「ライバルいるほうが、燃えるたちなの」
まったく自分勝手で理解のできない理由と一緒に、薬の箱を2つ、眼鏡女に手に無理矢理握らされた。
なんだこれ。
「銀さんには押すしかしないくらいが、ちょうどいいのよ」
お前、それで失敗してるじゃねえか。
背中を押されながら、オレンジの線が目立つ箱をそれぞれじ、と見る。
咳・鼻・喉に。と、生理痛・・・・
生理痛?
「さあ、がんばって。どうせ片思いなんだから」
うるせえんだよ。悪いかよ。やめろその女子高生みたいな恥ずかしい言葉
思いながら、ただ開口一番何て言おうかばかりを考えている。
部屋に行ったら、がちゃりと出てくるだろう銀髪に。
こんな薬の箱で、理由を与えられて。

「・・・風邪か。馬鹿でもひくんだな」

こういうとき、口実と言い訳の違いがどこにあるのか、よく、わからなくなる。





チャイムをおす。
昼の2時。明るくてのん気な外の色。高い子供の声なんかが、反響して聞こえている。
ピンポーンン、と余韻のひく時間に足元がおちつかない。早く出ろ。
「・・・・あー土方、ほんとにきた・・・電話あったよ」
がちゃりとドアが開いて、銀髪がのぞいた。 間から人の部屋のあたたかい空気が流れ出て、白い通路の辺りにもれる。
ちょっといきなりすぎて、準備していた喉をつばと一緒につめた。
「ん、どしたの」
「・・・いや、」
・・・はい、とか、誰、とかねえのかよ。インターホンの通話口をみていた、俺の立場は。
こちらの足あたりから見上げるようにあがったその顔に、知らずまぶしそうに両目を細めてしまい今更なことでもななめへそらした。
自分の前で、ドアに沿って坂田の腕がこっちに伸びている。
すぐそこにある近い服の気配の周りで、体温が漂っているのがわかる。
電話って、あいつ、お節介だな。 突っ立ったまま、頭の中をよぎる水色の髪にぼんやりした。
坂田の、ず、と鼻をすする音が聞こえる。
「それ、薬?」
「ああ」
「まあ、じゃあ、あがる?」
「ああ」

ああしかいってねえよ、笑って、玄関で中に戻っていく頭。
こちらがはしを手で押さえられるように、ドアをすべって腕が奥にいく。
玄関には、人ん家のそこらしく、 知らない色のスニーカーが並んでいた。目の前の坂田の柔らかそうな服のしわをみながら、居間に入って、 間取りが同じだな、当たり前すぎることをかんがえていた、目をすこし見張る。
「散らかってっけど。まーこんなもんだよな」
人を家にあげるときに使う妥当な坂田の言葉は、ただの真実だった。
ベッドの横がティッシュの海になっている。 ゴミ袋がゴミ箱代わりってどうなんだ。漫画のあいだに漫画をはさんでしおりにしてあるのがすごい。 適当にしてー、それをぐじゃばき踏みながら台所にいく坂田。 テレビの横にジャンプが積まれてタワーになっているのを見ながら、別の意味で落ち着かないままローテーブルの前に座る。 しわくちゃな布団が乗っているベッドにぼうと目をやって、馬鹿か!机に額を打ちつけた。

「お茶って2日くらい大丈夫だよな。うん大丈夫さ、銀ちゃん」
一人芝居がぼそぼそ聞こえて、カチャ、クイン、と物のぶつかる音。

それから、くつ下で近づく、こもった床の音。

「よっと。茶葉すくねーから、ちょっとうすいけど」

ガタ、と戻ってきた坂田の足で机がゆれる。

近い

とたんに、すべての肌に閉じ込められたみたいな自分の体の内を、ひどく意識した。
坂田のいる左側の産毛が、静電気でされたように逆立ちそうだ。
あの女の嫌味な顔がふ、と浮かぶ。
畜生何とでも言え。頭が勝手に好きなんだよ。・・・・仕方ねえだろ。
「はい、コップ、はい、俺のコップ、と。いきなりで悪いけど飲むからね、飲むよ俺は」 宣言しなくていい
丸ごと置かれたやかん。
中身の茶を飲み干すためだんだんそって上下する浮き出た喉仏に、つい視線をやった。
気づかれないよう額にあてて、静かに腕をつく。
落ちた前髪の影の中から、みる。
「ッはー・・・んか、もう、すんごい喉かわいてさァ・・・ヘゴ、ゴフ」
視線に気づいているのか気づいていないのか、坂田はこちらの気持ちだけはおそらく絶対に、知っていた。
それでいて、すこしだけ仲のよいアパートの住人同士として、接している。
こうして簡単に家にあげて、何でもないみたいに近くで座る。
それでよかった。
それに従う以外、とくに何も、できないので、ただの風邪の様子を見に来た連れでいる。それでいい ・・・よくねえけど。まあ、いい
「あー俺、病気なんじゃねえかな・・・」
「ああ」
「ズ、いや、風邪なんだよ。つっこめよ」
「飲まねえと、脱水症状、でるぞ」
「そういうとこだけおどかすなよ・・・・あれ、生理痛ってなに」
「・・・しまった」 頭をかかえる
「しまったって、まさかお前の薬?」 なに真面目に聞いてんだ
「ちがう」
「あーそう、まあいーへぼね」 きゅうに鼻声
ティッシュを鼻にあてて、箱を裏返して、しんどそうなまぶたの下で説明書きを読んでいる。
どうでもいいけどなんで生理痛の方なんだ。読んでどうする
「・・・・・」
「・・・・・」
会話がなくなると、とても静かだった。
ブオオン、と空調の風が額にきて、どちらの前髪も揺らした。きゃおわおわお、としか聞こえない誰かの声がベランダの閉まった窓の外でしている。 おもえば互いに酒の入っていない素面で部屋に一緒にいるのなんて、初めてだ。自分達には飲む くらいしか用がなく、あとはアパートの通路でたまに会う、くらいで。
密閉された、部屋の空気。・・・そういやさー、無言の間をひいて、坂田がいう。
「2階の部屋も、トイレの段差ってある」
「ある」
「慣れたと思ったのに、足ぶつけた。今日。何に怒ればいいかわかんなくてさードア思いきり閉めたら、鍵壊れたんだけど」
「・・・・・」
「だっておかしくね? 鍵とあの閉まる、かちゃってなるとこ、別じゃねッゲフ、ゴホゴハッ」 馬鹿、テンションあげるな。くだらねえことで
「・・・落ち着け」
「はー。まァ、あとで確かめてみて」
涙目。さすってやろうかと出しかけた手は出ないまま、人指し指と中指のあいだを開けて、机の上にあり、 そこにはさまれているべきいつもの物がないと、とても手持ち無沙汰だった。

とりあえず、看病としてしてやったことは、月並みにその手で林檎をむいたことだ。
・・・いびつだ、と素の感想をもらした坂田は3切れ食べた。フォークから折れた半分を一度こぼした。きたねえ
「テレビとかなんか、ゲホ、やってんのかな」
「昼だしな・・・」
つけて、ふたりでちょっとしーんと黙ってみて、しょーもねーとハモってすぐに消した。こんなときに、ケーブル入ろうかな、いやでも金が、と心に悪い悩み事をうんうんつぶやいていた 頭をしっかりしろよ、という意味ではたいて薬を飲むのを見届けた。口から垂れた水の落ちた服を、ぬぐおうとしてやめた。

「ゲホ、ゲフ」
咳の口に当てて置かれる、近い坂田の指の骨は、丸い先から長細く肌の下で通っている。
それをぼうとした目でみる。
明るい昼間の、あたたかい空気。
肩や腕を掴まれたりしたら、おそらく逃れられないくらい力強い。そういう筋の線をしている、と思う。
思って、そんな勝手な想像にすこし頭を落とした。
こんなとき自分がこわい。ちょっと帰りたくなった。何してんだ、俺。こうしてて何がどうなるっていうんだ。おしかけて居座って、 げほ、と鳴る息や喉を裏のある目で見ているだけだ。坂田の部屋の匂いや近い体が苦しいようで心地よく、夜一人になればただの自己嫌悪が待っているだけだ。
よし、我に返れ。
さっさと帰った方が、きっと、あとあと、いろいろ、いい。
あー坂田、ちら。両手をついて腰を上げながら坂田をみると、頭が転がった西瓜のように机にのっている。あれ大丈夫かこいつ
「あー・・・・ちょ・・・やべえ、無理かも。寝ていい」
「ああ寝てろよ。俺も、帰る。薬、持ってきただけだし」
「おかゆとか作ってくれねえの、おしかけといて」
「おしかけてって・・・つうか作れねえし・・・・」
「期待してない・・・・」
期待されてなかった。ああそう。
そうして布団に片手を置いたところで力尽きてしまったのか、ついに動かなくなった坂田を、 帰るついでに歩いていって、控えめにのぞきこんだ。
「うー」坂田がうなる。つらそうな息が熱い。考えないようにして、脇の下から持ち上げる。・・・体温高えな。風邪だからか。 初めの頃も酔いつぶれた体をこうして、よく運んだ。 あの頃はまだ、寝てみたいと、今までの相手にそう抱いてきたように、脳はただ欲望に直結していたはずだった。 襟にかかったはねた髪の毛とか、そこを指でかく癖とか、笑ったときの眉とか、ましてや先のことなんか、どうだってよかった。
ほんと、よかった。
「げ・・・」
ベットの上に落とそうとして、足がよろける。これで寝かせてしまえば仕事が終わるはずだったのに、 思ったよりも本人に立つ意志のない体重は重く、ぼふ、と坂田の体が上から落ちてきた。
まずい。これはまずい。密着している。すごくまずい。 どくどくと血が鳴る。
自分の体の全部が、坂田の体にくっついている。


髪。
息。体温。
感触。


「襲わないでね・・・・」

急に耳にはいる言葉。
瞬間ひやりと全身の肌が裸で外に放り出されたみたいにして、くりだった。そんなつもり、あるわけが、ない。 そんな言葉はまったくの冗談で、体が近いのにそれでも冗談だからこそ、逆に。
襲うかバカ! 言えばいい。それから、すこし笑えば、ただそれでよかった。
坂田だってそのつもりだ。
わかっているから、そうしようとした。でも、失敗した。
思わず、か、と赤くなって反射的に腕の服で口元をおさえた。
まゆを寄せて目をそらす。
ああ最悪だ。
気づかれていたって、そんな正直な態度みせたこと、なかったのに。そう努めていたのに。
顔の肌が痛い。

上にいる坂田がまぶたをすこし開いて、だんだん事態を理解して、声もなく唇を半開きにする。
ごめん
謝んな馬鹿。ぐ、と目を閉じる。
「土方」
「んだよ」
「ちょ、目ェ開けて。大丈夫だから」 なにが
「うるせえ」
「いいから」
何もよくない。
こちらの固くしていた手首を離すことをあきらめた坂田の 腕が、頭の横にまわって優しい力で抱きしめられる。それから2回、軽くたたかれた。ぽんぽん。あやすみたいに。耳に、やけにすべすべとした耳肌があたる。
何だそれ。子供じゃねえんだよ。俺赤ん坊かよ。 急に入っていた力がしぼんで抜け、はァと喉をそらせてシーツの上に頭をおとした。
じゃあ、何期待してたっていうんだ。 押し倒されて、風邪、うつるようなことか。馬鹿馬鹿しい。
「土方」
耳の近くで聞く自分の名前にぞくっときた。首から背中にかけて骨に響く。髪まで梳かれてますます子供みたいだ。
やめろよ、今、そんな手つき。
「銀さんのこと大好き!って一回素直に言ってみる?」
この阿呆・・・・・・
「・・・言って、どうにかなるのかよ」
喉がかすれて、ああしまったと思った。 筋肉が止まって、ふざけたことを後悔している坂田の空気がわかる。
人の服の におい
坂田のその柔らかい肩の服にあたった髪の下で、くちびるの隙間を閉じる。
好きで悪いか。
いちいち喉をつまらせて馬鹿みたいに。
ただの普通の距離と普通の関係で 思われていないこともわかってるのに
その中の、お前の、一挙一動にどうにかなりそうなんだよ

どうにかしろよ。どうにかされたいんだよ
切実に お前に

体温が離れて、じ、と見られている。なんでそこでガン見なんですか。意地でも目を開けなかった。
「・・・お前、もてるだろ」
急に声のトーンが変わって、真面目なような今気づいたみたいなそれで坂田が言う。
なんだそれは、当たり前だろう。 不自由なんかしたことが、ない。色目を送って返ってくれば寝るまで早い。それでよかったし、俺なんてそんなもんだ。 だから、こんなのは、可笑しい。心底可笑しくて、可笑しいのにぜんぜん笑えないのが可笑しいんだろうが。
「土方、あー、あのさ・・・」
体温が完全に自分の上からどこかへいく。どこかで残念がっているような自分は、どこまでも救いようがないとおもった。 坂田のその真面目で離れた呼び声が、だいたいの次を予想させて、目線が落ちた。 目をあげると、ごろり壁の方へ転がった背中。 すうすうする部屋の空気を感じながら、広いな、ぼんやり考えている。
「なんつーか・・・ごめん」
背を向けたまま、ぽつりと浮く坂田の、言葉。さっきよりも、ちゃんと口に出されたそれ。 小さく、軽さの含まれない、意味だけははっきりとした謝罪が胸を刺した。
『片思いなんだから』
ああ、そうだ。こっ恥ずかろうと何だろうと、結局はどうせ事実なんだよ。
それはひっくり返してみても、たたんで丸めたって、なんにもかわらない


起き上がって、ちゃんと布団をかけてやって(やさしい俺)、ひとりドアを出て。
廊下を歩いているときに奴から電話があって、薬代を払えというので、あいつに出してもらえといって、切った。
トイレのドアを確認するのは、忘れた。まあ、たぶんあいつが馬鹿力なだけだと、知りもしないのに部屋でぼんやりあの手を思い出し、懲りないな、呆れて 片手で額をおおう。
だって、じゃあ、急に、すっぱりやめられるか。
だったら、とっくの昔にそうしている。そうしたい
一人になったとたん静かな波のように襲ってくる、こんな切なさなんか、知らなくていい。








2007年