ぼうとしている頭を起こして、冷えた汗の張りついている腕をあげて、額に手をあてて、熱の下がったことを確かめた。 病み上がりの足はふわふわと自分のものではないみたいで、布団をつかんだ握力がなくて、よろよろと水分を求めて台所にいった。
「・・・・・」
ちゃんと張った水につけられている小皿とフォーク。
三角コーナーにおかれたコンビニの袋の中に、林檎の皮。

かわいいと思うのは、嘘じゃない。



『銀さん。薬を買ったのは、あ・た・し』
着信が8つ。迷惑メールみたいな文面。変に焦点のゆがんでいる目をおもいきり見開いてみてぎゅうときつく閉じ、まばたきをしてから、こする。 とにかく、風呂だ。
肌にあたる熱い湯がなんとも快感。あ〜〜健康っていい。
「ぼくらの〜じ〜ゆーううを〜」
バスタオルでばさばさ髪を拭きながら、落ちていた下着を足先で持ち上げて洗面所の方へ蹴った。 なんかタバコ吸いてえな。そういや土方きてたんだ。あいつ置いてってねえかな。
目をやった机の上には薬の箱だけが乗っていて、周りには中身もゴミもなく、しっかりフタが閉められている。
見て、片手で拭いていた手の動きをゆるめた。5秒ほどそうして、また力を入れる。
ガシガシガシ。
何だろうな、あいつ。
ラーメンとかカツ丼とか食べるときはかきこむようにして男らしいのに、なんでそんなとこだけ 細かいんだ。血液型が気になる。
冷蔵庫を開けて、苺牛乳をとる。前髪から雫が足に続けて落ちてくるのが冷たい。
(土方、土方。土方、ね・・・)
考えて、歌がしぼむ。
とたんに、何やら、覚えのある男の欲が細い線みたいに体を通った。 今までちょっと、彼に、向けたことの、ない。
あれ見てから、ごろごろ寝返りをうつだけの暇な間、じつは何かそればっかりだった。
なんとなく、彼の座っていた場所をみた。
初めて会ったときから思っていたけど、あいつって、何か。なんていうか。
こう、会話のあいだの妙な間。
あれ、ほんと何考えてんのか、わかんねえ。かと思えば、いきなり、「脱水症状」。こええ。
薬の説明読んでた時も。俺、それが生理痛用の箱って気づいてなかったんだよ。 見てたんなら、言ってくれよ、と思う。文面で理解して恥ずかしくなって、出た話が、トイレのドアだよ。馬鹿だよ俺。咳き込んでるし。
あとは、ケーブル入ろうかな〜て、つぶやいてただけなのに、きゅうに頭はたかれたからね。バシって。無言で。え、そこでつっこみ? みたいな。ちらとみれば、あいつはいつもの顔、しているし。
無表情、というわけではないんだろうけど。なんか読めない。
そういう男だ。
・・・少なくとも、自分にとっては。
常に。いつだって そうだった はずだ

タオルを頭の両横にたらせたまま、宙をみる。

「・・・・・」

そのはしを手でつかんで、鼻の頭をぬぐった。ず、といわせる。


・・・あれって、

あいつ、

染まった顔 ちょっと、予想しない

初めてみた
すごく感情を語った眉と目と表情と、消えてしまいたがってそうな
とにかくその場を何とか切り抜けたいだろうと勝手に気きかせたつもりで、馬鹿じゃねえの、とか、誰がお前みたいな、とか、軽く否定しやすいように

言って、どうにかなるのかよ

あれって、酷なこと、したんだろうか

そんで、
何か言わねーと、と思って、ふと。
散った前髪の間に見える、いつも隠れている額。肌に映える髪と一緒の黒いまつ毛。すこしだけ力を入れて閉じているくちびるの隙間の影。 絶対人にみせないだろう辛さを目の前で漂わせられて、でも頑として目を開けないところが頑固で。
こいつ、きれいだなと思った。
腹の下あたりから、うず、ときた。例のアレ。しんどさが限界で、倒れたけど。
1日たって、理解したのは、ただの性欲。だから、土方についてあれから考えてんのはそればっかり。
これで、抱け、とかいわれたら、たぶん抱く。ていうか、抱きたい。
・・・・抱かせてくんねーかな
どうするかな。あいつ。大人しく、されるんだろうか
こんなことだけ思い出して考えられてんの、知らねえだろうな。そんな目でみたことなんか一度もなかったのに、 こういうのって、何がきっかけになるかわかんねえんだよ
ガシガシガシ・・・・・
けど、そういう目でみれることは別として、好きでもないのにそんな位置におとしめるには、土方はもったいない。
うん。

ひとり頷いて、牛乳を飲む。
まだ味覚があまり戻っていない奥を通る液体で、喉が鳴っているのが自分で聞こえる。
そういえば、台所の片付けや薬のふたみたいな、おしつけがましくないすこしの几帳面さに似た視線で、見られていた。今考えてみたら、 あれ、そそるとおもう
ガン!
思わず、冷蔵庫のドアを裸足で蹴る。違うから。もういいからその話は。ベッドで下に敷いたりしたから悪いんだ。その上初めて、 あんな、泣かせたくなる、顔、されて。俺がSっ気あるって知ってんのかよ
指の痛みに手ですがって、裸だった上半身に服を着せて、頭を出す。そういえば腹が減っていた。 もう昼過ぎだ。うどんとかそばが食べたい。・・・土方誘うかな。礼をかねて。おごらねえけど。一昨日のこと、気にしてるかもしれないし。
いやだから、やましい気持ちは、ないから。(・・・たぶん) そういうんじゃ、ほんと、ないから。(・・・や、うそかも)
説得力のない言い訳しながら、ばさ、とタオルをベッドの方に放って、ちょっと探したら机の奥に転がっていた携帯に手を伸ばした。



「・・・何してんだ、その右手」
「首と腕ちがえたんだよ。お前のせいだよ」
「雨降ってんぞ」
アパートの下に降りてきた土方を横目に、さっき机の下でちがえた腕を縦にぶんぶん回す。 土方はいつものバランスのいい全身で、階段の最後の一段に折った後ろ足を残して地についている。
さっそく、つい、その、腰をみた。
ラインに沿った生地のうすい服。手の平をあてたら肌とか骨の感触がすぐそこのような。
これがあんとき自分の下にあったのか。惜っしいな。なんで風邪なんかひいてたんだ
「・・・・」
下あたりに曲げた首を、手でおさえる。
実際、昨日までは頭の中だけにあった土方の体を目の前にして、普段そんなの普通にみていたくせに勝手に確かにむらむらとわきあがる欲
(まずいな。)やりたいと強く刺激されたとたんそれしか、考えられなくなる。
目をそらして、濡れている地面へやった。確かに、まだ昼なのに薄暗いあたりは雨だったけど、待っていた反論はとくに返ってこない。
「あんさー昨日の、じゃなくて、おとといのことは」
「・・・・」 うわー息しろよ 大丈夫だから
「いや、悪かったな、なんか薬とか。元気なったよ」
「・・・ああ」 耳の裏なんか、かいている
「・・・ああ」
「なんだよ」
「いや、真似してみただけ」
「似てねえよ」
「いーや、そういうのって、自分じゃわかんねんだ。似てたね絶対」
土方の納得のいかなそうな顔。 目で伺って、ふ、と雨の中で石けんの香りが鼻をつく。
ちょっとくんくん頭だけを近づけたら、きゅうに、パン、と土方の傘が目の前で開いて、おもわず避けた。ぶねー
「あ、いや、悪い」
「え、いや、あーうん」
なんか、へんな空気。
「・・・・・」
土方は自分の近くにいる時はいつもこんなかんじで、それを漂わせていた。もうだいぶ前から、気づいてわかっている。 地面についた傘の持ち手を意味もなくまわす。
あっちはなに意識されてんのか、わかってねえだろうな。あーその手ェひっぱって、そのまま家に連れ込んで その腰とか、触って、 俺にこういうことされたかったんだろう みたいな そういうことしてえな。て、考えてんですけど
後ろの土方の足音と気配。
そんな慣れたいつものことに我にかえると、ものすごく後ろめたくて虚しい気持ちにサァと包まれた。ちょっと早足に雨の歩道を進む。 本格的にまずい。自分の頭がまずい。何とかなんねェかな、これ。

「お前、あんまり食欲、戻ってねえんじゃねェのか」
顔の前で独り占めして立てていたメニューから、目を出して、土方をみる。あんがいうどん屋似合うなこいつ。平日の昼間は背広の人や お年寄りや子供なんかがいて、満席とはいかずともなかなか賑わっていた。そうか、全国の学校は長期休みの途中だ。
「土方って、大学だっけ」
「ん? ああ」
「なに、眠そうじゃねえ。夜遅かった」
「飲んでた。連れと。帰ったの5時」
いって、片目のあたりに手をあてて、だるそうに肘をつく。ああ、その気だるさすごくわかるけど、その息が・・・
「お前は、風邪でここんとこ飲んでねんだろ」
「うん、色っぽいよね・・・」
「・・・・・・」
「お! いしくねえんだよ、そうそうそうそう鼻詰まってると味よくわく、わかんねェし」 やべえ間違えた
月見うどんがくると土方は、いちばん初めに卵をつぶした。汁の中に戻すより先に黄身のついた箸を口に入れる様子をぼんやりみる。
下くちびるの内側に黄色がついている。そそる
普通にただ飯食ってるだけなのに、なんでも欲望に結びつく。なんで俺って、こんな馬鹿。なんか止まらない。 うー、テーブルの下、靴の中であがる自分の指を足でおさえて踏む。駄目だっつうのに。 土方の舌がそこをなめる。あーあれ、まずい。これ、いよいよまずい。
すごく、したい、こいつと
肌を味わっていい顔をみて自分の下で喉そらさせたい。
本人を前にリアルにかんがえてしまって、無心になるつもりで自分もさっさと卵をつぶしてかき回していると、 前からくる視線に、なに、と目をあげた。いわく、行儀が悪いらしい。うそ、俺とお前とどう違うんだ。こういうとこわかんねえ。

「お前、なんで、そんなピンクの傘なんだ」
「レンタル屋の傘置きから拝借したの。え!なにその目。だって、こんなのどうせ500円だぜー。いや俺なら、怒るけどな・・・500円」
「・・・お前には罪の意識がねえのか」
「お前、人のチャリ勝手に乗ってったこととかねえの」
「拝借した」
「な」
土方が強い雨のあたる傘の中で、ちょっと笑う気配がする。 自分のを曲げてのぞきこもうとしたら、電柱にひっかかってだいぶ濡れた。 アパート下の自転車が並んでいるちゃちな屋根の下に着いて、二人ではらう。
初めて会ったときもこんな感じだった。雨の日のここで、こんちは、会釈すると、女も男も惹きそうな目元があがって、頭をひとつも動かさずに、どうもといわれた。 腹立つくらい素っ気無いのに、やけに耳にくる声。・・・なかせてみたら
「・・・・・・」
前で階段に足をかける体をみる。
やめとけ、頭がいっているのに目はしっかりそこから離れない。
濡れた服のすいついた腕の肌の色が、薄くみえていた。
雨水で艶を反射する黒髪。
ぜんぶがゆらゆらしている光みたいな。

唾をのむ。

「・・・なァ、うち、寄ってく?」

あーやめとけっつうのに。一度意識し始めたら寝るまで止められないんですごめんなさい
土方が、間をおいて、振り向く。
「いや、飲もうかとおもって。どう」

・・・ああ。いつもの返事で土方がいう。

断れよ。アホ。
思っておいて、その、すこしすけた肩と腰にまた目をやった。
あ、だめだ。この、強烈な感覚。
そのまま階段をあがっていく。
今までご近所の関係として接しておいて、気づいてないふりして、そのくせ急に勝手に欲情して、
好きだとかそんな誠実さは皆無のまま、土方の気持ちをしっていながら、したいからする
そういうのって、最低っていわれんのかな




げ、開いてた。鍵を差し込んで開かなかったドアをもう一回、回してノブをひく。無用心だな。土方が言っている。 先に入ってドアを腕でおさえ、土方の体がこちらに入ってくるのを待った。

がちゃん。

とたんに濃い空気が満ちる。
すぐに、もう片方の腕を閉まったそこについて、土方の体をその間に入れた。 早くしたいせいで、ばん、とちょっと大きな音がした。
近くで、こちらの胸あたりをみて、顔へあがった目と合う。体温のわかりそうな距離。
この目と、雰囲気で、俺が何したいかわかるだろ。
案の定、土方の喉のからから渇いているような緊張が伝わった。
自分がまだしたことのない相手との、こういう時の肌をさすような予感は好きだ。 頭は急いているからそれ以上時間もとらずに、開けた口の中からすこし舌先をだして、近づける。
・・・カリ、とドアで爪の音がして、そのまま、やがて、従順におずおずと開いたその中へ性急に舌を絡めた。散々悶々して、キスを 受け入れられた瞬間、肺の底から深い息が出る。そうしながら、服の下からつうと指を入れた。
目を開けると、まゆを寄せて息づまりそうに細めている目が、ぼやけてみえた。
こいつにしてみたら、なんにも言われず、唐突にこんなことになって、何考えてんだろう。
押し返しもせず。されるがままに。
な、して、いい?
すでに欲情してあがっているみたいな自分の呼吸が余裕なく。 抵抗がないのをわかっていて、熱く低い声で耳にささやいた。肩がすこし揺れるのが、わかる。
好きな自分に触れられて、どうにもできない土方
そんなの、考えるだけでぞくぞく背中が震える。
んっ・・・
首に吸いつくと、閉じた口の中で聞いたことのない声を出した土方の肩を押し倒した。
(お前には罪の意識がねえのか)
ある。それはたぶん未来にある 終わってしまえばたぶん後悔するんだろうと思う。
額の汗。服の擦れる音と。
上から見下ろした、早く一度いった土方は目をそらすように天井へ向けた。それから、また息を飲むようにつめる。
その口を自分のために片手でふさげば、土方は一瞬見開いた目をきつく閉じて、手の裏側でこもった声をたてる
ああ、欲望を抱いていた相手を望みどおりにこうする、鳥肌たつような満足感
なんて簡単で、なんてずるい。
お前が俺のことを好きなのを知っていて、 それをいいことに自分の性欲を受け入れさせている。
その状況につま先から頭のてっぺんまで性癖による快感でふるえている。
ひどく自分勝手な行為。

・・・林檎、剥いてくれてさ。顔を赤くさせたこと、そんなことに困るくらい。
言って、どうにかなるかって、切実そうな声で。そんなお前をこんな風にして
ただの強い性欲で

土方の、汚れた皺のある服をみる

ちょっと胸の隙間が痛んだ。
こんなの、一昨日看病に来たお前なんかに、まったく顔向けできない。
どんな表情、してたっけ。