その日、坂田は初めて土方に名前を呼ばれた。

今日のバイトが遅番で、朝はゆっくり寝ようと思っていた。それが、何故だか目が覚めてしまった。
大あくびが出る。けれど、目は変に冴えてしまって、二度寝できない。
「・・・・・・」
ろう下に出て初めて、すこし妙だな、と思う。
ぼりぼりと首をかいていた手を止める。物音が聞こえない。土方はまだ、高杉の部屋で寝てんだろうか。
思いながら、リビングに入ると、黒い頭がちゃんとソファー越しにあった。
俯いているように見える。
その空気だけで、嫌な予感がした。

「・・・・土方?」
床に座り込んでいる土方に近寄ると、腕にタオルケットを抱いている。
子猫は、と、聞こうとしてそれがそうだと気づいた。
「坂田」
土方は別段取り乱すでもなくいつもの声で自分を呼んで、こちらを見上げた。
それでも、あんなにあたたかかったのに、こっちを見て鳴いたのに、まだ、名前もつけてなかったのに、色々言いたそうな唇を結局何も言わずに閉じる。
坂田は、それを土方からゆっくり奪い取った。
「おい」
「はー、公園のはしっこに土があるから」
それだけ言って立ち上がると、土方は黙ってついてきた。

スコップがなかったので、大型スプーンで土をすくったが、埋めるほどの穴を作るには大変な作業だった。
土方は黙々と掘り続ける。
表情は見ないようにして、坂田もそうした。
子供の高らかな笑い声が聞こえてくる。のん気に優しい風も吹いていた。
その中で、ザクザク、と土を掘り返す。そうしている内に、急に土方が口を開いた。
「俺の腕ん中で逝ったよ」
「・・・・」
「看取れてよかったのかもなァどうだろうな。猫にそういう観念あんのかわかんねェけど」
ふっと顔をあげると、まだ土を掘り返している土方は空っぽではなかった。
その目は決別の意思を持って、子猫の最後の寝床を作ってやろうとしているみたいだ。
しばらく見つめて、スプーンに目を戻した。
土方の、そういう強さ。
喧嘩の時の瞳。
夜中のリビングで垣間見た空気。
この男は、見た目だけのヤツじゃない。ちゃんと中身がある。 ・・・そうは、もう認める。気に入らないけど。
出来上がった穴にタオルケットに包まれたそれをできる限りそうっと置く。
何か言われるまで待ったけれど、彼が土をかけ出したので、それに従った。
土方は、手を合わせるようなことはしなかった。
盛り上がった土を眺めて、そして、立ち上がった。


高杉の奴、たぶん、知ってた。子猫が今日逝くこと。昔から妙な勘がいい男だった。
「そりゃちょっとさみしくもなると思うんだけど」
帰って来た高杉は、ソファーに寝転がってそう言ったこちらに横目をやった。その視線が、今まで子猫が居た場所へと動く。
「死ぬ時は死ぬ」
高杉には言葉が足りないとこがある。頭がいいから、自分の中だけで思考が速く回転していてその中から言えばいいことだけを言う。 言わないこともする。ただの気まぐれで変なところを選んでくることもある。何にしたって、高杉が言いたいのはそれだけじゃないことは知ってた。 それでも、長い付き合いでこれ以上聞いても無駄だとわかる。
「ったく、俺が一緒に埋めに行ったんだぜ」
肘置きに乗せて反らしていた頭を戻して、目を閉じた。
「土方は」
「お前の部屋。もうちょっと帰りが遅かったら俺が抱いてたかもよ〜」
「ヤりてェのか?」
・・・ヤりたい。正直。
まぶたを開いて、台所のタイルなんかを見つめた。
あいつにはこの数日間で色んなものを見せ付けられすぎた。初めからあれだ。 性欲を煽るには十分すぎる。
自分の下で存分に啼かせてやりたいくらいは、俺だってもう思ってる。
そうしないのは、お前のだからだ。お前が珍しく気に入ってるからだ。
それが他の誰かだったら誰のものだろうと、とっくにやってる。
もしかしたら、高杉が飽きるまで、もたないかもしれない。
「高杉? 早ェな・・・・・・・・、ッ」
土方がリビングに入ってくるなり、高杉が噛み付いた。
あーあ。人のジレンマも知らずに何でやって来るのか。まったく、やれやれだ。
ソファーに寝そべったまま、横の床に無理矢理うつぶせに押し倒された土方を見る。
髪を引かれて高杉の唇を受ける顔を見る。半端に脱がされるシャツや、そこからむき出した肩を見る。
「ァ、」
反る、喉元を見る。あらわにされた太ももを見る。
全体的に彼を視界に収めて、高杉にされてる様子をじっと見る。そらさない。
土方が、眉を寄せてこちらを気にするのがわかった。
彼の前髪越しに、何度も目が合う。もう流石に、意識的にそうされてるとわかってる。
「見られてると興奮すんだ?」
「んッ、ァ、ァ、」
「俺なんかに見られながらさァ、屈辱的? イけよ、目の前で」
「はッ、あ!」
唇の端をあげた瞬間、土方の涙目がきつく閉じられた。けど、零れ落ちはしなかった。
強情だ。胸の内だけで舌打ちする。
・・・うーん、しかし、俺のこの忍耐力がいつまでもつか。


まず、蹴った。2回。本の角で頭を叩いた。3回。これは、ガガガ、とリズミカルだったものだから、坂田は避ける暇がなかった。
「ッあー痛った、何、そんなに俺で感じちゃったのが恥ずかしいわけ?」
「誰がてめェに感じたんだよ! その口削いでやろうか! 次は包丁持つぞ!」
「すぐに通報してやるよ! ポリスメーン、こいつ引き取っちゃってえええ!」
「てめー絶対過去にのぞきやってんだろ、お前が連行されろ!」
「うるせーなァ・・・」
高杉は、あぐらの上に怒鳴りまくる疲れた自分の体をうつぶせに乗せたまま、器用に小説を読んでいた。
三島由紀夫の『潮騒』だ。ふ、何だか似合わない。そのミスマッチさが妙に自分の感性を煽った。
何かが降りてきそうだ・・・・あともう少しで・・・・・指が動く。
「どうせなら、泣けばよかったろ」
高杉がそう言って、ページをめくった。閉じていた目を開けて高杉を見上げ、床に視線をやる。
数日間のちょっとだけ、そこに子猫がいた。
「泣かせてやろうか?」
「・・・へえ、俺をか? どうやってだよ」
「3P。銀時もてめェとヤりてーらしいぜ」
あっ、おま、と唇の動きだけで坂田が焦った。
「したようなモンじゃねェか!」
「それで泣かすのが一番簡単なんだよ」
普通の声で、普通に高杉は言った。けど、それは土方の胸をすごく突いた。
・・・・何だ、妙に乱暴だったと思ったら、泣かせたかったのかよ。
たぶん、高杉には自分の寝言が聞こえてる。子猫を拾った日には夢に見たからきっと間違いない。
いくな、いくな
そう言ってると、何人かに言われてきた。逝ってしまったものは仕方がない。遅かれ早かれ人は死ぬ。自分でもそういうところには結構割り切った価値観を持ってると思う。薄情だと、言われるほど。
けど、心のどこかでそうじゃなければよかったのに、あそこだけが俺の居場所だったのに、と強く、思ってる。
「死ぬ時は死ぬんだよ・・・・だって、生きてんだから」
「あァ」
高杉のジーンズの色を目を細めて見つめながら言うと、彼はただそう返事した。
結局、3Pしようが殴られようが俺は泣かねェよ、とふてぶてしく言っていた土方は、金曜ロードショーでやっていたアニメを観てグスグス泣きまくった。 「・・・泣いてんじゃん、アレ」、と坂田が小声で言うと、「俺はトトロに負けたのかよ」、とか何とか高杉はどうでもいいところをついた。