そのあと 「次、いつ空いてる?」 え なんて う だるい余韻をひいている内に 終わったとたん、坂田にそんなことを聞かれた。 ・・・下を履く間もなく、次の予定? (そういや・・・ホテルだけで逢瀬を重ねた相手が、そうだったな・・・) 体をひねった半分うつぶせの体勢で、ぼんやり下着に手を伸ばす。 けれど、今目の前にいる相手は坂田だ。突然どうしたんだろう・・・ 床に落ちていた財布があっさり拾われるのをみながら、一週間のスケジュールを脳内でめくる。 「・・・金曜」 「じゃあ、うち、きてよ」 そういう顔を、今度こそ重いまぶたをあげて怪訝に見上げた。 坂田の表情は、淡々と明るい。 いったい何を吹っ切ったのか、朝の挙動不審な態度がうそのように。 あの日のことを自分が気にしていないということが伝わったおかげであるのなら、それで、よかった。 けれど その、なんだかすごく簡単な誘いと その軽さが、胸にもやを残した。 「・・・坂田」 どうせ風呂に入るから、足を通したズボンからベルトをぬきながら、おもわず名前を呼ぶ。 「ん?」 妙に、優しい語尾上がりに不覚にも、まぶたが細くなる。 そうしてくちびるが近づいて、キスなんかをされて (う。) まばたきを、 して それから、自分を通り越してすでに金曜のことを かんがえているような坂田の目に、・・・ああ、と 向こうの台所の景色をみるでもなくみながら、納得してしまった。 体温ごと周りの空気が、すうと冷えた。 過去の経験から知っていた。 それは、次の行為へと繋ぎとめるためだけの 体の見返りだけ求めるご機嫌取りであることを、よく理解した。 だけど、そんなのは、坂田から、与えられるものだとなんか思ったこともなかった。 んだよ くつ下を拾って、表に返しながら床をみる。まさか、好きな時にこちらの体を抱ける関係とか、そういうのに、したいのか 急に、何で。 疑問に思うまでもなく、軽いんじゃねえの、さっきうつつで聞いた言葉が思い浮かんだ。 ドアの方を向いて、玄関で靴を履く坂田。背中。 口を開き 「・・・・・」 声に出して言えないまま、黙る。 「まあどうせ、土方さんは、セックスに意味なんてないとおもってんでさァ」 大きな声に、総悟の後ろの客がすこしこちらへ頭を向けた。 こいっつは。この馬鹿、テーブルのはしの爪楊枝を引き抜いて投げつける。けれど相手は総悟なので、 それをわざわざこぼれたソースにひたらせてから思い切りとばし返され、シャツに張りついた。 最悪だ。こんなとんかつ屋で、なんてこと言ってくれる。 お前が俺の何を知ってんだよコノヤロー 「土方はさー、淡白なんだよ」 総悟が急にだらり肘をついて、あさっての方を向く。 「こと、そういうことに関してはね」 「・・・誰の真似」 「ん」 自分の隣でタバコをふかしている顧問の方へ顎があがった。・・・読めてたよ す、と横に視線をすべらせると、眼鏡の奥がウソくさく笑んだ。だいたい何でいるんだお前は。99%を適当で生きているサンダル男にんなこと語られたくない、 にらんでから、ガラス越しにだらしなく落とされる灰をみる。土方はさー。 彼がそうやってタバコで間を開けるときは、決まって次の言葉のふざけた中に本当が入ってくることが多い。 「なまじ顔とスタイルがいいから、色気とかさ、そういう対象にされることに慣れちゃってさー、諦めてんだよ」 そうかもしれない。あー認めてやっても、いい。 だけど だからって、よ 中身を軽視されることとは、べつだ。セックスそれ自体と、その他の付き合いは、べつだ。 口を閉じて、窓の外をみる。車の音や外の空気が ぴったりガラスに遮られた景色だけの四角。 二人のうるさい会話と通り過ぎる店員の声が聞こえる。 視界の意識がおろそかになって、脳があの日のときの記憶に入った。 あのときの、キス。一瞬、何事かと思って。 一瞬、うっとりしかけた。 自然に触れてくるくちびるに、関係を錯覚した。せつない そんな自分がせつない つうか、すっぱい すっぱいだろ、俺。・・・くそ、やってられねえ そして、そこに含まれた打算を理解したあとの。 霧のような薄いつめたさと、すこしの危機感 濡れ衣を着せられたときに似たような、焦燥感 なんだろう、この感じ。あせる 「ぼうとしてんね。失恋かな」 「失恋だよー」 裏声で勝手に答える総悟。 「あーあー飲んだくれで独り身で暇人って、もうダメダメですぜ」 お前が呼んだんだろうが テーブルの下で蹴った。 痛いくせに知らぬ振りでさっとひいて、キャベツを噛み続けているのが気に入らない。この野郎。 ガタ、ガタッと音をたてながら、届かないよう椅子下にぴったりつけている足を探して背をずらした。隣で顧問がだるそうに灰皿を両手で抱えてよける。 「お前らちょっとは成長しなさいよ」 失礼な してないのはこいつだよ。総悟とぴったりハモった。顧問が馬鹿にするように鼻で笑った。 ・・・まったく。指していた箸でキャベツを山盛りにはさむ。 変わらないな、とおもう。総悟といる自分の内側だけは昔となんにも変わらない。 友人というよりは憎たらしい弟みたいだが、喧嘩をしてもそれぞれを囲む環境が変化しても、どこか表面から離れた奥底に決して揺らぐことのない 芯がある。そんなものだった。絶対に恋愛感情の芽生えることがないとわかりきっている相手とは、 一定の親しさまでいってしまえば、そうそう簡単に関係が変わるものじゃないのだ。 予感のある相手とは、そうはいかない。きっかけさえあればどうにでも転がる。 そのことに一喜一憂にあがって沈んで こうして連れといるときなんかにふっと思い出すと、一瞬だけどきりとして、 すこし、気が遠くなる 窓の向こうの景色が、ぼうと薄い。 「あーさよならだけが人生だなー」 「レポートやんねェとなー」 「アメリカの方向性、疑うなー」 こちらの顔にのん気に台詞をあててくるアホふたり 鼻から息をはく。こいつらとの雰囲気は、まあ嫌いじゃなかった。何の話が飛び出しても、結局笑えるような。 気が楽だ。この関係の先のことなんか、頭になくて、いい。 考えて、今夜の約束のことを思うと、視線が宙で落ちた。 その色は今の 店内の明るさと比べて、梅雨の湿った景色のように暗かった。気分を侵食する。 最後に聞いた曲が頭の中を回るのと同じで 最近会ったのがそんな部屋の中だから、なのかもしれない。 なんか、しんどい 「おいおい、土方病気かァ?」 冗談じゃ、ねえ! お前らは人の人生ややこしくすんな! 珍しく顧問が会計をぜんぶ持ってくれたことにいやな予感がしたので、総悟にだけ、「勉強しろよお前馬鹿なんだから」と言ってさっさと店外でわかれる。 まったく、俺の周りは打算ばかりか。 歩道を歩いた。 夕方の曇り空。 自転車に乗った背広の人とすれ違う。 真ん中から四方に伸びた道路の、横断歩道でぼうと止まる。ウィンカーを出している車。 「うまくいってないの」 びっ・・・くった! 横に並んだ顧問を、おもわず体を引いて見た。本気で驚いた。胸がどくどく鳴っている。こいつって、ほんと、気配ない。 びくり飛び跳ねた自分が客観的に頭に浮かんで恥ずかしいだろうが。 「俺さー遊んだわけじゃないよ。お前のこと」 彼は、原付をこちらの柵の方に寄せて、ヘルメットの下で自分ではなく前を見ている。 見開いていたまぶたを戻して、ゆっくり手をあげ額をがりがりかいた。 他の人がいる前で淡々と匂わす昔の関係の話を、二人のときに改めてされる、この雰囲気は何ともいいがたい。 信号が青になって、車が抜いていく。 「まあ、お前も、本気じゃなかったよね」 「んなことねえよ、好きだったよ」 若気の至りなりに 「ほら、そうやって簡単に言えるところ」 トラックの排気ガスの吐かれる音。匂いが鼻をつく。 「寝る度お前冷めていくの、ありありとわかったもん。あれあれ淡白なくせに何でーみたいな?」 まだその話してんのかよ。ていうかおっさんが、みたいな? 言うな 「お前、大事なとこ顔に出さないから」 そういうとこ。わかんなくて、悪かったな 完全に顔を彼の方へ向けて見た。おいおい誰だこいつ。同時に、すうとあちらへ知らぬふりで向く彼の頭。 可笑しい。もしかして、それが言いたくて、総悟にくっついてきたのか。 昔のように蹴ってやりたかったけど、柵が邪魔だったので、 「んだよ」、言うだけにした。 それから、送ってこうか、という意味深な顔に半目になった。いいとこある、とか思ってた素直な気持ち返せ。 「まーいざとなったら泣けばいいよ」 ほっとけアホ。うさんくさい笑みと音を残して遠くなる原付を後ろから見送った。 そのまま、横断歩道を渡る。 右に、うどん屋の藍色の旗がみえた。ぼんやりと思い出しながら横切る。 坂田と。 話をしたり飲むようになったりするようになって、どれくらいだっけ。4ヶ月。とちょっとか。 初めて下で挨拶をしたとき。 気だるげなまぶたにみえる色気と、なんかすこし奇抜なのに服によく合う靴がよかった。 話す雰囲気に、友人多そうだなと思った。 小学生の頃よくもてたタイプかな、と思った。 こいつとなら寝れるな、というそれから、本気になったのがいつなのかは、覚えてない。 道路に車やバイクの音だけ通り過ぎて、遠くなる。空の灰色 (淡白だからといって、寝たかったとはいったって、そんな風になりたいわけじゃねえのに) 手の平で額から髪をかきあげ、息を吐いた。 携帯を腰の横で開いて、時間を確認する。5時半。ずっと、座り込んでいる胸のもや。 なんだか会いたくないけど、会いたい、気持ちの板ばさみ あの女なら、贅沢だというだろうか 部屋に帰って、6時を待って、複雑なまま、坂田の部屋へ行った。 「あー、なんだっけこれ」 「プロジェクトA」 「ふうん・・・」 机に肘をついて、相槌をうつ顔を横目でみた。たぶん、聞いているようで聞いていない目。 来る前から一本空になっていた缶に灰を落とす。 もう何度観たかわからない映画をしばし眺めて、缶の口に溜まっている液体へ目をやった。 台詞の流れや音でどんなシーンかすらわかる。ああ、ジャッキー・・・。 「んなに、観たことあるの」 遅すぎてなんのこと言ってんのか一瞬わかんねえ 「ああ」 間をあけて、短く答えた。 閉められたカーテンと、電気のせいで昼より、無機質に明るく感じる部屋の中。テレビだけの、音 こういうとき、相手によって、空間を支配するそれが違うことがよくわかる。 総悟との雰囲気。顧問との雰囲気。 坂田といるときの場に漂う雰囲気は、どこか間をおいた雰囲気だ。 その間は、おおむね自分のすこしの緊張と、向こうのこちらの気持ちに対する気遣いでできていた。 今は、そこに、関係を持った者同士特有の、常にそのことが頭のはしにあるため作られる間が大半を占めている。 家にあがったばかりのときは、まだほんのすこしだけ会話があった。 座って、体が近くなってから、坂田は静かだ。 どこか上の空。そのことを考えている。 それだけを、考えている 「・・・土方」 すでに夜のはしへ傾いていた空気を一気に濃くさせて、ひきこむそれに、わかっていながら内心はねた。 服と床の音で、近づく気配がわかった。 やんわり肩をつかまれて、自分の服の感触を肌に強くかんじる。 その手へ向けた顔に影が落ちる。 傾いたくちびるが合わさって、すぐに舌が入ってきた。床をたどって指が服の切れ目にのぼってくる。 一回目のときのように余裕がないわけではなく、ニ回目のときにすこしあった遠慮がない。 軽いんじゃねえの、と最中につぶやいて (心おきなくやれるとでも、思ったのか) 押されるがままに、ぼす、とベッドの縁に垂れている布団へ頭を置いて、すぐに腰からあがってくる手に目をしかめた。 初めてのときは、まだ、強い何かで求められる感覚があった、と思う。意識を底から持ってかれるような感覚だった。その強さを切なくすら思った。 2回目は、普段の坂田の動作や風邪の日のことと、比べた。 比べて、なんて意味のない行為かと。総悟が顧問の言葉で言った通りに。 今は、倍思う。 「坂田」 返事ねえし。 代わりに起こしかけた上半身を押し返され、両腕をつかまれる。痛い。もぞもぞ動いている銀色の頭。 没頭している。 あのときからこの金曜まで、これしか待ってなかったように ああなんだろう、この無気力感。 湿気が気持ち悪い。腕にあたるステンレスがつめたい。酔いで頭、痛い。 首に髪があたる。 つッ。片足を抱えられて、坂田の腕を押した。 「坂、ちょ、待て」 「大丈夫大丈夫」 そこしか見てない頭の向き。 あほ、なんにも大丈夫じゃねえよ お前が決めるなよ 顎を下からおしあげるようにした手をのけられる。急に肌の色が生々しくみえる。 肩口をちょっと蹴った足が固定され、少しして侵入をすませた坂田が一人であつい息を吐く。 ・・・ッてえ そらした頭をゴンと床に落とした。 顔の右側に手がつき、体が屋根のようにかぶさる。影になった目と合った。 こちらに落ちた銀の髪先と、坂田の瞳を見つめてみて横へ向けた。 まぶたの間に髪が入って、腕の服で擦って追い出す。 「いやいやしてるみたいで、かわいいよ」 「んッ、う」 ぼんやり、転がっているビールの缶。テレビの光が電気のついている部屋の中でも色が変わるのがぼうとわかる。 あのときからずっと、胸の内にあった懸念が、形になった。行為自体には、淡白かもしれない。軽いと言われても、言い訳できない。 だけど、だからって、こんなのは、望んでない。 返事がなくて、会話がなくて、 好きだと思う相手に自分には体しか求めていないかのような態度をされて 俺が何も感じないと思っているなら、勘違いだ。 そんな関係、望んでない。 痛いに決まってる。 「ごめんごめん、そんな痛かった? よさそうな声出してたじゃん」 終わって、額の髪を指が、今更ゆっくりはがした。 だんだん中心に戻ってくる意識と同時に、だんだんまぶたが下がる。 ・・・散々自分本位にしていたくせに。しかもそんな触れ方気遣いになってねえし、逆に無神経だ こっちの好意をないものにしてくれていた時とは違う。わかってて、やってる。どうなんだ、それ 上半身をむくり起こす。 どうでもいいテレビの音。床の向こうで脱ぎ去られてよれている服の皺。 転がった、缶。 「・・・・」 あ、なんか腹立ってきた なんだこれ、すげえ腹立ってきた。 虚しさとやりきれなさ、なんにも思い通りにならない相手。 今までたまったそれが、こんな扱われ方への怒りを増幅させた。腹というより目の前や頭の中がじわ、と熱くなるような。 なんなんだよこれよ! あの顧問でさえあんだけ優しかったぞ! 八つ当たりに似てるけど、仕方ない。 右腕をあげて、それを払いのけた。 髪に触れていた手が浮く。 坂田のくちびるが、半開きになる。 「・・・・・・に」 「え?」 「好きでもねえくせに」 ちがうちがう。そんな、女みたいな台詞言うつもりじゃなかった。 坂田の、きゅ、と寄る眉。・・・・目を離して、黙って立ち上がる。 ジーンズが落ちているところまで歩いていって履く。でもやっぱり思いなおして、坂田のところまで歩いて戻って おもいきり蹴った。 ドタダ、と踏みとどまった坂田が見開いた目でこちらをみる。さ、と帰ろうとした肩をがっちりつかまれ、 壁におさえつけられた。何か言おうとした坂田は、本気の自分を見て、口を開いたままとまった。 力の緩まった彼の体をのけて、シャツを拾って、玄関で靴に足をつっこむ。間違えた、これ坂田のだ。くそ。 蹴り飛ばして、自分のを手に持って、出た。ちょっと、と言っている声はドアで切れた。 「はあ」 閉まったドアに背中をつけて、一度息を吐く。 夜の景色。ゆれている街の光 もう知らねえ。ああ知ったことか。何がどうなろうと、どう思われようと、もういい。坂田なんかもうどうでもいい。 なんか曇りの天気やくつ下の中の感触や全てに苛立つ。 力を入れて乱暴に歩いていたせいか、階段で踏み外してすごいこけ方をした。ちょっと放心した。 腕と膝と腰の痛みに、ものすごく情けなくなった。 落ちた靴を拾おうとして、目を開く。 結局坂田のを持って出てきていた。 初めて会ったときに、あいつが、履いてた。こんなにもわけのわからない怒りに包まれているのに、悔しいくらい、胸がつまる。 あーもう嫌だ。 「・・・・」 夜の風がふく。さみしげなバイクの音が、遠くなる。 自分のとそれとを片手ずつに持って座ったまま、上をみあげた。 壁に寄りかかって、静かに目を閉じる。 夢を、みた 一瞬で覚えていないけれど。 それはとても切ないくせ、やけに幸せだった。 ・・・・やってられねえよ → ← |