「うるせーな、久々の喧嘩でうずいたんだよ・・・」
飛び退いた土方に、のっそり起き上がりながらそう言い訳する。
事実ではある。
けど、対象は確かに、土方だった。
・・・・・・くそう、何だこの負けた気分。どうにも気に入らない。


洗面所から出てくると、土方は煙草を吸っていた。
子猫への配慮か、台所の一番端に立っている。
もう、初日の印象の土方だ。いや、あっちが本当の土方か? ・・・昨晩の月明かりのリビングでのあいつも。
いや、全部でこいつだろう。
ああくそ、別に何でもいいだろ、土方のことなんか。
肩を掻きむしっていると、ヌ、と手が出てきた。
「金」
この一言だ。
「頼むにはそれなりの態度ってもんがあるよねえ? だいたい何買いに行くんだよ」
「マヨネーズ買いに行くに決まってんだろォが! この陰湿犯!」
あ、もう気づいたのか。早い。
しかも、ぴら、と紋章のようにメモを見せられる。「土方に金貸しとけ」。高杉の字だ。
「・・・・ッたく、いくらだよ」
「3万円」
「おま、そんなにマヨネーズ買ってどうする気! マヨでハーレム作って満足か!」
「猫の飯」
「あとは」
「パチンコ行く」
「・・・・・・・・・」
瞬間、坂田の頭の中で大当たりがきた時のフィーバー音が鳴った。


うるさい有線と、筐体の音。通り過ぎた席から、ジャララララ、と玉の出てる音がしている。
「何でついてくんだよ!」
「俺はエヴァ打ちたいのー!」
言ったとたん、土方は小走りになった。あっチクショウ、あいつもエヴァか!
自分もポップを目印に列まで走ったが、イベント日らしく、もう土方の隣しか空いてなかった。

「・・・・あ、激熱」
「あーきたきた、ソレ」
「あれ、外れんのかよ」
「違ェよここで・・・ほら、プレミア演出」
「お、確変確定か」
「ところで、こっちは暴走モード入ってんのに、100回転越えてんだけど」
「アホは引きが弱いんだろ」
「うるせー、見ろ、来た、綾波擬似連4連チャン」
「『いいえ、全ては一つなのよ』」
「それ」

がなるように会話した。パチ屋では普通の音量じゃ聞きとれないから、どうしても声がでかくなる。
朝の喧嘩が嘘のようだ。お互いアレで何かを発散してすっきりしているのかもしれない。それにしても仲良く打ってしまった。
しかも、土方の方が3箱多く出したのが何か腹立つ。しかも、元は俺の金だ。
更に、しかも、綾波の女台詞の真似をした、土方の声が何か消えない。
くそう。
パチ屋の前で別れて、漫画喫茶で無心でドラゴンボールを読み返した。


「はーただいまー」
玄関で靴を脱いでいると、開けっ放しのリビングから土方の声が聞こえた。
「は、は、ァ、か、すぎ・・・ッ、あ、」
・・・セックス中か。自分の部屋に財布を放って、リビングに入る。
床のど真ん中でしている二人を横切って冷蔵庫に買ってきたビールを入れた。
「夕飯は?」
「土方が作ってた途中」
高杉が、顎で台所を指す。何か目が怖い。
台所を見ると、おおざっぱに千切りにされたキャベツと、パックの冷凍豚肉が乗っている。
溶け具合からいくと、二回戦くらいに突入してそうだ。
「は、高杉、あ、怒っ・・・・ッ」
「別に怒ってはねェよ」
確かに高杉のアレは少々興奮してる目だ。料理中に襲ったり、何がこいつを駆り立ててんだか。
それは、高杉が手の甲で、今朝自分が殴った土方の頬の痕をなぞるのを見てわかった。
鼻血もだいぶ出してたから、ティッシュで押さえすぎた鼻も赤い。
怪我か。
・・・・・コレ、俺、尋問にかけられるかな。

坂田がひきついで仕上げた豚のしょうが焼きをテーブルに並べる。
コップまで用意したところで、高杉が向かいの椅子に座った。
「銀時、お前かァ、土方とやり合ったの」
きた。
「だって、あいつが・・・・」
床に転がったまま、くったり肩で息をしている土方にちらり横目をやる。
じろり、涙目でにらみ返された。・・・くそ、乱れた服でそんな瞳・・・いかんいかん平常心だ。
「何か、今朝から苛々っつうか、何っつんだろアレ?」
「ああ?」
「いや、いきなり喧嘩んなってさ。お兄ちゃん、腹立ったから殴っちゃった」
可愛く言ったこちらを、高杉がアホらしそうな目で見つめた。しかし怒ってるわけではないみたいだ。 何勝手に面白そうなことしてんだ、俺にも聞かせろよ的な。
「俺が初めにやられてんだぜ、見ろよこの痣」
ぺろりスウェットの上をめくりあげて腹にできたそれを見せ付けた。
「へえ、お前に一発入れたのかよ」
「凶暴だよあいつ。マジで」
語尾を強めて言うと、土方からの刺さるような視線を感じたが無視してキャベツをはさんだ。
「フン、けど俺ほどじゃねーよなァ土方。押し倒しきれてねェもんなァ、全然」
笑った高杉に、土方は、「い、つの日か・・・・・」、とか何とか歌の題名みたいなことを言って、力尽きた。 アホだ。



「今日はずいぶんと可愛いらしく声あげてたなー、お前」
目を開けると、坂田が肘掛けに座っていた。どうやら自分はソファーに寝かされているらしい。
「ふ、はー・・・・ァ・・・・てめーに聞かせてねェ」
「誰が聞くかよ!」
「聞いてんだろォが、アホか!」
「心の耳は聞いてないんです! 心は大事だよお前、耳と心が一緒だったら、その何か大変だよお前!」
「・・・・おい、意味がわかんねーけど大丈夫か」
「お前、本当に嫌がったろォが、初め」
顔を横に向けると床にあぐらをかいた高杉が、画集らしきものを開いていた。
それを坂田が、複雑そうな目で見ている。自分も見る。
高杉はそんな視線も気にせず、会話も遅れて、どこか思慮深そうにしていた。
そんな雰囲気は初めて見た。いやそりゃ、まだ数日だから、まだまだ知らない高杉が居るんだろうけど。
「いや料理でも何でも途中で投げると尾引くんだよ。あーまだやり残した感がもやもやする」
体を起こして、テーブルの上のラップをかけられた豚肉を見た。
「やりとげてても食えねーよ、何あの千切り」
「見た目じゃねェだろ!」
「見た目は大事だバァカ! サンジも言ってた!」
友達みたいに言うなよ。こいつ、かなり漫画好きだな。
起き上がって、髪をかきあげる。
「にしたってよ。アンタ、今日は何だったんだ帰ってくるなりよ」
「こいつ、怪我好きなの」
坂田がマグカップで高杉を指す。
「へえ、俺も。痛がらせんの好きだぜ」
痛みも、と心の中だけで付け加える。暴力自体。というよりは、血が高ぶるあの感覚が好きだ。
「奇遇じゃん、俺なんか巷じゃドSで通ってるからね」
どこの巷だよ。
「全員変態か」
ソファーの背に頭を後ろまで垂れさせ、土方はそう結論付けた。
それから逆さまの視界をしばらく見つめて、ガバリ、振り向く。
「高杉! あいつ、自分で水飲んでる」
子猫だ。タオルから出て、置いてある受け皿に顔をつけている。
「あー今日は元気みたいだぜ。飯はいつもの量しか食わねーが、よく動く。・・・・・・何だろうな」
目で追っているらしい高杉と一緒に子猫を見た。
ナァ、と小さな声で、こっちを見て鳴いた。しっかりこちらに大きな瞳を合わせて、鳴いた。
思わず立ち上がろうとして、床にぺたり落ちた。足に力が入らない。 床に這いつくばったまますこし進んで、(坂田が「ゾンビか、こえーよ」と足を避けた)、伸ばした指でその毛に触れた。そうと撫でても逃げない。暖かかった。
こちらの好きにさせながらまた、ナァ、と鳴く。
今まで全く声を出さなかったのに、何故急にこんなにも鳴くのだろう。
何かを振り絞って。何かを伝えるみたいに。
高杉はただ黙って、こちらのそんな様子を見ていた。坂田は彼のその目に、一人かすかに眉をあげた。