和風の菓子折りとケーキの箱と、あと、湿布
呆けた口で傾いたタバコを指で持ち直して、ドアをおさえながら、坂田の両手にあるそれらを見た。
あれから3日、急に家を訪ねてきたかと思ったら、 そのレパートリーはまるでご近所への謝罪みたいだ。

まさか、

こいつ、

俺が怒ってるとでも思ってんだろうか



いったい、なぜに




「いや、一人で食えねえし・・・こんなの」
意図がわからず下手な返事ができない。湯で濡れた前髪を、タバコをはさんだままの小指で額の横にのけながら顔をみると、坂田は、 なにか、う、とつまった目をして、泳がせた。
妙だ。こいつって、こんな自分の何かに左右される奴だったか。逆は当たり前のようにしてあっても、それはない。
確かに、あれから初めて、普通の日常でこうして会ってみて。 これまでただの住人同士だった月日の分だけ、今更みせたことのない顔や声を知られたことに気恥ずかしい部分がないわけじゃないが。
そんなことで態度が変わるくらい純情でもないだろうに、と思う。
「いや! いや、俺これからバイトあるから」
「別に・・・誘ったわけじゃねえ」
「誘ッいや、うん、わかってる、わかってるってば、なんかすいません!」
頭を落として、箱持った両手をぶんぶん前に出されても困った。いよいよ変だ。
中でガサゴソガサッと鳴っている。ケーキ大丈夫か。
「とにかく、はいこれ。受け取って。あ、落ちるちゃんと持って」 指、あたる
「いや、つうか」
「つうか玄関出るときは服着た方がいいと思うんですよねー」
女の後輩みたいに後ろで腕をくんで、両足をかっくんさせている。読めないテンションだ。
「着てるだろ」
「前、閉めたほうがいいです」
「・・・あのよ、」
「あ、もう行かなきゃ! じゃあな!」
じゃあなって。何の説明もなしに、これ置いていくのかよ。湿布って何だ、と聞こうと思ったのに。
風のようにさっさと体をひるがえして階段を降りていく背中を見送り、通路の手すりをみてから、ドアを閉めた。 3つの箱を抱えたまま、つい首をかしげる。へんな奴。 冷蔵庫の中の缶ビールとタッパーの間に場所をつくって、ケーキの箱を入れる。そのまま考えている内に、つめたい冷気に我に返って閉めた。
シャツのボタンを上から閉じながら、菓子折りの和紙の、浮き出た白い繊維なんかの模様をみる。
なんなんだこれ。
あいつの、あの、下手にでているかんじ。合わせない目。
何か後ろめたいことでもあるような。俺、何かされたっけ
しかし、だって最後に会ったのは。

なんだ、まさか、あんときのことか?

「・・・っつ!」
灰と一緒に火が手に落ちて、振った。咄嗟に灰皿を探して、ゴン、とテーブルで足を打った。
ってェ、片膝に手をあてて、ちょっとしゃがむ。
3日前、靴を片方履いていたままだったせいで、すこしむけた、指の皮が見える。

あのとき、

なァ、うち、寄ってく

あいつ。自分でどんな目してたかわかってんだろうか。雨で濡れた銀髪の下から。
初めてそんな強い光で見られて、背骨からまっすぐ、ぞくりときた。
なんだか知らないが急に欲情したんだな、と理解して

玄関入ったとたん、横に、手をつかれて。
影と体が、
急にひどく近くて

その。指と息と声が 自分に、 むかって

すごく、せいていた。欲を持て余してどうにかしたそうに
そんな手や舌で触られ、
坂田の、とおもうだけで、喉が鳴った
すこし切ない目をしたかもしれない


いや、もういいが思い返すのは。
そりゃあ、俺だって、できるならしたい。
その先を望んでいることが、すきだと、まァそういうことなんだろうが、それが3日前のあれだけで与えられるとは元から思っていない。馬鹿じゃない。
あいつが今罪悪感を抱いているとするなら、だから、何に対してだろう。
強姦されたわけでもあるまいし。
あの後、シャワーを浴びていた時に、まだ浮いてるみたいな頭でぼうと思い返して、それからことある度に坂田の声とか感触が甦ってくるのには、まいるが。
もしかすると、ただ単に、やっべーやっちまった、みたいなノリかもしれなかった。
けど、

(こっちの気持ち、知ってるくせにな。あいつ。)

とりあえず菓子折りは裏のシールの賞味期限をみるとまだ日があったので置いておいた。ケーキは、 5つも入っていた上、ぜんぶチョコレートだったので食べる気もせず坂田の部屋の前に返しておいた。
せめて種類揃えろよと思う。




「あんた、飲んでばっかじゃないですかィ。他にやることねェのか大学生」
「お前、今何聞いてたんだ。だから、朝は休講で、」
「土方さん。男でもできやしたかィ」
「ていうか、お前何さぼってんの。戻れ」
「休憩でさァ」
暇をみて、みてやっている高校の部活。
エスカレーター式にすぐ近くの大学に入った卒業生がそういう面倒をみることは自分の代のときもあったので、頼まれると断れない。 出かけ間際の例の坂田の読めない言動のせいですこし遅刻した。
「ちょっと、満足してすっきりした顔してますぜ。運動のせいか何かは知りやせんけどね」
満足って。
坂田に関しては、寝るだけではそれを得られないだろうことは、だいぶ前に自覚した。
それでも、寝たこと自体については、風邪の日の時のような負の感情が、特にないことだけは確かだ。
「くそー・・・」
楽に指導だけするはずが、久々に汗をかいて、ちょっと疲れた。飲酒喫煙ばかりの毎日を改善するべきか。 こういうときだけ一瞬思うんだよな。 体育館の中からは、音とかけ声がもれている。いつ聞いても爽やかで懐かしいそれが不健康な生活の前にはまぶしくて、薄い空をあおぐ。
お前ら、ほんと会話噛みあってねえな
顧問の 声が後ろで通り過ぎた。相変わらずサンダルを履いているのか、足音が間抜けだった。
「土方さんが合わせないんでさァー!」
「いーから、戻れよお前は」
口横に片手をあてて向こうへむけている、 青春真っ只中の総悟の顔。
こいつこそ好きな女でもできたんじゃねェかな。茶色い髪が陽にあたってきらきらしている。
蹴ろうとしたら、素早く体をねじりながら中へ戻っていくのを見届けて、ポケットを探った。それから、ぜんぜん見たことのない男子生徒が走ってくるのをみる。 どこの部活の奴か知らないが、0の字でも走っているのか。何となくみていると、 体育館裏の壁に肩をつけてライターを探しているこちらに顔を向け、ふ、と足をゆるめて歩いてきた。思わずまたポケットに戻す。なんだ
「あのー、よく、来るんですか」
よくっていうか、たまにだが。手の甲で息を吐いている口をぬぐっている。肘から手首が細くて若い。
「・・・不審者じゃねえぞ」
「あ、はい」 何だその笑顔。というか、この、雰囲気は
「・・・・」
「あの、あーと、恋人とか、いるんですか」
「さあ・・・」
「そのー、いるとしたら、男、だったり?」
「・・・だったら」
「その、なんていうか、たまに、みかけて」
「ああ」
「一目惚れ、なんですけど」
「あー・・・」
なんて言おう。首筋と喉あたりに目をやった。そこら辺がまだ少年ってかんじで、かんぺき犯罪だな、コレ。一年生かな。
見ながら、 ポケットに手をつっこんだまま、壁の方へ頭の横もつける。
「あの、キス、とか・・・して、いいですか、とか」
「いいよ」
え、と目を見開いて喉の中でいうのが聞こえた。それから妙に緊張した面持ちになると、肩に手が乗って顔が近づき、ちゃんとくちびるがあたった。 見返せば顔を赤くさせて、ど、どうも、と軽く頭を下げる。そうして、耳まで染めて体を返すと頭を下に向けたまま、また走り去っていった。 苦笑に似た口元で、見送って足元をみる。
お前ぜんぜん変わってねえな
またあの間抜けな音と共に、顧問の声が今度は逆から逆へ通り過ぎていく。
気をつけた方がいいぜ、いろいろと勘違いされるからお前
肩越しに横目で振り返ると、すでに姿のない向こうで小さくなる言葉。
何だそれ。
ただのキスがなんだってんだ。変わってないなんてそんなことは、ない。これでも あいつの前じゃ、余裕の半分も出せなくなる。見せてやりたい。いや、見られたくねえけど。・・・誰にも
そのあと、総悟とカツ丼を食べて、大学に顔を出して、飲みにいく流れになって、夕方から飲み始め、いい感じで酔いの回っている頭。
帰って来るとまだ夜の11時半あたりだった。まだの感覚がおかしい常識について考えてみる。最近生活リズムが不規則だ。ほんとに改善検討しようかな


「ちょっと、お前ケーキ何これ!」

「な、にって・・・」
「腐ったらどうすんだよ! びっくりしたっつうの、帰ってきて」
「・・・ん、考えてなかった・・・・」
出たとたん大きな声が耳に入る、電話だった。
いつでも誰とも確認せずに出るのが癖だが、声で坂田から、とわかって、眠いまぶたがすこしあがった。 なんか妙な態勢で寝転がっているな、ということが自分でぼんやりわかる。いつの間に寝てたんだ、今何時だろう。
「お前、今どこ」 耳に近い ひびく
「家・・・」
「ちょ、返し行くからこれ。お前食えこれ。俺一人で片付けられねえよ。つうかなんで返すの」 なに息巻いてんだ
「あーあと菓子折り」
「いらねえから! 間違っても」
あーとか何とか言いながら手探りで、電源のボタンを押す。あれ、会話終わってたっけ、今・・・。
え、来るっつったか、あいつ。
ぱ、と目を開けて、眠い片方のまぶたを手の平でこすって、うなる。頭をあげると、ガン!とちょっと視界がとぶくらいすごい衝撃で痛みがきた。 テーブルの下で寝てるよ、俺。落ち着け。低い体勢で、這い出す。 曲げた片足を踏み出すと、よろ、と重心がずれて手をついた。 玄関に着く前に、ピンポンと響く。
あれ、待て、なんか頭がゆれる。
またチャイムの音。聞こえてる聞こえてる。
その後すぐに、ガチャリとドアの開く音がした。開けるか普通ー・・・
「おォォーい。あ、いた。え! なに、お前大丈夫」 とたんに変る自分の部屋の空気
「食えねえ・・・いらねえ」
「寝言?」
「ケーキの話・・・」
立ち上がれないまま、壁に手をついて、戻ってきてしまった箱をみた。それから、いそいで寄ってきた坂田のくつ下。見るだけで手触りのわかりそうな、 先にだけ色のついている、それ。
「酔いつぶれてんのかよ・・・」
そういうわけではないんだが。急に起きようとしたせいで、昔まれにあった貧血に似た、頭の遠さだ。ぐうと目を閉じてしばらくすれば、たぶん治る。
足音がすこし離れて、引き出しを開ける音とともに、がちゃん、となった。なに探してんだ。フォークか。あーほんと食いたくねえ。マヨネーズかけると、 俺の食う気が失せるとかいって怒るしよ・・・・
・・・・あいつ、鍵閉めたかな・・・・・・・


気配
か、音

に、無意識の部分で気づいて、目を開けかけ、また閉じる。

・・・・・・

それから、また開けた。ぼやけている視界。寝そうだな、と思っていたので、たぶん寝ていた。
右の方で布のすれる音。
横に向いている体を直そうと腕をあげて、感触にあたる。耳から顎ら辺にぬめったそれ。
ん、と、ふ、のあいだくらいの音が鼻からぬけた。
「・・・総、悟?」
坂田。だよな。
端ではわかっているが、その反対側の端までは辿りつかないような認識。そりゃそうだ、あいつと寝たことなんかない。 そんな対象に置くことすらできない、べつの次元で大切だ。口になんか出してやらねえけど。今日久々に会ったせいで子供の頃よくこうしてじゃれていただけの 光景が夢と現実のはざまで浮いている。
一瞬止まったその髪が、胸元からあがる。結局ケーキ食ったのかな。電気の明るさに目が痛い。くちびる。
入ってきた舌に、うつつのまま舌で返した。
なんか肩も痛いんだが。べつに逃げやしねえよ、退かせようとあげた手をそのまま頭上にゆっくりとおさえられた。 そうか、こないだ気づいたけどこいつSだったんだ。

・・・お前、みかけによらず、軽いんじゃねえの

あれ、なんか、言われたか今。
眠気と心地のよい快楽でどこかに落としてきそうな頭の中で、寝込み襲われるのなんか前までには決してなかった事態だな、とぼうと考えた。
今まで酔っ払って横で寝転んでいたって、空気はてんでこんなものに変わりやしなかったのに。
本当に、なんのスイッチが入ったんだろう、こいつ

指の動きに声が出る
だって、こんなのは別に、なんともない。寝ることなんて、なんともない。他の誰にされるよりも感じるけれど、そういうのじゃない。
あの坂田が風邪をひいていた日の、目の前で内を知られる恐怖感。なんでもないとき近い指 電話の声

俺がダメなのは、いつだって、そういうのなんだ。