「あれ、なんの絵?」
目に入ったテーブルに置きっぱなしにされていたそれを、土方は丸い目で見た。
拾い上げて、じっと見つめる。
ただのサインペンで描かれたそれ。粒のようにペンの先が集まって形と影を作っている。
目を惹きつけて離さない。
高杉は、すこし、妙に自分を横目で見た。え、と見返すが、淡白に煙草の灰を落とす指へ視線が逸れる。
少々けげんに思いつつも、また目を戻した。
・・・力だ。そこに物理的なものなんて存在しないのに、そう思った。
高杉って何なんだろう。
知りたい。見てたい。・・・・飽きられたく、ないな。


噛み付く。皮膚を削ぐほど歯を立てる。
そのまま血ごと引きずり出して、飲み込みんで、自分の肉の一部にしてやりたい。
お前のその奥の奥にひそんでるものを、俺に見せろよ。
いつもそんな風にして、土方は高杉を求める。
「毎度毎度、すごい噛み痕だよなァ、お前のソレ」
上半身裸の高杉を土方はどこか呆れた目で見た。
「てめーな、どこの誰がしたんだよ」
まるで動物に食おうとされたみたいだ。自分にも毎回同じだけのそれが付いてるが。
ソファーで髪をぐしゃぐしゃやっていたタオルを放る。
「なァ、高杉、映画行かねェ?」
バスタオルを頭から垂らせた高杉は、すこし意外な顔をした。
そういえば、俺からどこかに行きたいと言ったのは初めてかもしれない。
自分でもちょっと驚いて、耳をかいた。
「何観んだ」
「いやまァ・・・アニメだけどよ」
「行かねェ」
即答かよ。
「じゃ、フランス映画祭。近くでやってんだろ?」
「・・・・アレか」
坂田がバイトでいなかったので、シーマは高杉が運転した。本当に面倒そうだった。 くわえ煙草から煙を立ち昇らせて、終始眉を寄せている。 信号待ちの間に、フィルターぎりぎりのそれを指で口端にくわえ直す。 そのままハンドルを切る様子は俳優みたいに格好いいが、乱暴だった。
生活にかかってこようがやりたくないことはやりたくない、好きなことだけしてたいタイプだ。今は坂田がそのやりたくないことを担っている。 たぶん、昔から。
「アンタってさ、年上にモテるだろ」
「興味ねェよ」
そう言い切って、速いバックで駐車場に車を入れた。そんなとこだけ天才的だ。
先立って歩いていく高杉は細身のジーンズが綺麗で、客観的に見ても人目を惹く。振り返ると、黒髪と一緒に凶暴ですらある色気が揺れる。
つい、ぼう、と見つめた。
「おい、見とれるか今更」
「仕方ねェだろ、強烈だよお前」
・・・いつ、見納めになるかもわかんねェし。
映画は難解だった。最後の長いワンカットシーンが印象的だった。強い言葉もシーンもないのに、静かに圧倒された。
「・・・すげェ映画」
呟くように言うと、
「そうだな」
高杉が、意味もなくチケットをビリと破った。
こういう刺激はいい。感性の細い穴たちが、カッと開いてそれを取り込み咀嚼し何かを生み出したそうにしてうずいてくる。
高杉が一緒ならなお更だ。人の目も気にせずその唇を噛むと、血が出るくらい噛み返された。 痛ッ、何だよ・・・・何か、朝から変だこいつ・・・・・・あ、降りてくる。
「帰りも運転か・・・面倒くせェな。銀時に電車で来させるか」
「あああ、な、高杉、ペンか何か持ってねェ」
「ねェよ。買えよ」
劇場のグッズとして売られていたその太いボールペンで、土方はチケットの裏にコードをつづった。
スペースが足りない。
結局、劇場があった4階から降りてロフトでノートを買ってもらった。
車まで待てずに、しゃがみこんで、床に開いたノートに走り書きする。
高杉が向かいでそれを黙って見ながら、時々ひどく眉を寄せることには気づかなかった。
「ちょちょちょ、ちょーちょーお前ら何してんのォォ?! どこの砂場の幼稚園児ィ! 早く立ってェェ!」
坂田が自分たちを見つけて慌てて引っ張りあげ、何事かと店員が3人がかりで恐い顔して駆け寄ってくるのにちょっとびびるまで、長い間そうしていた。


高杉をマンションまで送って、行きたいところがある、という土方に坂田はシーマのまま付き合った。
途中の信号待ちの間に、土方を引き寄せ唇を舐めた。
舌を絡ませると、車内に音が響く。
「・・・・ッ、ふ・・」
高杉の車でそんなことをしている、という事実に血が沸き立つ。
髪を掴んだまま、まぶたの下から土方の瞳を見つめた。その空気に押されたような土方の目が戸惑う。その下唇を舌でなぞると、震える息を感じた。 青が目のはしに入って、髪からするりと手を離しアクセルを踏む。
「・・・ったく・・・・」
席に手をついて座りなおした土方が、ふと何かに触れたように助手席からそれを拾い上げた。
黒くて長い髪の毛だ。
「ああ、たぶん大学のピアノの人だろ。すげーいい女。高杉のことかなり気に入ってるみたいだし、ヤってんじゃねェ? 飲み会行ってた時もさ。案外あれ、セックス疲れだったんじゃねェの」
出て行く前も後も、あんだけ土方に迫られて結局しなかったし。いつもの調子でそう喋った。
「・・・ふーん」
さして気にした様子は見せなかったが、後から思えばこのタイミングが悪かった、と思う。
土方は、「ピアノ弾きてェんだよ」とノートをめくっている。一秒でも時間が惜しいように少し下を足で叩いていた。ということは、例の知り合いのとこだろうか。
「あ、そこ右・・・・・ああそこ」
「へいへい〜気分次第で待っててやるよ」
店が並んでいる道路わきに車を停めて、窓を開け外の土方に言った。
角に洒落たコーヒー屋がある。

「あー! 土方さんー!」

そのドアが開いたかと思うと、急に大きな声が聞こえてつい目を開いた。
自分の全然知らない声が、土方の名前を呼んでる。

「山崎、てめェうるせー」

土方が、自分と高杉以外の名前を口にするのを、初めて、聞いた。
その声色には、結構長いこと呼んできたような古さがあった。
土方には、どこか過去なんてないような気がしていた。普段はいつでもそんな雰囲気をしている男だ。そんな風に呼べる奴なんかいない、天涯孤独の身に見えていた。 本当に人と繋がりがあったのか・・・と、意外に、そして、暗く思う。
「はー、もう、今度はどこいたんですか」
息をついて、そういう男。
肩にすこしかかる程度の黒髪。ちょっとたれ目。白いシャツに黒エプロン。全体的に地味な感じ。
ぜんぜん、たいした奴じゃない。
上から下まで観察して、はん、と鼻をならした。
「まだここでバイトしてんのか」
「そりゃァ、変えられませんよ、アンタがふらふらするから・・・・あいだッ!」
「家は」
「だから、引っ越したんです」
「ああ? どこにだよ」
「えーと、こっからだとちょっと遠いんですけど・・・・・てか、アレですか? 今の相手」
窓に腕を置いて顔を出してるこっちを、その山崎とやらが見る。
アレとな。
「あーまァ、同居人1号」
俺は鉄人か。
「1って、まさか2もいるんじゃ」
「とにかく乗れよ。家まで案内しろ」
土方がまるで自分の車みたいに顎で指すと、
「えっあ、はい! あ、ちょっと待ってて下さい!」
山崎がひるがえすように店の中へ戻っていく。俺の意向は完全無視かよ。
「誰、アレ」
「後輩だよ」
「ふーん、ジミーと名づけてやる」
喋っている内に、パーカーを頭からかぶりながら走ってきた山崎が、失礼しまーす、と後部座席に乗ってきた。
・・・なかなかふてぶてしいヤツだな。土方が怪我でも負ってるかのような目をして。初対面の俺への遠慮なんかより、 彼しか見えてない。
道順を聞いて、土方と顔を合わせた。ほとんどうちの方向だった。
そのいくつか手前で曲がって、すこし坂をあがる。割と小奇麗なアパートがあった。
誘われるがままに、車を停めて、二人の後から階段を登った。
「今回はなかなか連絡ないから、心配してましたよ」
「ホテル住まいん時も来てたろ」
「あれきりじゃないですか」
「・・・総悟は」
「ちゃんとバイオリンやってますよ。コンクールには興味ねェって先生泣かせてます」
「へえ。ま、あいつはアレしかねェからな。バカだし」
自分の知らない台詞がたくさん出てくる。土方のフンと、煙たそうに、でも柔らかそうに、すこし細めた目や口元も。

「どうぞ」
開けられた部屋の中では、まず一番にピアノが目についた。
決して大きくない部屋の中で、ずん、と存在を主張していた。 おかげで他の家具が狭苦しそうにしている。ピアノのスペースのためか、ほとんどなかったが。これで山崎がピアノを弾かない男で土方のためだけに それを保っているのなら、ずいぶんと献身的な奴だ。
「ちょうど、こないだ調律に来てもらったばっかなんです」
土方が、そう、とそのピアノに触れた。坂田も横からそれを見る。
背が高いずっしりとしたソファーのような黒い台に、黄ばんだ鍵盤。
金色のメーカーの名前は薄れていた。
その全部がどこか優しくて物悲しくて、懐かしい匂いをさせていた。
土方の指が重さや音を確かめるように、単音を奏で、そのまま曲を弾き出した。わざと外すリズム、大きく飛ぶ音、軽く早弾きが入ったかと思うと、重たい和音が せりあがってくる。それが繋がると一つのメロディーの川になる。
「へー今の何て曲?」
「題名はつけてねェ。気分で変わるし」
「・・・・・えっ、まさかお前が作ったとか言うんじゃないよね」
「あ? んなびっくりすることじゃねェだろ」
びっくりすることだ。少なくとも坂田にとっては。ぽかんと口を開けている自分に山崎が笑った。
「・・・やっぱ、いいコレ。放ったらかしにしとくのも勿体ねェな」
「土方さんのなんですから、好きにしたらいいのに」
「つっても、でけェからなァ。山崎、何が聞きてェ」
山崎が、「えーと、じゃあ、ミスティ」と嬉しそうに土方がピアノ前に座っている光景を見る。
滑らかな指先が音楽を生み出す。
土方は、前からすこしひらめいている曲があるらしかった。ミスティが終わると、一人でピアノを弾いては、止め、弾いては、止め、しっくりくるフレーズを考えている。
「あの、坂田さん、ちょっと」
「何だい、ジミー」
山崎によばれて、部屋の外に出た。アパートのろう下に背を預ける。
「これからどうするんですか?」
「んー何、どういう意味?」
「一緒に暮らしていく気ですか、土方さんと」
「さァ。先のことなんてわかんねェよ。うちにはもう一人同居人もいるし」
えっじゃ本当に、と目を開いた山崎がこちらを見た。
「言っとくけど、土方連れてきたのはそっちだからね。結構気に入ってるみたいよ。お互い」
「・・・・・・・・・」
目の前の男は黙って、家のドアを振り返り、閉じていた口を開こうとして、もう一度閉じる。
「・・・・土方さんがこんだけ俺のとこに来ないの、初めてですよ。 たぶん、そちらのことを気に入ってるからだと思うんですけど。でもやっぱり、無茶を強いられてないか心配です」
「もし、してたら? どうすんの? お前って、土方の何?」
鼻で笑ったとたん、山崎は地味な印象からは想像つかないほどの静かな光でこちらを見据えた。
「俺はあなた達みたいに、土方さんをそんな目で見てないんですよ。ただ、時々支えになれたらそれでいい、本当にそれだけです」
「・・・・・・」
「俺の連絡先知らせときますね。あの人携帯持たないでしょう。何か、あったら」
そう言って、山崎は用意していたらしい紙切れをこちらに渡した。
ドアノブを握ろうとする彼を呼び止める。
「あー・・・1つだけ聞きたいんだけどさ。あいつって、高校ん時、何かあったの」
山崎は、思い出すように目を伏せた。
「友人を亡くして・・・全員いっぺんに・・・土方さんだけ・・・あの人、あれから何かに憑かれたように弾くんですよね」
部屋に入ると、曲は諦めたのか一時休憩なのか、スタンド・バイ・ミーが弾かれていた。
優しく、切なく、スロウに。強弱をつけてその指が奏でる。
スタンド・バイ・ミー
スタンド・バイ・ミー
そばにいて。
隣にいて。
俺の、そばにいて。
「・・・・・・・」
何ともいえない思いがじわり湧きあがった。自分の中の何かをきゅうと掴んで離さない。

車に乗った瞬間、土方の後頭部をこちらに引いて、唇を寄せた。
耳を手でなぞり、下唇を軽く噛む。
舌は入れずに、ただ、食む。
いきなりのことにびっくりしていた土方は、まぶたを薄めて唇の動きを返してきた。
まるで恋人同士みたいなキスだった。
土方のことが、すこし分かった気がしたのだ。
分かってやりたいとも、確かに、感じた。
もしかしたら、高杉とは別の方向で、自分と土方は上手くいくんじゃないかとすら、その時は、思った。