1.土下座 2.知らぬ振り 3.逃走 急に幽霊でも見えたかのような態度をとった坂田をみながら、 この場をどう乗り切ろうとしてくるのか考えてみたけれど、彼はどれもしなかった。 ただ、ジャンプの表紙がゆっくりはがれる手の平に、ぼうと視線を落としていた。 「・・・・」 嘘を言って 返ってきた言葉にあっけにとられるって こんな反応を考えもしなかったような顔って 思えば、坂田はいつもどこかで、俺のことを甘くみてる。 だからって、お前 好きだよ って、 バタン! おもわず、大学の図書室で借りた、分厚い資料の本を閉じた。右耳に、残っている (・・・・くそ) なんか、右肩が痛い。手を乗せて軽くほぐす。絶対、昨日だ。坂田のせいだ。目を閉じて、頭と腕と ペンをだらしなく机の上に転がした。朝の9時から、何かを書く気などおきない。 ダメダメですぜって総悟の言葉じゃねえけど、堕落しかけてんな俺・・・。 友人の忘れていった水色のハイライトを振って、一本くわえた。ライターライター。 伸ばした片手の先を机でぺたり、ぺたり、怠惰に動かす。・・・あれ、どこいったあいつ。 ちょっと散らかり始めている自分の周り。 積んだ文庫本。爪きり。リモコン。リモコンのフタ。・・・何あれ、何ではがれてんだ。 ビデオ屋の袋。あ、やべえ、これいつまでだっけ・・・。 菓子折りの箱。・・・・・・ノーコメント。 背を丸めて、机にぼんやりと頭横をつけたまま、しばらくだらりとする。窓からは天気のよさそうな光がいっぱいに広がっている。 目をあげて返却日の日付けを、みた。 (1日って、昨日じゃねえか・・・) 昨日。・・・うん・・・・・ ・・・ああ言われて、 何て返したんだったか・・・細かいことは忘れたが。べつに・・・嘘を責めたかったわけじゃなかった。ただ馬鹿馬鹿しくなったんだ。 机のつめたさを肌に感じて、ゆっくりまぶたを下ろした。 もしかしたら、本当は。 頭の奥の奥の裏側あたりで、自分はずっと、期待していたのかもしれない。初めて、あの目を、向けられた日から。 そこから何かが、変わるんじゃないか、とか。 薄く目を開けると、視界にかかる伸びた前髪 タバコの銀紙をきれいに破る。 懐かしい柄のそれを横に向けて、側面をみた。タール17mg、ニコチン1.4 「・・・」 こんな重いのを、吸ってた、 ああ、高校の頃の方が、もっと冷めてたな、と思う。 現実というものを思い知らされた気でいて、冷めていた。 人間同士の付き合いもそれより深い関係もセックスにも。今よりずっと割り切れたし、 幻想も抱かなかったし、 嘘だって、軽く受け入れられたし それが、現実的であるということだと思った。そうやって、すこしずつ大人になるにつれ。 人には色々な人がいるんだ、と知って。まだまだ自分じゃ計り知れないのだと思って。 恋愛というものは、本当にあるのだと気づいて。 昨日、実際にこの耳で聞いて、予想以上に、望んでいたのだと思った。 裏のない、ただどこまでも純粋なそれを ・・・阿呆らしい。 折っていた体を起こし、100円ライターを掴んで火をつけた。片膝をたて、DVDに腕を伸ばす。 ベランダ側から聞こえる、自転車のベルの音。 頭の中は、でも、やけに落ち着いていた。 自分だって、好意を寄せてきた相手にそういうことをしなかったわけじゃない。その度に、 相手の気持ちと自分との距離を、空の上から眺めているような遠い感じになったものだ。 性欲でしかない向こうのそれと、自分の、差。 自分が抱く同じだけのそれを坂田からも向けられたなら、いい、とか何とか。そんなの・・・ (・・・そんなの? 万が一にでもあったら、俺、は・・・そんなものは・・・) ・・・まあ、いい。 パチン。DVDのクリアケースを、考え事ごときっちり閉じる。 静かに、後ろへ折れているフタを閉めた。灰を落とそうと、タバコを指ではさみかけて、止める。 そういや、あのあと。急にぽかんとした坂田に、こっちも変にぽかんとした。アレ、結局、何だったんだろう。 ・・・あ、考えんの、面倒くせえ。 灰皿で潰した。 ふう、よし。とにもかくにも、いざ返却へ。気合を入れて立ち上がり、玄関で自分の靴を履きながら、ふと、彼の靴をみおろす。 おっ? 何だ、これ、あれっ・・・ 「・・・う、」 ゴンとさっそく壁に頭をつけた。 忘れてたよ・・・ 靴を持って、そうとドアを開けると、見たことある男が廊下をこちらに歩いてきていた。部屋着に、グラサン。ミスマッチが妙に似合っている。 「あ、土方くん。お早う」 誰だったか。えー、あ、 「長谷川さん」 「今明らかに表札で確認したよね」 やけにゴミ捨ての日に会う隣の人だ。その度に、何かいい仕事知らない? とか、聞いてくる。 何回聞かれても知らないものは知らないので、言われる前に通り過ぎる。 「え、土方くんって。あそうか、あれがそうか。・・・・ああ、なるほどね」 何が。独り言に振り返ると、こちらに顔を向けたまま鍵を回していた長谷川さんは、女学生みたいな手の振り方をしてきた。 はあ、すこし頭を下げて階段を降りる。 3階の廊下。階段近くに、なんか洗濯機が出ている。みながら横切って、ちょっと足音をひそめた。くそ、携帯とりにきた時といい、 犯罪者かよ俺。レンタル屋の袋を脇にはさみ、一番はしのドアの前で、しばし腕を組んで立つ。 さて、この靴どうするか。 横に置いておく。ポストに入れる。取っ手にひっかける。・・・それがいいな。こう、なんか、絵的に。手に持っていた靴を裏返し、踵をかけようとして、 ガチャガン! (い・・・ッてェ!) 靴から離れた手で反射的にこめかみの右側をおさえて、うつむいた。痛い。白い。目が開かない。 信、じらんねえ。何このタイミング 「、じかた?」 坂田の声 「・・・」 「いやごめ、その長谷・・・・・音したから」 音したら、ドアで攻撃かよ。セコムかお前は。涙目でぼやけた靴を拾い、こめかみをおさえたまま、渡す。ドアと縁に腕を置いていた 坂田は受け取ったそれに一瞬だけ目を落として、すぐにこちらに戻した。 その瞳から、何か言わなければ、という空気が伝わる。 その空気だけで、昨日のことについては悪いと感じているらしいことがわかった。本気で遠慮なくセックスを求められたら実際どうしようと思っていたので、 すこしほっとした。 す、とそらして、踵を返す。 「ちょっと待って」 後ろで、急いで地面を踏む音。 「待ってって、土方」 ぐ、馬鹿力。右腕をひかれて坂田の方へよろけつつ、半身振り返った。裸足。スウェットに、パーカー。そこにある近い体。・・・まァ、やっぱ会うと、駄目だよな・・・。 ぼうと下から順にあげた目が合うと、 とつぜん、ぱっと離れた手に少々びっくりして皺になった自分の服のあとをみた。べつに何もない。 離した右手を腰の後ろあたりにやりながら、所在なさげにしている妙な雰囲気が気になるが、今は それよりとにかく、時間が気になる。 「あのよ、11時までに返さねえと、延滞なんだよ」 「え」 「だから、」 「あちょっと俺も、ちょっと、待ってて、絶対待っててよ」 後ろ足を出しながら、両手で前の空気をおさえるようにした坂田は、走って部屋に戻っていった。うるさい音をたてて、再び出てきたその手の中に、同じレンタル屋の袋がある。 「・・・・」 「・・・・」 ・・・靴、履いてこいよ。言うと坂田は、あっと声をあげ、恥ずかしそうに足元をみた。 空は、清々しいくらいに晴れていた。薄く青く、ほどよい風が吹く。 ゆるい坂道。 三歩前を行く坂田の、猫背気味の背中と、髪の先。 「そのーさあ・・・」 「・・・」 「とりあえず、何つうの、そのー昨日、はさァ・・・」 「・・・」 「えっ、土方?」 急に振り返った坂田は、こちらの姿を確認して、ああ、とまた前を向いた。歩道のない道路脇を、縦に並んで歩く。 ぼけっと一人放心していたような昨日から。坂田は坂田なりに反省でもしてんだろうか、けど、そのことについては、もう 「いんだよ、別に」 「うん・・・え? あ・・・あ、そう」 そのまま無言で歩く。横切る車を待ったり、ステーキのチェーン店の看板メニューを見て、んだコレ安いな、とおもったりした。 レンタル店は自動ドアが開きっ放しになっていて、もう店員が開店の準備をしていた。2、3人の客がそれを待っている。 何か新作でも出てるのか。ガラスに貼られたポスターを見る。 坂田が返却口に袋を入れる。こちらに出された手に、自分の分も渡した。 そうして、 「・・・いやっ! いやよくないだろ! なんっで、お前ってそうなの?」 入れかけた袋を持ったまま、坂田が、唐突に、振り向いた。 え、ああ? 開いた目で、一度まばたきをする。 何だ、何が起こった、何の話だ、さっきの続きか 「こうっ、お前いつも淡白で、俺ばっかり考えてて、んで蹴ったり、も、おまッ、どういう思考回路なの?」 「・・・どうって」 「何でそんな冷静なの、怒ってるの怒ってないの、どっち! いや、こっち見て土方」 ていうか、何で俺が怒られてんだ。映画の旗から坂田に目を戻した。 袋を手渡したときのまま宙にあがっていた手をおろす。驚きが静まると、言われたことを反芻する余裕ができ、そうしている内に だんだんと眉が寄った。なんか、別にいいと諦めに近いもので許していたのに、本人にそういう態度をとられると、むっとくる。反省してたんじゃないのか。 そんな強く出れる立場かよ 「ほらみろ、怒ってんじゃねえか」 「それは、お前が」 「はい俺が、俺が何」 遮るなよいちいち 「それはお前が、悪い」 「あ、漠然としすぎだよ、言葉が足りないんだよお前は」 簡潔でいいだろ 「いやそうだよ、あーそうだよ、俺が悪いよ」 おい、何開き直ってんだ。 「でもさあ、言わしてもらうけど、お前にも非はあるよね、絶対あるよ。だって、お前、俺と寝ることについて何っにも言わなかったし、抵抗だって」 「したじゃねえか」 「いつ」 坂田は、息を吸い込むように開けていた口を一度閉じて、聞いた。 あの蹴った日に。それまでは、まあ確かに、そうだ。そうか、そんな風に思ってたわけか。 そりゃ、そうかもしれない。言葉の足りない俺も悪いだろう。しかし別に 元から、被害者ぶってるわけじゃない。だいたい、何も言わない、抵抗しないだとか、はっきりとした範囲だけで物事を測るとは 「頭、悪いんじゃねえの」 「言うね・・・」 そこで、ガコンと音がして、二人して横に顔を向けた。はっとそらされる客達の目線。看板を直していたらしい店員は目が合うと 、・・・すいません、と言って仕事に戻った。何故、謝る。なんとなく、腕の横を手の平で擦る。 第三者の存在は自分のことをひどく客観的にさせる。坂田も同じようで、やっと袋を返却ボックスに返し、頭をかいた。 それから、その手で徐々に顔を覆って、「俺のバカ」、と小さくつぶやいている。 「・・・・」 言い合いの余韻の中、ちらり坂田をみると 手の下からくる、視線。 すごく遠慮がちで、困っているような 見返していると、坂田は、 急に、へなへなとしゃがみこみ出した。カエルのような格好で、地面に。 うわ。今日のこいつ、ほんと先の予測ができない。いったい何事なのか側に歩いていって、おい、と声をかける。 「・・・ごめん」 「いや」 「ごめん。ごめんね、土方」 「わかった、とにかく」 「ああもう、俺・・・・ほんとに、ごめん・・・・・・・・今まで」 ・・・・。 口を閉じた。語尾のかすれたそれに、膝に肘を置いた手で髪をつかんでいる頭をみおろす。 その体がやけに小さくみえて、隣で上半身だけかがめた。 丸い背中を手の平で撫でる。 風にはためく、広告旗。よい天気。 坂田は、筋肉を一瞬びくりとかたくして、息を吐いた。情けないような、泣きそうな音だった。 「・・・馬鹿じゃねえの、お前。あれだけのこと、されといて」 「タフなんだよ。結構」 ふふっ、と笑う坂田の声。なんだ調子戻ったのか。のぞきこむようにすると、合った目がまたたき、 ぎこちなく肩が動く。背から手を離した。 半袖の人が通るのを見送る。風がふく。犬の散歩をしている人も、自転車の人も気持ちよさそうだ。いいな、みんなどこへ向かうんだろう。 膝を折ったまま、同じ方向をみている坂田。 「天気、いいよね・・・」、という声。 それから、後頭部あたりを指でかき、伺うようにこちらをみた。 「・・・どっか、いく?」 え くちびるを半分開いて。 風で揺れる髪の下の、目をみた。今の、俺に言ったのか。部屋でもなく、飯でもなく、どっかって。だって、そんな誘い方、されたことない。 今までに、一度だって、坂田から。 「その、話、あんだけど」 坂田はぽかんとしている自分をみつめて、目線を下げてから、すこしまつ毛をあげた。 え ・・・話。 互いの間に漂う雰囲気。 坂田の、その表情。 ・・・・・・・・・・それって まさか ざり、と足が片っぽ、ずれた。 → ← |